楽園のつくり方【小説/約2万字/実話ベース】
……早起きは三文の得だなんて誰が言い出したんだよ。
ランニングをするわけでもなく、短時間しか眠れないというわけでもなく、朝5時に起きて仕事に向かうのは、何だか不自然だ。俺は外に出ると徐々に夜が明けるようで、空は青白い。はぁーと息を吐くと、吐く息も白い。
とくに誰とすれ違うというわけでもなく、俺は工場についた。工場といっても、大がかりな設備が置いてあるわけでもなく、ロボットなどの目新しい機械類もない。一軒家よりも少し大きな規模の立地に、小型の溶接機や、切断機、研磨機などが置いてあるだけの小さい工場。
俺は、すっかり冷たくなった手の指先をこすり合わせながら、工場入口の重たいドアを開けた。中は真っ暗だが工具は比較的きれいに整頓されている。寂しげな景色は、長い間、誰にも見つからないまま取り残されていた隠れ家のようだ。
俺は、「ここはあなたの父親の場所で、あなたの居場所ではないですよ」と語りかけてくるような、この景色を見る、朝の一瞬が嫌いだ。
「昨日帰った時の、まんまなんだけどな」と独り言をつぶやきながら、溶接機の電源を入れる。作業を始める前に、一つひとつ、設備が作動するかをチェックするのがルーティーン。もう何年も続けている。パチッと音がして溶接機から繋がっている溶接トーチの先端が一瞬光った。溶接機は今日も問題なく動いてくれるようだ。そういえば昔、俺は「ここは俺の場所じゃない」と、まるで口癖のように言っていた。
「おい、トモヤ。俺は、そろそろ55歳になるぞ」
「ん。そうなの?結構、年取ったね」
基本的には無口な父が話しかけてきた。父は「そういえば」といった前置きをあまりしない。そのため、議題が何なのかはわからないまま、会話が突然始まることが多い。その日も、バイトから帰ってきた俺が着替えて一息つこうというタイミングで突然、父が話かけてきた。
「お前は、いつまでも俺が健在だと思ってるだろう」
「んー、うん…。まぁそうだね」
「だが、年齢はかさんでいくんだよ」
「そりゃそうだろうね。それで、これは何の話しなんだよ?誕生日って今月だっけ?」
「…俺の誕生日は冬だ」
……だったら一体、何の話なんだよ。
俺はできるだけ、怪訝な顔を作るために、右側の眉毛だけを吊り上げてみた。しかし、俺の顔を見ることなく父は同じリズムで話を続けた。
「トモヤ、お前は何で学校に行かないんだ?」
前置きがなく飛び込んできた父の一言に、俺は世界中の時間が止まってしまったような感覚を覚えた。当然、パッと切り返すことができずに、俺は固まった。学校をサボっていたため、「いつかバレる」とは思っていたが、いざバレると、頭は真っ白だ。俺は、学校をサボっていることは、できれば触れられたくない話題だったのだと改めて思い知った。
……とは言ってもヘラヘラ、適当に答えるわけにもいかない話題なんだよなぁ…。これと言った回答はないんだけど、何も答えないでいたら、「もしかしてイジメられているのかな!」と勘違いされ、大騒ぎになっても困る。
仕方がないので、俺は父の方に向き直った。
「バレたか」
「それは、当たり前だろう。学校から連絡がきたぞ」
父は食べていた桃と、桃に突き刺したフォークを一度皿に置き、俺は、はぁ~と軽くタメ息をついた。
……バレてしまったらしょうがない。
「俺さ、自分で言うのも難だけど、勉強ができる方なんだよ」
「それは知ってる。お前は小学生の頃からテストの点が良かったからな」
「…でもつまらねぇんだよ。何となく授業を受けて、人並みに勉強して、たまに漫画本とか買って、部活して、特に1軍になれるわけでもなく運動して、テストに備えてまた勉強して…。ずっと繰り返してたら、どんどん学校がつまらなくなってきたんだよ」
父は真剣な表情で話しを聞いていた。俺は少し胸が苦しくなってきた。
「それで何だ?お前は勉強や部活以外の事がしたくなったと…?」
「それは半分くらい…正解かも…」
父はすかさず、「じゃあ、残りの半分は何だ?」と聞いてきた。
「…確かに勉強はつまらないけど、勉強しても、ぜんぜん生活が豊かになった気がしないんだよね…」
俺はへその下あたりが熱くなるのを感じた。部屋についていたテレビの音量は変わっていないのに、徐々に音が遠のいていくようだ。俺は続けた。
「俺が思うには、学校を楽しむために必要なのは勉強することじゃないんだよ…。勉強ができても別にクラスで目立つわけでもない。そもそも成績が良かったら良かったで、認められるどころか、悪い点を取った時に教師から文句を言われることが増えた。…これって損しかしてなくない?…だったら、どんな奴が学校を楽しんでるんだろうね。サボってゲームセンターに行ってるやつ?授業中に落書きとかして遊んでて、たまに『教師にバレたら面倒だからタバコ隠さなきゃ』とか言ってる連中?…」
俺は最後に「親父にとっちゃ、学校なんか大昔だから覚えてないかもしれないけどさ…」と付け加えた。
父は何か言いたそうではあるが、俺の話しをさえぎることなく、終わるまで待っていた。そして、手をグーにして口にあててゴホン…と一呼吸置くと、「誰でも一度くらいは、そんな事を思うこともあるぞ」と言い、それから、「そいつらみたいになってみたくて、お前は学校をサボってみたお前は、学校は楽しくなってきたか…?」と聞いた。
……なかなか痛いところを突くね。
俺は「つまらなかった」と正直に答えた。
実際に俺が学校をサボったのは9日間。サボってはみたものの、高校生がやることなんて、特にない。俺はゲームセンターにある、テニスゲームにコインをつぎ込んで時間を潰していた。
学校をサボって、朝から4時間をテニスゲームに費やしたため、みるみるスティックを握る手さばきは上達していき、ついには全てのステージをクリアするまでに成長した。ほとんど達成感もなかったが、時計を観た時に、正午になったばかりだと気が付いて、俺は愕然としたのを思い出した。
「おいおい、まだ学校サボりだしてから、1日目だぞ!」と気を持ち直した俺は、タバコを吸ってみたり、河原で寝ころんでみたり、ついにはファミリーレストランに1人で入ってドリンクバイキングをかたっぱしから試してみたりして9日を過ごした。
誰がどう見てもつまらない日々。それは俺にとっても、本当に何の面白味もなかった。
「トモヤが学校がつまらないと言うなら、数日はサボってもいい。それでも、学校を辞めるんだったら絶対に反対だ」と父は言った。
「別に…、辞めるなんて言ってないだろ…」
「言ってないが、もし辞めたいと思っているならば、サボるのとはわけが違う」
「そりゃそうだろうけど…。別に辞めたいわけじゃないけど。…一応、わけが違うってなら、そのわけを教えてくれよ…」
俺は学校をサボり始めた時から、いつか親に連絡がいくものだと思っていた。サボりがバレたら親と話すタイミングが訪れるのも、どことなくわかっていた。どことなく話の展開が予想できていたのに、俺は、父の真剣な表情を見ていると胸が苦しくなった。
