19 連接層の導来圏と複素幾何学

筆者は代数幾何学の研究をしたことがない。連接層の導来圏というと今、流行の代数幾何学における分野を連想するが、筆者にはそれを語ることはできない。筆者の勉強のために、語ってもいいのであるが、無料提供とはいえ、あまりいい加減な記事を投稿するのもどうかと思われる。したがって、今回は、連接層の導来圏と代数幾何学、ではなく連接層の導来圏と複素幾何学の関係について述べたいと思う。

まず、今回の記事は否定的な内容であると断っておく。連接層の導来圏を考える意義というのは、代数幾何学にしかなくて、複素幾何学では、ほぼ考える価値はない。連接層を考えるということは、部分多様体を考えるということなのであるが、一般のコンパクト複素多様体には部分多様体があまりない、つまり、あまり連接層を持たないので、連接層の導来圏は、あまり構造をもたず、考える意味がないのである。

ただ話はこれで終わりではない。非ケーラー多様体の中には、射影代数多様体と双有理同値な、Moishezon多様体というものがある。これらは、射影代数多様体と双有理同値なので、豊富に部分多様体をもつ。なので、連接層の導来圏を考えることができそうなのであるが、これもあまり意味はない。このことについて、今回は述べてみよう。

以下、すこし代数幾何学の話をしよう。基礎体は$${\mathbb{C}}$$とする。

代数幾何学では、$${\mathbb{C}}$$上有限生成な可換環を代数と考える。そのスペクトル集合をアフィンスキームと言い、アフィンスキームを局所モデルとして張り合わせたものを代数的スキームという。代数的スキームが複素射影空間に閉部分スキームとして埋め込まれるとき、これを射影的スキームという。この記事では、特に多様体を考えるので、射影的スキームを射影代数多様体と呼ぶ。

部分多様体、あるいは部分スキームを考えることは、連接層を考えるということである。射影代数多様体の場合、構造層$${\mathcal{R}}$$は連接層である。部分多様体の定義イデアル$${I}$$による構造層の商層$${\mathcal{R} / I}$$も連接層となることが分かる。したがって、射影代数多様体の場合、連接層が多く存在する。ただ注意すべきは、連接層は層なので、部分多様体を考えることと同値ではなく、より多くの情報を持つということである。連接層は、微分幾何学で言うところの、ベクトル束であるが、特異点を許したスキーム上でも考えることができるので、代数幾何学は、層コホモロジーを用いた研究が有効なのである。ただ本記事では、特異点を考えず、射影代数多様体を考える。したがって、この場合、連接層と言えば、正則ベクトル束を考えることとほぼ同じである。連接層、あるいは正則ベクトル束は、その切断の零点集合として、部分スキームを定めるので、単なる部分スキーム以上に、連接層は情報を持っているということである。それが連接層のコホモロジーを考える動機になっていくのである。

正則ベクトル束には、どの程度、正則切断があるのであろうか。射影代数多様体を研究する場合、より次元の低い、部分多様体を考えることが有効なのであるが、その部分多様体上に制限した正則ベクトル束の正則切断は、いつ、大域的な正則切断に拡張されるのであろうか。これは、次の連接層の短完全列からコホモロジーの長完全列を考える動機づけを与える。

$$
0 \rightarrow M_1 \rightarrow M_2 \rightarrow M_3 \rightarrow 0.
$$

ここで$${M_i}$$は、連接層である。この短完全列から、コホモロジーの長完全列がえられることは、多くのテキストに載っている。コホモロジーの消滅を考えることにより、連接層の切断を大域的な切断に拡張できるかどうか調べることができるのである。

このように連接層を考えることは、代数幾何学の研究において、代数多様体の構造を考えるにあたり、非常に有効であることが推察されるであろう。では、射影代数多様体に近い、非ケーラーMoishezon多様体の場合、連接層を考えることにはどれくらい意義があるのだろうか。まず非ケーラーMoishezon多様体の例を与えよう。これは広中の例と呼ばれていて、広中先生の学位論文により示された。

