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ヒュッゲなお葬式を考える
古くからの友人の妹さんのお葬式に参列しました。享年47才。若すぎる死でした。葬儀会場で仏式のお葬式で、声をあげて妹さんに話しかける友人を見ると心引き裂かれる思いがしました。
親戚以外のお葬式にでるのは初めてだったので、浄土真宗の心に響くお経を聞きながら、一歩離れた目でお葬式というものを考えました。
今、自分なりのお葬式を考える人が増えているというけれど、それは多くは年配の方ではないでしょうか。でもたとえ若くてもいつも死は隣り合わせかもしれません。そんなとき、この世の最後に日常接していなかった仏教のお経を突然聞くのは、ちょっと違和感がある人もいるかも。
少し前に、デンマークの言葉”ヒュッゲ”が世界でちょっと流行して、日本でもいろいろな本が出ました。ちょっと言葉が先行している感じがしたけれど、私は、本来ヒュッゲとは、
「物理的な居心地のよさを軸としながら、そこには ”精神的な幸福感”や ”周りとの一体感” も含まれます。自分自身、そして周りの人たちとの親密さ、つながり、あたたかさを丁寧に作っていく」こと。(ヒュッゲ・ピア・エドバーグより)
というのが、一番しっくりきています。(デンマークで暮らしたことがないので、本当はわかりませんが)
もし、その意味でヒュッゲを使うのなら、私たちはヒュッゲなお葬式というのがあってもいいなとそのお葬式の帰りに思いました。
私がいいなと思うヒュッゲのお葬式は、
✴︎ 森の香りのするキャンドルがあって。
✴︎ 部屋のライトは、蛍光灯ではなく、暖炉の炎に近いようなほっとするオレンジで。
✴︎ エンヤの曲が流れていて。(ニューシネマパラダイスでもいいけど!)✴︎ 肌触りのいいブランケットに亡くなった人は包まれていて。
✴︎ 棺桶も、屋根裏にある古いアルバムや、こどものころ大切にしていたぬいぐるみが入っているような使い古したようなこげ茶色の木の箱で。
✴︎ 着くと、おいしいコーヒーか濃いめの紅茶を入れてくれて、大きめのソーサーにはクッキーをのせてくれて。
✴︎ お香典もいらないけど、お返しもなくて。でもハーブのクッキーがおみやげについてもいいかな。
そんな中で、「また会うときまでね」と、大切な人とこの世の最後のひとときを慈しむ。
そんなお葬式があってもいい。
もしこの世は十分愉しんだ!という人生だったら、不条理に苦しむ涙のない、こんなお葬式もいいのではないでしょうか。年齢だけでは計れないものもあるでしょう。
若くて闘病し、どれだけもっと生きたかったか、無念の気持ちを思うとそんなことを考えるのは不謹慎と言われるかもしれない。
でもこのごろ考えます。
いい人も早く亡くなり、悪態ついてる人も長生きできる。
そんな法則のない現世。せめて最後のお葬式を居心地のいいものにしたいと。
そんな妄想をして、哀しみを紛らわせたのでした。
*まいにちしあわせになる方法46 居心地のいいお葬式を妄想する。