「学校がつまらないから、辞めて、本気で向き合える何かを見つければいい…という生き方もある。でも、トモヤ…。お前には勧めない。本気で向き合えることは、『これを本気でやらなくちゃ!』って、いちいち意識してから取り組むものじゃない。大きな決意とか、それらしい理由なんてものは、必要とするようなものじゃないんだよ…」
ゆっくりと、それでもハッキリとした口調で、父はよどみなく話しを続けた。
「やりたいことは、何となく日常的に続けてしまうことを指すもんだ。今、もし、お前がやりたいこと、日常的に続けてしまうことが見つかっていないならば、無理に何かを始めても、それは、まだ『本気で向き合った何か』にはならない。お前は学校をつまらないと思うかもしれない。…でも、つまらないかもしれないが、『学校を卒業したこと』は、必ず役に立つ。やりたいことを見つけられなかった時も、やりたいことで成功できなかった時も、学校を卒業したってことは、必ず何かの役に立つんだ…」
俺は、ただでさえ苦しい胸の奥が、さらに苦しくなるのを我慢した。
……そんなことは俺だって知ってるんだよ、わかってるんだよバカ親父…。
しかし、父は途切れることなく話を続けた。
「学校をさぼっているやつらが、学校で授業を受けて過ごしているやつらよりも、本当に楽しんでいるのかは、わからない…。それぞれの人に聞いてみたわけじゃないんだろう?」
「まぁ、聞いてはいない…」
「そりゃ、クラスに目立つ奴はいるだろう。それに、たまに目立つ奴を羨ましく思うこともあるだろう。…でも、卒業して何年か経った時に、普通に授業を受けていたやつの方が、『学校が楽しかった』と答えるもんだぞ?少なくとも、俺の周りはそうだった…。楽しそうに見えるやつらにも悩みはあるし、普通に授業を受けているやつらにも悩みはある…。色んな人が、実は悩みながらも学校に行ってるんだよ。それでも、学校はそいつらの居場所で…お前の居場所でもある」
普段から、あまり多く話しをするわけではないからこそ、父が俺を、やりこめようとしているわけではないことが伝わってきた。父の言葉は、ただの真っすぐな感想だ。ただ、真っすぐに言葉をぶつけているのがわかる。俺は胸の息苦しさを我慢して、何とか一言をひねり出した。
「さすがに、数年後に楽しかったって言ってるのは、クラスで目立つやつらなんじゃないか?」
俺の言葉を聞いて、すかさず父は、「お前も、まだまだ甘ちゃんだな」と口を開いた。
「どこが甘ちゃんなんだよ…」
「お前の同級生は100人くらいだろう?でも、例えば、お前が大学に行くならば1000人くらいの同級生ができる。社会に出ると同級生でもない奴ら2000人くらいと話すことになるぞ。そうなった時に、格好良いとか、不良っぽいとか、声が大きいってだけじゃ、目立ち続けるのは無理なんだ」
言われてみれば、当然のことだし、俺にも父の言葉は理解できる。それでも、「んじゃ、人はどうすりゃ楽しく暮らせるんだよ」と、俺は父に聞き返し、それに対して父は柔らかい声で言った。
「何か一つ、続けられそうなものを見つけるんだ。何となくでいい…。ダラダラしちまうことがあってもいい…。それでも、何かを1000日お前が続けられたら、それは、他の誰にも真似できないお前の特技になる。格好良いやつも、話が面白いやつも、その1分野で、お前よりも目立つのはかなり難しくなるぞ…。それで、もっとお前が目立つようになりたいと思った時に、『更にあれをしてみよう、こんな工夫をしてみればいいんじゃないのか』ってのが、勉強してると、見えてきやすくなるんだ」
それから父はにっかりと笑い、「それが俺にとっては、工場とか、溶接だったってわけよ!」と力強く言った。
溶接機、プレス機、切断機、それぞれが問題なく使用できることを確認して、俺はコーヒーを淹れた。これも、各種設備が問題なく作動するかを確認した後のルーティーンだ。
スーパーで1番安い粉のコーヒーを雑に溶かして飲んでいた朝の一杯は、ある日、父がコーヒーに興味を持ち出してから、酸味のきいた海外メーカーのドリップコーヒーに変わった。香りはいいし、後味もスッキリしているが、店頭に並んでいない豆のため、今では通販で購入を続けている。
……もし通販が進化してなかったら、しょっちゅうコーヒー豆の専門店で、長ったらしい英語表記のブランド豆を取り寄せしなきゃいけないところだった。親父は、あの不愛想な顔で、よくもまぁ、取り寄せ注文を続けてたもんだ。
町工場という言葉の認知度は、思っていたより高いが、溶接という仕事を知らない人は多い。溶接は、大枠としては、金属と金属を溶かしてくっつける仕事だ。金属製品の大部分は金属板からスタートするため、切って、穴を空けて、曲げて、溶かして、くっつけて、表面を削り取って、塗装する。その工程の中でも、溶かしてくっつける部分を溶接と呼ぶ。
この工場にある溶接機は「半自動溶接機」と呼ばれている、1番汎用性が高い設備で、価格が安い。鉄の溶接が得意な溶接機ではあるが、ステンレスの溶接にも使うことができるという優れものだ。
パチパチパチ…。
特有の溶接音。溶接作業は、作業中に発生する光が、目を駄目にするほど強い。そのため、溶接作業をする時には、目を守る専用のゴーグルが必要だ。ゴーグルは、ほとんどの光を遮る作りになっており、溶接光が発生するまで、視界はゼロになる。
青白く強い溶接光が発生すると、ゴーグルをしていても、光の周囲数センチを見ることができ、それが全ての視界となる。真っ暗と、淡く小さい光の世界を繰り返していると、まるで漫画で見た「あの世」みたいだ。
結局、俺は高校を出席日数ギリギリで合格して、大学に進学することにした。「勉強は意味がない」なんて言ってサボっていた俺の過去を、誰より俺が知っているため、大学に駒を進める時には、多少の矛盾を感じてはいた。しかし、合格者が発表された時に、掲示板に張り出された受験番号が目に入った時には、とても安心したのを覚えている。
父に電話で、合格したことを報告すると、「落ちると思ってたのに、運がよかったんだな…」と、減らず口をたたいていた。それでも、減らず口の奥で、喜んでいるのが伝わってきたため、俺も少しだけ、嬉しくなった。
その後、大学生になった俺は、高校時代を反省することもなく、平均より少しだけ高い学力を維持しながら、人並みに大学生ライフというものに準じた。
人並みに参加した新入生歓迎会で、ありったけの大学生っぽさを感じることができたスノーボード部に入部。冬になるとスノーボードに行ったり、文化祭があれば一緒に準備した女の子を好きになったり、失恋したり、それを友達と語らったり…と、それなりに毎日を忙しく過ごしていた。
……数年前には、ゲームセンターで4時間テニスゲームの腕を磨いて、全てのステージをクリアしてたわけだから、あの頃と比べれば、人生を謳歌してると言っても過言じゃないでしょ?
