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穏やかな本屋と池で、自分を赦す【#心の柔軟体操】
麻辣湯を食べるためだけに、自宅から離れた某所を訪れる。悩みながら、いつものところに向かった。
すっかり幸せになり腕時計をのぞくと、まだ夜は始まったばかりだった。本当に食べるためだけに赴くので、時間がかからない。
明日は休みだし。腹ごなしにでも、と夜に浸かった街を歩きはじめた。
土地勘のないところを歩くのが、とても好きだ。私が感知する世界の外でも、ちゃんと朝が訪れるとしみじみと思えるから。投げやりな意味ではなく、自分の及ばなさがありありとわかる。
駅と駅の中間くらいの場所に、懐かしさを感じる本屋さんが柔らかく光を灯していた。地元にあった本屋さんも、こんな感じだったような。
吸い込まれるように足を踏み入れた。辛いものを食べた体には、キツめの冷房が気持ち良かった。こじんまりとした店内には、店主の選書が光る。こういう本屋さんだから生き残るのか、と思わずにはいられなかった。
本屋さんは好きだが、時々、乗り物酔いを起こしたかのように錯覚することがある。
本屋さんのせいではないけれど、色の洪水で目が回りそうになる。陳列では、焦燥や憎悪を煽る字面が氾濫するなか、真摯な研究や探究がポツンと埋もれそうになっている。
無難な棚だけ確認して、そそくさと店をあとにすることもたまにある。まるで落ち着かない。
いま私がいる本屋さんは、とってもクリーンだ。目もチカチカしない。心もザワザワしない。呼吸が深くなるような、安心感で包まれる。
でも、これだけが私の見る世界なのだろうか。
特に何も買わず、店を出た。ぼーっとひたすら歩いていると、目の前が開けた。すっかり暗闇となった池は、対岸のネオンを映していた。水面がゆらゆらと煌めく。風が抜けてくる。
私のいけないところは、すぐに本当だろうかと疑うところだ。疑うことは、大切な営みだと信じている。自分の生は、自らしっかり手綱を握っていくしかないから。
鵜呑みにすることほど、恐ろしいことはない。それは人生という船のオールを他人に明け渡すのと一緒だ。TOKIOもやめておけと歌っていた(中島みゆきと言うべきか)。
でも、背中が強張り、頭が痛くなるほど、自分を追い詰めなくても、と思う。究極的に自分を許してあげるのは、私しかいない。私には信仰がないのだから。
池のそばにあるベンチで、ぼそぼそと語り合う人たちを見かけた。手に握られているのは、缶チューハイだろうか。二人の肩が並ぶ。
私も、私の大好きな人に、自分の本当を、こんな木陰の暗闇のなかで語れる日は来るのだろうか。そんなことしなくても、あの暗闇で、あの水面を眺めて飲むお酒は格別な気がする。どうにか夏の間に実現させたい。
日付:2019年8月23日(金)、執筆時間:約1時間(手直し20分)、場所:電車内など、音楽:King Gnu『The hole』
振り返り:今日こそ脳天気な文章にしようと思ったら、昔のことが蕁麻疹のようにぶり返してきて到底はっぴ〜な内容にできなかった。土日はお休みします。
毎日、仕事の休憩時間にエッセイ?を書き続けている方をとてもリスペクトしており、毎日ではなくとも書いてみようと思い立ってみた。#心の柔軟体操 と名付けてみた。本当は心の筋トレにしたかったけど、既出だったので。出勤か退勤時に書ければいいな。