#未来編集研究会
「人見知りなのでフォロー返しはしません」という人について
そういう人がSNSをやるのは、まあオンラインでの知り合いとのコミュニケーションとして考えればありうる。
そういう人がブログをやってポストするというのは、“良いもの”を紹介したいという気持ちそれ一点のみでやってるのかな。その可能性について。
というか「人見知り」と「フォロー」の連結について考える必要もあるな。フォローの動機として人見知りが関わるのであれば、当然フォローからコミュニケーションが生ま
SNSユーザ、<読-作者>、「いいね!」という擬態的グループ
良し悪しの話ではないという前提のもと言ってしまいたいことがある。そういう前提に立てる者と議論したいことがある。
「Web」の構造と現代人・社会の関係性という点に関心があるので、Webユーザビリティとヒトの思考プロセスや、「ヒト-コンテンツ」、あるいは「コンテンツ」としてのヒトという考え方に注目しているのだけど、これから、もっと各人の「記事」(注:ここではWebを通じてアウトプットされたあらゆるモ
「いいね!」や「ふぁぼ」は便利すぎる、ゆえに人間をロボットにする
SNSがどんどん身近になっている昨今、ほとんど全てのサービスに類似の機能が搭載されている。この note 然り。という背景があり、標題の件に関心が生まれてきた鹿なう。「いいね!」等の言葉は、一体何を表象しているのか? そんで、それは何をもって必要とされており、何を犠牲にしているのか?
率直に言って、この言葉(=Facebookの「いいね!」、Twitterの「ふぁぼ」、そしてnoteの「好き」な
SNSの使い方が気持ち悪い
僕はSNS自体が嫌いなわけではないのですが、大体の人間の使い方は嫌いです。その理由とともに、鹿界ではメジャーな使い方を人間に教えてあげます。
SNS(というかインターネットとも言えそうだけど)って、「今ここ」にいる自分と別の「今ここ」にいる他人を繋げることのできるツールじゃないですか。だから、理論上SNSっていうのは、これまで(=科学発展以前まで)知る由のなかった他人を知ることのできる可能性に満