定理19-1
任意の射影代数多様体$${X}$$に対し、それと双有理同値な非ケーラーコンパクト複素多様体$${\tilde{X}}$$が存在する。

広中先生は、具体的に非ケーラーMoishezon多様体を次のように構成した。まず、射影代数多様体に対して、一点$${y}$$で正規交差をもつ曲線$${C}$$を考える。$${y}$$の十分小さな近傍を$${U}$$としよう。$${U \cap C = C_1 \cup C_2}$$とおく。まず、$${C_1}$$に沿って$${U}$$をブローアップし、それを$${\pi_1 : U_1 \rightarrow U}$$とおく。そして、$${U_1}$$における$${C_2}$$の強変換に沿ったブローアップを$${\pi_2 : U_2 \rightarrow U_1}$$とおく。$${X \backslash y}$$における、$${C \backslash y}$$に沿ったブローアップを$${\psi : Z \rightarrow X \backslash y}$$としよう。$${\psi}$$と$${\pi_2 \circ \pi_1}$$を張り合わせて、双有理写像、$${\rho : \tilde{X} \rightarrow X}$$を構成する。これが定理19-1における広中の構成法である。

定理19-1における広中の構成法におけるコンパクト複素多様体$${\tilde{X}}$$が非ケーラーになるのは、0にホモローガスな曲線を含むからである。このように、非ケーラーMoishezon多様体には、必ず0にホモローガスな曲線が含まれると予想されているが、0にホモローガスな曲線を含むMoishezon多様体は、射影代数多様体と双有理同値であるとはいえ、大域的な構造は、代数幾何学のカテゴリーから大きく外れると思われる。そのことを定量的に示す研究はないが、定性的には、何となくわかった気分になることは可能である。筆者の知る限りを述べてみよう。

射影代数多様体に0にホモローガスな曲線が含まれないのは、射影代数多様体の曲線がバウンダリにならず、サイクルになるということであり、これは、射影代数多様体の構成法から明らかであろう。したがって、0にホモローガスな曲線を含むMoishezon多様体を複素射影空間に正則に埋め込むことはできない。したがって、$${\tilde{X}}$$における連接層の圏$${\text{coh}(\tilde{X})}$$は、ほかのコンパクト複素多様体と圏同値になっても、同型射は構成できない。射影代数多様体の場合、連接層の圏の単純対象が$${\mathcal{R}_x}$$で尽くされる。連接層のなすアーベル圏が同型になると、それによって導かれる全単射は、射影代数多様体の場合、射となるのであるが、一般のコンパクト複素多様体の場合は、$${\mathcal{O}_x}$$で単純対象を尽くすことができず、このような主張はできない。つまり、非射影的コンパクト複素多様体は、一般に連接層のなす圏は、考えているコンパクト複素多様体の情報をすべて持ち得ないのである。したがって、非ケーラーMoishezonの場合も、一般には(少なくとも広中の例では)、連接層のなす圏は限られたデータしか持ちえず、連接層のなすアーベル圏を考える動機が、代数幾何学に比して、ないのである。連接層のなす導来圏を考える意義も、複素幾何学においてはあまりないであろうことは、想像に難くないであろう。

ただ非ケーラーではなく、コンパクトケーラー多様体の場合はどうであろうか。この場合も、一般に連接層はあまり持たないのであるが、連接層のなすアーベル圏は、どういった情報を持つのであろうか。たとえば、連接層のなすアーベル圏が圏同値になるコンパクトケーラー多様体の間には、全単射なる対応はあるであろうが、それは一般には射にならない。ただ、次のような予想は意味があるであろうか。筆者が勝手に考えた予想なので、ナンセンスかもしれないが挙げておく。

予想19-2
連接層のなす導来圏が圏同値になるコンパクトケーラー多様体の代数次元は等しいであろう。

コンパクトケーラー多様体の場合、連接層のなす圏は、これくらいの情報を持っていてもよさそうであるが、どうであろうか。

非ケーラーコンパクト多様体の場合、部分多様体がバウンダリになることが多い。そのため、部分多様体を多く持っても、それら部分多様体のなす構造は、考えている空間の情報を再現しないのであろう。連接層の導来圏、筆者は素人すぎて、まだ分からないのであるが、その圏の構造で、どの程度、空間を生成するのであろうか。双有理同値な射影代数多様体の連接層の導来圏は圏同値になるような気もするが、そういった予想はあるのであろうか。空間は、その上の関数環の構造から、なんらかの意味において再現されるであろうという思想が代数幾何学の根底にあるのであろうが、そういった思想が複素幾何学において、どの程度有効なのか、あるいは有効にできるのか、興味のあるところである。


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