しかし、俺は、大学生特有のバカ騒ぎに準じながらも、どこか心が乾いているような気がしていた。正確には、俺は「高校の頃に想像していたよりも、大学生って、とてつもない何かが見つかるものじゃないんだな…」と、少しだけ刺激的な何かが飛び込んでくるのを待っている自分に、まどろっこしさを感じていた。
そんなある日、俺は友人から「漫画家になろうぜ!」と声をかけられた。しかも場所は食堂の真ん中で、だ。いつも混雑しているため、俺の食堂利用の頻度は少ないため、珍しく食堂で昼ごはんを食べていたのが目立っていたからなのか、理由はわからないが、突然の勧誘に対して、俺は目を見開いた。「何で?」と尋ねると、友人からは「儲かりそうじゃん!」と返答があった。
適当な相槌を打ちながら数秒後に忘れるという選択肢もあったが、乾いていた俺の心は、少しだけ潤った。何より、ダラダラと長い説明ではなく、簡潔でわかりやすい「儲かる」という説明は、笑ってしまうくらいに俺のテンションを上げた。俺は「いくら稼ぐの?」と聞くと、友人は二ヤリと笑って、「7億円」と答えた。
その日のうちに、俺は友人4人と、ペン先が二股に分かれている漫画を描く専用アイテムで、「Gペン」と呼ばれるペンを購入した。俺は、何もなかった人生に「何か」が見つかったような心持ちになり、Gペンを購入した計5人は勇んで、家路についた。
突然、漫画家志望になった友人たちは、何の根拠もない自信に満ち溢れているように見えた。既に大作家のように、漫画を読みながら「ストーリーの展開がどう…」「キャラクター性がどう…」と批評した。自覚がないだけで、もしかしたら俺も同じように、根拠のない自信に満ち溢れた表情で、漫画について言及していたのかもしれない。
よくテレビでスポ―ツを観ている父が、「フォームを変えたのが裏目に出た…」とか、「今のは2塁まで走れたはずだ…」と批評していたのを思い出した。同時に、俺が「どうせ日本は、これから景気が回復するなんてことはねーよ…」と、くだをまいていた時には、「知った口を叩くな」とゲンコツが降ってきたのも思い出した。今思い出しても理不尽だ。
Gペンは日頃、使う機会が多い鉛筆やマジックと違い、1本の線に強弱が生まれる。そのため、均一な線を描くことができないことに加え、インクに浸けて扱うペンなので、インクが方眼紙にこぼれ落ちるといった、アクシデントに見舞われやすい。
難しくはあるが、俺はすぐコツを掴んだ。…気がしていた。
これは父の影響で、俺が子供の頃から、溶接に触れる機会が多かったからだ。溶接は、溶接トーチという大きな「大きなシャープペンシル」のような設備を使う。トーチから出てくる溶接棒を、溶かすべき場所に近づけながら、強弱を意識して絵を描くように溶接を行うのが基礎中の基礎だ。
溶接をする度に「才能がある」と父は褒めてくれていた。そういえば、「溶接は3次元のお絵描きみたいなもんだ!」と父が話しており、溶接トーチを握る俺を、誇らしげに眺めていた。
Gペンをインクにつけ、疲れたらタバコに火をつけ、ダラダラと話す。大学生は、時間割を自分で組むことができるため、時間の融通がききやすい。
1番大学から近い友人宅で、入れかわり立ちかわり、友人5人はGペンを握りながら、方眼紙に絵を描き続けた。その日は、俺と、同じ学課の友人の計2人は、狭い四角机に対面で座りながら漫画を描いていた。
すると、友人がポツリと、「なぁトモヤ…。何で人は、簡単に自分の頭で考えることを放棄しちゃうんだと思う?」と話しかけてきた。
「え、何?世間への問題提起みたいな内容のストーリーにするわけ?」
「ちゃかすなって…。これは漫画じゃなくて、世間話し」と友人は二ヤリと笑った。
「つまり、何を、世間の皆さんは、自分の頭で考えなくなるって?」
「…思うんだよね。明らかに、就職しても、頑張って働いても、年間で稼げる金額って数百万円ぐらいじゃん。それだったら、一発あてて1億円とか稼ぐチャンスを狙った方が、断然お得な気がするんだけど、どう?…て話し」
俺は、「ふむ…」と適当な相槌を打ちながら、友人の方に目をやった。既に人気漫画家のような風貌だ。俺はすぐに人や環境に影響されてしまう自分の性格を、人並みに把握している。そのため、同じように、すぐに影響される人や、すぐにその気になる人と仲良くなりやすい。
友人の問題提起に対して、俺は、「別に『人生をかけて向き合うもの』が漫画とは限らないだろ?俺たちって、よくダラダラ漫画を読み続けてるじゃん。漫画本なら、何時間でも読んでいられる。特に思い切ってなくても、ダラダラと続けられることが『向き合うべき何か』だって、気が付かないこともあるよ…」と言った。
父のセリフを、ほぼ、そのまま活用していることも把握していたが、俺は、さも自分の言葉のように話し、さらに続けた。
「俺、実は、別にスノーボードが好きってわけじゃないんだよね。いや、だったら、スノーボード部に入部したの、おかしいだろって意見もわかるんだけど、わかりやすく『青春』を感じてみたかったんだよね」
……大学生が数人で「スノーボード行こうぜ」とはしゃいでいたら、誰がどう見ても、人生を謳歌している大学生だってわかるでしょ。
俺は続けた。
「俺、子供の頃から親父の影響で溶接とかすることが多くてさ…。溶接できるなんてすごいとか、近所のおっちゃんに言ってもらえるんだけど、別に楽しいと思ってたわけじゃないんだよ…。工場って暑いしね。でも、褒めてもらうと嬉しくて、気が付いたら、『他人は、溶接をすると凄いと思ってくれるし、やっておくか…』とか、考えるようになったわけだ…。これも、実はあんまり自分の頭で考えてるわけじゃない気がするんだよ…」
聞き上手な友人は「そうなのか?その割には、ボードやりながらキャッキャしてるじゃん」と丁度良い反応をしてくれた。そのまま、「ボードも、その溶接ってのもさ、最初は他人の目を気にしてスタートしたものだとしても、『楽しみ方』がわかって、続けてるのは自分の頭で考えた結果なので、自分の頭を使ったものとする」と続けた。
「それを良しとしたら、大体のことが、自分の頭を使ったってことになるぞ」と俺が言うと、友人は「別の思考停止の事例はないのか?」と切り返した。俺は、丁度良い塩梅で、反応が返ってくると、話しを切ることができない。
「そういえば、高校生とかでさ、たまに無視される奴とか、いるじゃん」
「そうだね、必ず数人はいるよね…」
俺は、自分で話し始めたにも関わらず、随分唐突に話題変更したものだと思った。しかし、友人の相槌に乗り、俺はスラスラと話しを続けた。
「高校1年生だった時にさ、割と仲良かった奴が『空気読めない』って無視され始めたんだよね。それで、『俺だけは無視とかしない』とか、最初は綺麗事を言ってたわけ…」
「へぇ~、トモヤっぽい…」
「でも、何人かで飯食う時に、そいつ、俺に話かけてこなくなっちゃってさ。わざわざ、そいつの席に行って、俺が話かけるのも不自然だし、結局、徐々に俺とそいつは話さなくなっていったわけ…」
「そっか。たまに、そういう話って聞くね…」
「それで、たまたま俺が1人で帰ってた時に、そいつがいたんだよ。だから、声かけたんだ。普通に。いつも話す友達みたいに。お~い、今帰り?…みたいな…」
「おー、いい話じゃん」
……本当に相槌がうまい。特に話を遮るでもなく、過剰に共感するわけでもなく、ベストな温度感の相槌を的確に打ってくる。これって一つの才能なんじゃない…?
