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孤独の訴えかた、大人になったとき

このごろ、難しい性格の高齢の方に会う機会があった。気難しいクレーマー的性格。言われたことに反応するとうんざりしかないけれど、ふと「孤独」から考えてみたら行動がすごく腑に落ちた。細かい注文をつけること、クレームをつけることで長い時間、自分に人の注意を引きつけておける、かまってもらえる、存在感が増す→つかのまの孤独の解消

こどものころ、熱をだしたらおかあさんがやさしくしてくれたように、大人になっても、自分の体を使って人にやさしくしてもらう場合もある。体調不良→かまってもらえる→つかのまの孤独の解消

意識してやっているわけでなく、こういう方法を無意識に使うことはけっこうあるのかもしれない。

でもクレーマー的にせよ、自分の体を使うにせよ、負のエネルギーを使って人の注意をひきつけるので、長くは続かないし、続いてもうんざりされる。よけい人は離れていく。

時代が変わって、サザエさんのような家族でみんなでわいわいやっているうち、そう長くはない寿命で、孤独を感じないうちに天国に行ってしまった時代は終わってしまった。核家族になって、長寿社会になって、若くても単身で住むことも多くなった。

孤独はいつもあるんだと思えば、いいのかもしれないな。

それは解消するものではなく、寝ているときの夢のようなもので、よい夢のときもあれば悪い夢のときもある。いい意味の孤独もあるし、じっと涙がでるような底知れぬ孤独もある。夢をみるときもあれば見ないときもある。孤独を感じるときもあれば感じないときもある。そんなものと思えば、人をうんざりさせてまで解消に走るものなのか。一朝一夕にはできないだろうけれど。

#まいにちしあわせになる方法  45 ・孤独を内に含んで生きる。


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