オリンピックは中止でいいじゃん、とみんないうけれど。

社会の構成員って誰だろう。企業(とそのオーナー)は優遇され、そこで働く個人は? ぼくたちはいなくていいのか?

きっかけはこの記事。不景気が加速する中、政府が真っ先に考慮する対象は固定資産を有するもの。つまり、企業や資本家だ。

不景気で苦しい思いをする人間、貧乏人とは、固定資産など有していない。極端な話、貧乏人がどれだけくたばろうとも日本の経済にさしたる影響はない。経済に打撃を与えるのは少数のお金持ちだ。国の健康維持のためにはそういう少数のお金持ちを守れば良い。たとえ数多くの貧乏人がくたばることになっても。合理的な判断だ。

でも、自分が貧乏人だったら? こんな判断をくだす政府、クソくらえ。そう思うよ、ぼくだったら。合理的な判断、くそくらえ。

財務省の人間が死んだにもかかわらず、それが彼らの立場をまったく脅かすことのない、そんな政府、クソじゃないか。彼は文字通り命を賭けて仕事をし、死してまで彼らに罰を与えようとした。だけれどもその罰すら無駄になってしまったら……。ふざけんな。

民主主義ではないよ、こんなの。いまさら日本が民主主義でないなんていっても仕方がない。政府は、内閣は、あいつらは責任なんて言葉を知らない。あいつらが雇うSPたちだって、金の猛者だ。金で動くから、金を信じるから、こんなことになる。

オリンピックの中止で4兆円以上の経済損失があるらしい。エコ(笑)なオリンピックなどできもせず詐欺で開催権を得た日本だったが、実施しなければ4兆円以上の経済損失がさらに加わる。そのしわ寄せはかならず来る。誰が犠牲に鳴るのか? 国家が生き残るためには、貧乏人がくたばればいいのだ。政府はそう考えるだろう。合理的だ。……は? 自らの私腹は肥やすくせに。

責任の非対称性。権利の非対称性。それが腹ただしいのだ。

あいつらに目に物見せるためには何ができるのか? 天に祈るほかないのか?

ぼくは怒っている。たとえこの怒りが政府に届かないのだとしても、ぼくは怒っているのだと表明することをやめない。

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