俺は片方の眉毛を上げて、「たぶん、お前みたいに、いい話だと思うやつらばっかりだったら、戦争とか、おこらないのかもしれないんだけどさ」と言い、「そいつにとっては、しばらく距離をあけちゃった俺は『自分を無視した集団』の一人だったんだよね…」と続けた。
話しのトーンが少し陰ってきたのを察して、友人は、少しだけ真剣な表情でこちらを見つめた。
「そいつが言ったんだよ、『今更、何を話しかけてきてんだよ』って」
俺は、皆と一緒に無視し始めたわけではない。友人の輪から勝手に離れていってしまったから、話すタイミングがなかっただけなのだ。
でも、俺は、もしかしたら無視すると決めたクラスのやつらから、「何で、お前アイツのこと無視しないで話しかけてるの?」とか、絡まれることを恐れていたのかもしれない。俺は、思い出して自己嫌悪することが度々あった。思い出というのは、唐突に出てくるくせに、すぐに消えないからやっかいだ。
「『空気読めないから無視することに決めたんじゃんーのかよ!』とか、キレられたから、そんなことばっかり言ってるから孤立するんだよ…とか、俺も言い返しちゃったわけ。そんなことがあって、その後、1ヵ月後くらいにはクラスでもっと孤立してたんだよ。たまに教科書をクラスメイトに隠されたりしてさ…」
俺はGペンのかわりに、握ったタバコに火を付けて、軽く煙を吸い込んで、煙を吐きながら話しを続けた。「最初は野球部の奴らが、ちょっかいだしてさ。そのうちそれを見た他のクラスメイトが、真似はじめてさ。嫌がらせしていいってのが皆の『共通認識』になって、思考停止しちゃったんだよね…」と言うと、吐いた煙が、少しだけ目に入り、視界に靄がかかった。
話を聞いていた友人はGペンをクルクルと回しながら言った。
「俺が、もしトモヤと同じ立場なら、次の日から『あいつ無視しようぜ』ってクラスで言いまくる集団に入っちゃうだろうな…」
「…それは…、そうかもな」
「いや、そこは『お前は、いい奴だから、そんなことねーよ』って止めるところじゃない?まぁ、ハッピーエンドとは言えないかもしれないけど、それはそれで、仕方がないじゃん」と友人はノンビリとした口調で言った。
俺はノンビリした口調に引きずられ、緩やかな口調で、「まあ、確かに仕方がねーな。これは、さっきの思考停止の話しの、一例としてあげたんだからな…」と答えた。
答えると、俺は、自分の過去を語っていたことが、急激に恥ずかしくなり、「あ!てゆーか、俺なんか、食堂のおばちゃんに唐揚げ定食を注文したのに、カツカレーが出てきたときでも、『ふざけやがって、空気よめねーな』じゃなくて、『ありがとうございます』とか言っちゃったし!聖人じゃない?もはや」と冗談っぽい口調で話した。
友人は、ぎゃははっ…と笑うと「マジで?やばい!聖人!キリスト」と連呼した。それから、「それで?そのキリストは教科書を隠されたやつと、どうなったのよ?」と聞いた。
「その後は、話すことも特になかったし、目を合わせることもなかったかな。教科書を隠されたり、飛び蹴りとかされてるのを遠くから眺めて、たまに『自業自得だ』って思いながら、暮らしてた。…それで、ソイツは数カ月後くらいに、学校に来ななりました…と」
俺は、顔を上に向け、お手上げといったように手も軽く頭上にかざした。
……そうか。俺は、それから、ずっと自分に言い聞かせていたんだ。俺のせいじゃない、俺のせいじゃないって。俺は無視し始めたわけじゃないし、何もしてない。俺は何も悪くないって。たまに思い出す度に、呪文みたいに、繰り返してたんだ。
俺は「きっとソイツ、今も俺のこと、忘れてないんじゃねぇかってたまに思うんだよ。人生を滅茶苦茶にした登場人物の1人として、今でも恨まれてるのかなって思うと、ちょっと怖いじゃん」と言った。
友人は俯き気味に話す俺の顔を眺めながら、「しょうがねーじゃん」と言った。友人もタバコに火をつけ、「それで?キリスト様は、1人の人生を潰したのを、俺のせいだ…とか、ずっと悩んでたわけ?それも思考停止の話し?」と言った。
軽いトーンで話す友人の言葉からは、悪意を感じない。聞き上手という言葉があり、「相槌を打つ」「人の目を見る」「意識して高い声を出す」など、いくつかのハウツーがあるとされているが、俺は、「相手が丁度ほしがっていたテンションで返答をする」ことが重要なのだと気が付かされた。
俺は、勝手に昔話を始めて、少しだけ暗い気持ちになっていたが、少しずつ心が軽くなっていくのを感じた。
「実はさ、…悩んでもしょうがないから、俺も学校行くのやめたんだよね」
「は?」友人は目を丸くした。
「つまり、ソイツの1週間後くらいに俺も登校拒否を始めたわけ…」
「え!何で?トモヤまで?意味がわからない…?」
……そりゃそうだろうな。俺も自分でも意味がわからなかったもんね。当時も、今も。そういえば、親父に、「サボってもいいけど学校を辞めるな」とかって言われたんだっけ。卒業だけはした方がいいとかってね…。
俺は「喧嘩両成敗…て感じ?…ていうか、単純に学校ってつまんねーなってサボることにしたんだよ」と言った。
友人は一呼吸おくと、手を叩いて、笑いはじめた。
「おい、何笑ってんだよ」
「いや、ごめん。キリストっつーか、もはや釈迦じゃん。キリストと釈迦ってどっちが偉いのかわかんねーけど。なんか仏教っぽくない?そのノリ」
友人はしばらくそのまま笑い続けた。ひぃひぃ言いながら、苦しそうに笑い、「お前ってもう、漫画描く必要ねーよ。どう考えても、お前の人生の方が漫画っぽいもん」と大げさに手を叩いた。友人が「3D漫画!」「実写漫画!」とゲラゲラ笑うのを見て、俺は「うるせーな」と言いながら、顔を見合わせ、一緒に笑った。
……もしかしたら、夢中になれるものは、俺の人生で何も見つからないかもしれない。でも、今回の漫画だけは最後まで描こうかな。せっかく自分の頭で考えて決めたわけだし。
