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霜降;第53候・霎時施(こさめときどきふる)

「霎(こさめ)」とは時雨(しぐれ)のこと。晩秋から初冬にかけて、降ったりやんだりする、ぱらぱらとした通り雨。物思いが加速する。ふいに侘しさを感じたり、透き通った空に吸い込まれてみたり、色づく木々に見惚れたり。ひと雨ごとに冬が近づく。時雨(しぐれ)の「し」は風のことで「ぐれ」は「暗」で、風が吹いて暗くなる意。樹々を染め、紅葉を散らすとされる。

この時期、秋の土用でもあるから、なんとなく気が晴れない。それでも栗名月があり、ハロウィンもあった。


山田うん演出の"BODY GARDEN"の空間美術の仕事はそんな中で仕込みが始まった。

うんさんと事前に一度だけこの件で打ち合わせをした、どうしてこういうテーマなのか、彼女は壮絶だった友人の「癌」闘病のことを話してくれた。癌は友人の身体を破って、表にあらわれ、荒らしたという。それは菌であり植物の根のようで、友人の身体を蝕んだ。普段表に出てこないが、体の内側では数秒ごと、こうした生と死が繰り返されている。人の中に植物的なものが棲んでいる。その感じは僕も確かめていきたいところだ。

人はおそらく動く植物。

22億年くらい前に植物と動物は分化した、とも言われている。

もともと一つ。

片割れと片割れ。植物は無慈悲でこちらの都合に合わせないし、待ってはくれない。だからこそ人は何かを託せる。太陽や月や星々、地球そのものの分霊された生命。人もまたそうなのだ。生まれ落ちたら、エゴに囚われず、ただ生き切る。

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コロナの影響で、収録となったこの公演は、セッティング、リハーサル、本番まで全4日あった。その間は時雨れるでもなく、爽快な秋の空が広がっていた。

活けられ、デザインされた植物と演出というこちらもデザインされたダンスする肉体。うんさんの言葉によると切り取られた自然同士。

植物を挿頭(かざし)たダンサーは踊りの中で時々人からズレていく。音楽とともに、踊り手の息遣いに、切られた植物たちも、暮れ泥む夕べの命の輝きである緑光を放ち、すがたをゆらめかせる。ハレーションがハレーションをうみ、波のように重なり浸透し合う。

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まるで小さな森で、遊ぶ神々。植物と人。リハーサルを重ねるごとに、遠くまでそれぞれ来てしまった二つの生き物の距離は縮まっていく。

蠢く新芽のような腕、蕾のような手、葉のような手の平、足の裏。草のような髪、未熟な胚のような肉体。緑の葉は肺葉となり、根は血管であり。内蔵器官という植物器官をもち、植物のように翻ったり、揺れたり、染まったり、色彩を放ち、立ち上がる衣装を纏い、花のように笑う顔を持ち、声を放つ。

見かけほど本当は違いはない。時雨が木々の色をもみ出すように、毎日夕暮れまで踊る彼らと植物は滲みあっていった。

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満月の夜、ハロウィンの日に配信された。

植物は静かに帰り、彼らの精を受け取った踊り手たちはまた次の舞台で生きていく。

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