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新訳アリとキリギリス~お前が書けよ~
いつも事件は事後だ。
何となく人生を変えるためにインドに行って、到着してから実は変えたいことなんて何1つないと気が付いた。ギターを買ったその日に叩き割ったらロックスターになれるかと思っても、結局何も起こらないままだった。むしろ練習できなくなったギターは、母の小言をくらいながら焼却された。頭にきたからガラスを割った部屋で過ごしていたら、寝返りした時に破片が顔に刺さった。
いつだって事件は事後にやってくる。
おとなしく「事件は会議室で起きていればいいのに…」と思っても現場はいつも大惨事だ。これは、反省したからといって変わらない。そんなある日、事件は事後に起きた。
ベランダで大きく息を吐く。吐き出したタバコの煙の奥に居る知人を眺めながら「なぁ、日本ってもうダメなわけ?」と突拍子もなくたずねてみた。
「ん?別にまだ大丈夫じゃない?」と知人。さほど興味も無さそうに返答がある。
「そりゃお前みたいに手に職を持ってればいいけどさ、景気とかやばいでしょ」
「じゃ一緒に料理人やる?飲食業界の労働って辛いよ?」
「死んでも御免だっつの。俺にも何かすごい取り柄とかないかなぁ」
大げさに仰け反って天を仰いでみると、知人はクスクス笑いだした。
「気が狂うほど遊びに行ってるじゃん。お金がなくても何でも見に行って『なるほどなぁ』とか言ってるでしょ」
「それが俺の取り柄?むしろ嫌味か?」
普段から無表情で曖昧なニュアンスで発せられる知人の言葉には、不思議と嫌な雰囲気はない。悪口ではないとわかりきっていても、つい尋ねてしまう。
「もちろんほめ言葉。私、思うんだけど自伝を書けば?」
「俺の?具体的に何を?」
「全国のアリども、キリギリスみたいに楽しく暮らしてやったぜ…みたいな自伝。多分他の人には絶対に書けないと思うし」
「なるほど。新訳アリとキリギリスってね」
2本目のタバコに火をつけてベランダの外をながめると、東京でも夜になると暗いと改めて気が付く。改めて手に職を持つアリに目をやると、楽しそう目線を向けてきた。
「キリギリスと自伝と日本はまだ大丈夫だよってかぁ…」
タバコを一気に吸い込むと、カンカンの中に勢いよく捨て、もう1度知人に目をやる。ケムリのせいで胸がむせて爆発しそうだ。
「なぁ。俺さ、海外で暮らすってどうよ?!キリギリスみたいに海またいでぶっとんでさ」
「……は?」さすがの知人も目を丸くする。
「そんで日本ってまだまだ捨てたもんじゃないかもって海外で感じとるわけ。それを形に残して伝えるんだよ」
「……出た。いつも以上にいきなりだね」
「おう!それから思ったんだけど、キリギリスが恰好いいのは、アリが居るからだろ?アリが見てるから格好いいわけじゃん。」
「んー。確かにね」
知人は洗濯物をたたむ手を止めて、考えるポーズをとる。話しのゆくえがわからないんだろ?今から教えてあげる。
「だからお前が書けよ!」
知人は目をさっきより、まん丸にした。
しばらくそのまま固まっていた知人は、手を叩きながらマンガみたいに吹き出した。
事件はいつも事後にやってくる。ボクは会社を辞めて早速飛行機を予約した。
アリは楽しそうにキリギリスをながめて2人はしばらく笑い合いましたとさ。