ストーリーはどうしよう…。友情の大切さに気が付かされる感じのストーリー?主人公の武器は何がいいかな。溶接トーチが武器とかってどうだろうか。無骨なクソ父親から受け継いだ溶接トーチで、バッタバタと敵を倒していく冒険活劇にしよう。
俺は一息ついて、タバコの火を消した。
タバコは何となく吸い始めて、何となくやめる機会もなく、吸い続けている。友人に聞くと、昨今の喫煙離れのタイミングでタバコをやめたという意見が多いが、俺は職場でも吸い放題の環境のため、未だに喫煙者で、おそらくこれからも喫煙者だ。
……そういえば、親父は赤色のLARKを吸ってたっけ。俺が初めて買ったタバコはMARLBOROだったけど、親父と同じ赤色のパッケージが気に食わなかったから、結局、緑色のタバコを探した。いきついたタバコがKENTだ。
溶接作業の後は、溶接した金属板に熱がこもっているため、すぐに次の作業に移ることができない。そこで一服するのは、俺のお決まりのルーティーンだ。
今さっき溶接された厚さ2ミリの金属板2枚は、美しい「ビード」と呼ばれる溶接の痕を境目にして一つになった。ガチャンと大きな音をたてながら、小型クレーンに吊るした金属の塊。今クレーンに吊り下がっている金属の塊の溶接部の、熱が入ってしまったため少し捻じれてしまった部分を修正してトラックに積む。これで今日の作業は終わりだ。
俺はタバコを持っていた右手に、再び溶接トーチを持った。
俺は、溶接トーチを武器に戦う主人公が、友人と一緒に試練を乗り越える、自称傑作の漫画を36ページ描ききった。当初、一緒に盛り上がり、Gペンを買いに行った友人は、結局、俺以外の全員が途中で飽きて、漫画の話しなど忘れていってしまった。俺は、大学生がノリで描くには大きな手間暇をかけた自称傑作を、念のため、自分の電話番号を貼り付けて大手出版社に送り付けた。そして、それっきりだ。
1本の漫画を描き切って満足した俺は、その後、漫画家を目指すわけでもなく、人並みにサークル活動に精を出し、人並みに就職活動に精を出し、大学生活を駆け抜けた。
……記念にコピーして、とっておけばよかったな。
バチバチバチ…
溶接は、溶接棒と金属板がくっついてしまうと、うまく金属は溶けていかない。悪い視界の中で、トーチと金属板の距離を保ちながら、ペースを保って腕を動かすのは難しい。そのため溶接は、元号が変わっても専門技能や、手に職などと言われている。
元号が変わる前にも、溶接は専門技能だったが、大学を卒業した俺は溶接を選ばなかった。理由は特にないが、「いいか。金属を溶かしてくっつけるのは、いい加減な塩梅がいいんだよ。いい加減は良い加減ってな!」と、自前のギャグを連発する父を見ていたため、同じ進路を目指すことに抵抗があったのかもしれない。
「親父の時代は良い加減が大事だったかもしれないけど、今は全部、数字を見せろってのが主流なんだよ」
「例えば、何を数字で見せるんだ?」
「この商品に、どれだけの人が興味を持ったかとか、どれだけの人が購入したのか、前年度よりも何%多く売れました…とかかな」
父は心底つまらなさそうな顔をして「商品が売れたら10ポイント、早起きできたら20ポイント…ってか?つまらなそうな話だな」と悪態をついた。
「つまらないとか、つまるとか、そんなんじゃ飯を食えない時代になってきたんだよ」
「数字よりも重要なことはたくさんあるぞ」
「へいへい。そうですね」
人並みに就職活動を経て、俺は、次の自分の居場所として、マーケティングの会社を選んだ。社屋が白塗りで、深夜のコンビニのようにピカピカと明るくて、受付の女性は顔立ちの綺麗な人が多かった。
大手スーパーなどに置いてあるカタログを作り、実際にカタログに掲載されている品物を手配する仕事で、前年度の顧客情報などから、売れ筋の商品を見定めていくという仕事。予想通りに売ることができれば、それなりに誇らしく、予想に反して売ることができなければ上司に説教をされるという仕事だ。決して定時で終わるホワイトな環境ではなかったが、俺は「なにくそ」と、目をこすりながら、商品情報に目を通して、日々を送っていた。
……そういえば、「一生懸命に作ったものを納品して、価値を感じてもらってから、お金をもらうのが商売だ」と日々、親父から聞かされ続けてたな。面接の時に、「価値を感じてもらうことに重点を置きます」と、意気揚々と回答してたっけ。
父の、ものづくりへの愛情はかなり深い。俺は当時、その愛情は、昔の職人が持っていたもので、現代社会には適応しないと考えていた。就職活動の最中には、仕事への過度な愛情が、企業の進化を妨げているような気さえしていた。
しかし、そんな社会人生活も3年程度が経過した頃、俺は、就業後に父が居る工場に足を運ぶようになっていた。とくに理由もなくだ。
夜に工場に立ち寄り、何となく父の溶接作業を手伝う。多くの金属構造物を仕上げるのを手伝い、作業を修了し、工場のドアを閉めて1日を終える。
帰り道に父はよく、「お前もやっぱり男の仕事に目覚めたか」と肩を揺らして笑いながら、決まって、缶のミルクティーを手渡してきた。俺が缶コーヒーよりも缶ミルクティーが好きで、夏でも冬でもホットは選ばず、アイスで飲むという細かなクセを覚えていたのか、手渡されるミルクティーは必ず冷たかった。
手渡される缶を持つ父の手を見て、小さい頃に怯えていたげんこつもずいぶん歳を重ねたものだと、俺は感じていた。未成年の時にタバコを吸っているのが見つかり、げんこつ。夜中まで遊んで家に帰るとげんこつ。たまに俺がつけたわけでもないテレビの音に「やかましいぞ」とげんこつをくらうなんて、えん罪もあった。父のげんこつが、しぼんでいくことに、俺は少しだけ寂しさを覚えた。
そんな父の手が、ある日、「おい」と俺の背中を叩いた。
父は、マイペースに生きているように見えるが、人に声をかける時には、周囲の音が途絶えた一瞬をしっかりと狙う。
工場は基本的に、何かの設備が稼働しているため、声が通りにくい。そんな中、クリアに聞こえてきた父の声に、びっくりしながら振り返った俺に、「お前はなんで毎日、夜に溶接をしに来るんだ?」と不思議そうな表情をした父の顔があった。
俺は、「あぁ、雑貨とか作ろうかと思って…」と曖昧に返答してはみたが、既に仕事がある上に、毎日のように帰り道に、工場に立ち寄り、どちらかといえば重作業である溶接仕事をするのは明らかに不思議だ。
父からは見透かされたように「お前もついに、溶接仕事の魅力に気づいたか…」と聞かれた。多少優しいトーンの言葉尻には、父なりの喜びがあったのだろうか。
俺は「別に」と曖昧に答えた。
俺はマーケティングの仕事が嫌いなわけではなかった。毎日パソコンと向き合っているのは、よりよい提案書を作成するためで、ハキハキとした声で返事して、たまに上司の話しに相槌を打つのも随分慣れてきた。
ただ、返り道に工場の光が見えると、フラッと立ち寄ってしまうだけで、溶接仕事に特別な想いがあるわけでもなかった。
……俺って、前世は光に群がる虫だったのかな。
そもそも、高温のトーチで、金属板を溶かす溶接仕事は、とくに夏場は体力面でかなり厳しい。加えて、最近の町工場は輪をかけて不景気だ。実際に、リーマンショックや大震災による不景気のあおりで、都内の町工場は次々と店じまいしているのも、人並みに知っている。
たまたま父の工場は、鉄ではなくステンレスの溶接も対応していたのが功を奏して、小さい溶接工場の割にはステンレス市場と同じように、山も谷もブレもなく、続けてくることができただけだ。
俺は、そういえば、何故、父は溶接工場を始めたのかと不思議に思い、珍しく俺の方から声をかけた。すると父は「理由なんかないぞ」とぶっきらぼうに返答した。俺には、何で毎日溶接しにくるんだと質問しておいて、父には毎日溶接をすることにした理由がないのは、不平等に感じ、俺は食い下がった。
「溶接してる理由を、人に聞いおいて、自分は溶接をやってる理由がないってのは、ずるいんじゃねーのか?」
「ずるくはないだろうが。理由はなくても溶接はできるんだよ」と父は答え、「理由はないが、お前が理由なく溶接しているのとは、わけが違うぞ」と付け加えた。
「何が違うんだよ…」
できるだけ腑に落ちてない様子を前面に出した口調で食い下がると俺に、父は「何となく溶接しているわけじゃないってことだ。凄腕になると今日よりも凄いものが、明日になると作りたくなるんだよ」とニヤリと口の左端を持ち上げた。
「それの何が、理由なく溶接している人と違うんだよ」
「うまく説明できねぇが、お前と違って、そこにはな…」
父は腕を組んで、数秒間、息を止めると、「男のロマンがあるんだよ」と、自信ありげに含み笑いした。
どこか頼もしく笑う父の溶接は、確かに美しい。ステンレスを溶接する時には、溶けた金属が酸化するのを防ぐために、酸素を弾くアルゴンガスを吹きつけながら金属を溶かしていく。工程は鉄の溶接より面倒くさいが、ステンレスは錆びにくい特性があるため、食品工場などからの需要が多い。
以前は、「同じもの作ってるのに、昨日より凄いなんてことがあるのかよ…」と思っていたが、毎日溶接に触れていると、一昨日も、昨日も、経験が肥しになり、溶接が上手くなっていることを実感する。
俺は、父の溶接ビードを眺めながら、「俺だって理由がないまま溶接してるわけじゃない…」と言った。
「何がだ?」
「俺さ、多分、自分が前に進んでるって知りたいだけなのかもしれない」
「ん?何の話しだ?」
父は怪訝そうな顔でこちらを向いた。自分は前置きなく話しかけてくる割には、人が前置きなく話しかけると、父は力いっぱい怪訝そうな顔をする。
「親父が聞いたんだろ?しょっちゅう工場に溶接しにくる理由は何だって…」
「おう、聞いたな。それが何なんだ?」
俺は一息あけて、「うまく説明できねぇけど、『男のロマン』は俺にだって、わかるってんだよ…」と答えた。しっかりと父の目を見て。
鏡で見たわけではないが、多分俺の顔は口の端を持ち上げてニヤリと笑っていたはずだ。父の笑い方と同じように。父は、はっはっはと嬉しそうに笑い、「まあ、そんなことだろうと思ってたぞ。結局は溶けて固まらないと、人生は前に進まないんだ」と知ったような口をきいた。
そういえば、父は、俺が子供の頃から、「溶かしてくっつけるのが仕事だからな」とよく自分の仕事を色々な物に例えた。近所の居酒屋で喧嘩を仲裁した時にも、突然思いつきでクッキーを焼いていた時にも、得意げに「溶かしてくっつけるものなら任せておけ」と胸をはっていた。
溶接は溶かしてくっつけるが、くっつけただけでは駄目だ。しっかりと二つの金属を溶かして、一つの金属にしなければいけない。両方の金属の端っこが、しっかりと溶けていることが重要だ。
できあがった構造物の表面の状態は悪くない。俺は20個クレーンに吊るした金属構造物を一つ手に取って、金属を曲げる「プレス」設備に挟んだ。プレス機で一つ曲げて、試しに壊すのはもったいないが、溶接が成功していない構造物は曲げようとすると、途中で折れる。もし溶接が成功しているのであれば、途中で折れずに曲がる。
俺は、今日の自分の溶接には自信があった。一つひとつ美しい溶接ビードが引けたし、集中して全部の溶接を行うことができたからだ。ギギギ…と音を立てて、曲がっていく溶接構造物は、180度近く折れ曲がったが、特に折れることもなく、綺麗に湾曲していった。
……ほらね。
俺は、20個のうち1個を、試しに曲げてしまったため、新たに1個分の溶接を始めた。トーチからはパチパチと音がする。音よし、腕も思った通りに動いている。俺はゴーグルをかぶり、再び、溶接光と真っ暗の2色しかない世界に没入した。
久しぶりの実家のドアを開けると、母が素早く反応し、「あら、トモヤ?どうしたの、今日は仕事休みなの?」と言った。
「うん。連休にしようかと思ってるから、今日、明日はこっちに泊まるよ」「いつも連絡なしに急に来るんから…」
久しぶりに足を踏み入れた実家は、俺が暮らすワンルームよりも広い。階段の手すりの横には、子供の頃に俺が描いた汚い「怪獣の絵」が飾られている。1年2組と書いてあることから、6歳か7歳の俺が描いたようで、インテリアとしてはイマイチだ。しかし、子供の頃から毎日視界に入っていた絵のため、家と一体化し、最初からそこにあるようにも見える。
家に入ると、クッキー缶があった。自分では、あまり買わないクッキーがロール状になっていて、お土産の定盤として、よく見るクッキーだ。「これ食っていいの?」と聞くと、母からは「夕飯食べるならほどほどにしときなさいよ」と返答があった。ガコッと、クッキー缶をあけると、美しく詰まっている様々な形状のクッキーが多数。俺は丸いのと、スティック状に丸まったクッキーを開けて、頬張った。
少しすると、2階から、「あんた時間あるんだったら、ちょっと、お父さんの部屋を掃除してあげて!片づけしたいんだけど大変なのよ…」と母の声が聞こえた。
「ん?ああ、別にいいけど」
「助かるわ。全く、お父さんったら、時々思い出したようにバサッと全部捨てるのに、それまでは『いつか使うかも』とか言って…」とブツブツと独り言のような母の声が聞こえる。俺は階段を上がり、父の部屋にいる母を見つけた。
「うわー。汚れてんなぁ、親父の部屋」
「結構前からよ?あんた実家に帰ってくるの、本当に久しぶりなのね」
「多分10年は経ってないんじゃない…?」
俺は、父が何袋ものポリ袋に物を詰めて捨てる場面を何度か目にしたことがある。何でもキッパリ捨てる印象のあった父だが、父の部屋は、たくさんの物で溢れていた。
父は服装に頓着がないタイプだったため、服の量こそあるが、ほとんどがスウェットやワイシャツなどで、もちろんノーブランドだ。木製の写真たてが数個、小型の本棚、太宰治の書籍が30冊くらい、ビートルズCDやら、登山を勧める本がズラリ。スキー板、将棋盤、恐竜模型、大きな音響機器、比較的美しい状態で、魚捕りと描かれた網なども、たてかけてある。
「親父って、登山が好きなのは知ってたんだけど、川魚とか捕まえたりしてたのかな?」
「1人で魚捕まえてるわけないでしょ。あんたが欲しがったんじゃない、覚えてないの?」
「え、俺が?」
「あんたが、ワガママ言ったから、お父さんが、わざわざ買いに行ってくれたんじゃない。全然覚えてないわけ?」
「全く覚えてないな…。俺が魚捕りたいって言ったってこと?」
「そ。魚を捕って観察したいってね。この世の終わりみたいに深刻な顔しながら言ってたんだから、お子様は気軽でいいわよね」
大きな音響機器を両手で持って、階下に消えていく母の姿を見送りながら、俺は父の部屋を改めて一式眺めてみた。クッキー缶を抱えて2階に上がった俺は、中のクッキーを次々とほうばり、真ん中にジャムが乗ったクッキーを手に取った。口に入れると、硬いクッキーに、ほのかなジャムの香りが口中に広がる。
……そういえば、俺、ジャムが乗ったこのクッキーが大好きだったな。よく夏になると、このクッキー缶が家に置いてあって。蓋が硬くてあかない時には、父や母に持っていっては「手伝ってー」と助けを呼んだりして…。
俺は父の部屋に飾られていた家族写真を手にとった。
……いつもジャムが乗ったクッキーだけ、親父がとっておいてくれたな。これはトモヤにやろうとか言ってさ。ジャムの乗ったクッキーだけは、必ず自分が食べられるから、嬉しくて、何個も口に入れて、むせた俺を見て父は大笑いしてた…。
俺は、頭の中の遠いところにあった記憶に色がついてくるような感覚を覚えた。
……そっか。魚捕りの網って…
「川魚をとりにいきたい!」ふと、子供の頃の俺が頭の中で叫んだ。
小学校で、友人がハヤという魚を、田んぼの溝で捕ったと自慢していたのだ。夏休みの宿題の観察日記は、ハヤの成長を記録するのだと、友人は得意気に話していた。
俺は、それが羨ましくって、自分もハヤを捕って観察日記をつけよう思った。ハヤは田んぼや川にいる魚だと聞いて、父と一緒に捕りに行こうと思っていた。
家族で夕飯を食べながら、俺は何度も言った。
「ハヤを田んぼで捕って観察したい!」
父は笑いながら「田んぼで捕るなら、田んぼ作業が始まるよりも前に、早起きして捕りに行かなきゃいけないぞ」と言った。
「起きられるよ!」
「いつも昼前になっても起きないくせに、起きられるのか?朝すごく早いんだぞ?」父がそう言うと、近くで聞いていた母も父に続いた。「いつも放っておくと、10時まで寝ているあんたが、田んぼ作業が始まるまでの、朝5時とかに起きられるわけないでしょ?目覚ましを、かけたくらいで起きられるの?魚が捕れたっていっても、あんた本当に飼えるの?」
「飼えるよ!」
俺は、口をとがらせた。早起きの証明のために、目覚ましを三つもかけて、その夜は眠った。しかし、結果的に次の日、俺が目を覚ました時には、とっくに皆が朝食をすませて、10時から時計が半分もまわろうとしていた。
「あらあら、今日も壮大に寝坊して。早く朝ご飯食べちゃわないとせっかくのお昼食べられないわよ」
「ご飯は何?」
「もうお昼になっちゃうから、朝食パンだけにしなさいね。お昼はハンバーグを食べに行きましょうか」
「やったあ!」
俺は急いで朝ご飯のパンをほうばった。
パンを食べ終わり、ソファに寝ころび、ぼんやりテレビのチャンネルを変え続けているうちび、ふと、俺は父がいないことに気がついた。
「あれ?お父さんは?」
「買い物に行くって言ってたけど、すぐに帰ってくるんじゃない?」
「ふうん」
母の言った通り、父は間もなく帰ってきた。
「ただいま。これ見てみろ」
「え。なになに?」俺は玄関に駆け寄った。
「魚捕りの網だ」
わあーと歓声を上げた俺に、父は俺以上に嬉しそうに笑いながら「これさえ使えばハヤなんて捕り放題だぞ」と言った。
青と黒の持ち手と大きくて立派な網。俺は喜び、小躍りしながら玄関を駆け回った。
翌日、俺はきっかりと朝5時に起きた。というより、目覚ましの5時よりも5分早い4時55分に目を冷ました。
父と母の耳元で「起きて」と叫び、目をこすりながら「お昼ごはんまでには帰ってきなさいよー」と見送る母を背中に、父と俺は「はーい」と返事して、近所の田んぼまで急いだ。
俺は、田んぼの周囲を囲む水を通すための溝と、川と海に生息する魚の区別がついていなかったせいか、ハヤはもちろん、海老も、タイも、イカも、もしかしたらトビウオなんかも捕れるかもしれないと期待していた。そのため、田んぼの溝を改めて目にした時には「こんなところ、あめんぼしか住んでないんじゃないか…」と不安になった。
ハヤは視認できなかったとしても、土と同化して、その場に居ることもある。そこで、魚とり網で水路をふさいで、上流からバチャバチャと、足踏みしながら、網のところまで追い込むことで捕る。俺は、できるだけ大きな水しぶきがあがるように、田んぼの溝でバチャバチャとジャンプした。土をふんだんに含んだ水が舞い上がる。
額から流れる汗と、舞い上がった水がかかり、腕で何度も拭っても、泥だらけになることに半ばあきらめかけた時、父が、「ちょっと網の方を見てみろ」と声をかけてきた。 俺は網の方に目線をやった。すると、網がもごもごと動いているのが見えた。
「ハヤが入ったのかな?」俺は、大きな声をあげながら網にかけよった。
「ハヤは?いた?捕れた?」
父は俺が駆け寄ると、網を持ち上げニッと笑ってみせた。
「見てみろ」
「うわ!動いてる!何が捕れたの?ハヤ?」
土まみれの網に包まれピチピチと動き回る獲物に、俺は興味津々で近づいた。紛れもなく魚だ。俺が手で掴もうとしたら、土と魚特有のドロっとした感覚が手に伝わった。
手で掴んだ瞬間に「ビチビチビチッ!」とものすごい速さで暴れまわる魚の動きに、俺は「うわぁぁ!」と大きく後ろに飛びのいた。飛びのいただけではなく尻もちをつき、魚が田んぼに勢いよく吸い込まれていくのが見えた。
父は目を丸くする俺を見て「はっはっは」と口を大きくあけて笑った。
「ハヤは小さいけど、元気だろう。まだ数匹、網に居るから、今度は逃さないようにな…」
「ハヤ…小さいのに凄いスピードで動いてた…」
父が持つ網の中でビチビチと、暴れるハヤを俺は遠巻きに見つめた。すると、父は力強く網からハヤを一匹取り出して、グンっと俺の目の前にもってきた。
「うわぁぁぁ!」と驚き、俺はまた田んぼの溝に座り混んだ。座り混むと同時に、父の手の中からツルっと出てきたハヤは、また水の中に消えていった。父はそれを見て、また大笑いした。
「あー!また逃げちゃったよ」
「心配しなくても、田んぼの溝に居ることがわかったから、網さえ仕掛ければ、いつでも捕れる。トモヤも捕ってみるか?」
父はニカッと笑った。
数分後、再び網を構えて上流で俺がバチャバチャ暴れると、確かにハヤは案外簡単に捕れた。
「捕れたよ!どうしたらいいの?」
「いいぞ!バケツに入れろ」
「どうやって?え!掴むの?」
「当たり前だろう」父は平然と答えた。
俺は、ヌメヌメしたハヤを手で触るのが少しまだ怖かった。しかし、力強く握りすぎると、ハヤが潰れてしまうのではないかと不安になった。おそるおそる何度も手から滑り落ちるハヤを掴んでバケツに入れる俺の作業を眺めながら、父は「はっはっはっ」と笑った。
「お前、ハヤが怖いのか?」
「別に怖くはないけど…」
そう言いつつも、俺は手を近づける度に、急速に動き回るハヤに目を丸くしていた。
「う…。早い…。やっぱりちょっと怖いかも…」
「はっはっは」
父は口を大きくあけて笑う。 縦に伸びる父の口からは、ビックリするほど大きな笑い声が出てくる。
……何か急に色々思い出すしてきたな。どうしてだろうね…。普段は積極的に口をきくわけじゃないのに、部屋を眺めたら川の水みたいに思い出が溢れ出てくる…。
そういえば、父は「いつかお前も登山の魅力に気付くぞ」と言っていた。
そういえば、父は「音楽はビートルズからはじまった」と言っていた。
そういえば、捕まえたハヤは夏休みの間だけ飼って、父と川に戻しに行ったんだっけ。
何で今更、もっと父と話しておけば良かったなんて、後悔しているのだろうか。都合の良い話だ。
もう何年も父の部屋に置かれていたであろう、数々の物には、一つひとつに「もしかしたら俺が使うかもしれない」といった、父の思いやりが、こびりついている。ずっと出番がないまま、今にもゴミとして処分されそうになっている物の数々は、俺が父ともっと話しをして、一緒の時間を重ねていれば、彩りをもって俺の人生に登場していたのではないだろうか…
「ハヤなんかで、怖がってたら、一丁前の男になれないぞ」
「怖がってないよ!俺だって一丁前の男だ!!」
「今から一丁前だったら、大人になる時にには、五丁前になってるかもしれないな…」
父は「俺は、今、百丁前だぞ」と、意味のわからないことを言い、俺は「俺も百丁前になる」と、意味のわからない決意をして、笑いながら家に帰った。
溶接面を外すと、目の前にあるステンレスは、溶接特有の光沢を纏いながら美しく仕上がっていた。納期通りに進んだ今日の仕事を、俺は目の前に並べる。
細かい部分を確認して一つずつ丁寧に出荷用のトラックに乗せていく。ガチャン、ガチャンと音をたてて、明日には出荷されるステンレスの構造物は綺麗にトラックの上に並んだ。
そして、俺は各設備の電源を切り、工場の電気も消した。
シャッターを閉める時に、目に入る工場。朝には、とても寂しげに見えた景色だったが、今は「また明日」と言っているようにも見えた。俺は、すすけた夜の工場を眺める、この時間は、嫌いじゃない。
重たい工場のドアを閉め、俺は、返り道に慣れ親しんだ自動販売機の、冷たいミルクティーのボタンを押した。
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