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Vol 2. 2023年8月 時事レポート「事態の本質を見抜く」 by 大伴審一郎

※本記事は、特定の読者向けに配信していた「コンパス通信」の内容です。
このたび、多くの方にお届けしたいという想いから、noteで公開することにしました。2023年8月9日当時に取り上げたテーマを基に、「リーダー・経営者の在り方」と「時事レポート」の2つのシリーズとしてお届けしています。いま読んでいただいても、新たな気づきやヒントを得られる内容となっています。ぜひお楽しみください!今後も引き続き投稿していきます。



Vol 2. 2023年8月 時事レポート「事態の本質を見抜く」by 大伴審一郎

世界情勢の変化は、私たちの身近な生活にも大きく影響を与える。そのことは、現在も続くウクライナ戦争で痛感した。全ては関連し、影響し合っているため、あらゆる出来事は他人事ではない。国際関係に限らず企業などの組織や人と人との関係においても、意識・無意識に関わらず互いに影響を及ぼしながらバランス(均衡)を保っている。そのバランスは、未来永劫続くわけではなく、常に創造→維持→破壊を繰り返す。

人はしばしば、正常性バイアスによって現在の状態がいつまでも続くものと錯覚する。水面下で進む事態の変化に気付かないまま見過ごしてしまうのであるが、その後、自身の身に降りかかることによってようやく気付き、右往左往する。このように、表面には表れていないバランス状態を破壊する影響(力)について、政治の世界を例に記述した。

ウクライナ戦争で均衡が破れ世界は混迷し、安倍元首相が亡くなったことでパワーバランスが崩れ、日本の政治が混乱している。均衡が破れると混乱が生じるが、それは次の均衡に向けた必然的な動きであり、それがいつまで続き、どのような形でバランスが取れるかを見通すことができれば、慌てることなく先手が打てる。

また、インテリジェンスの世界では、意図的にバランスを崩して混乱を生じさせ、その隙に情報を入れ込んだり抜き取ったりする。そこで重要なのが、多角的な情報収集によって正確に事態の本質を見抜く術を身に付けることであるこのことは、インテリジェンスの世界だけの話ではなく、企業経営や日常生活の場面においても、その術を身に付けることで危機を回避したり、問題を解決に導くことができる。

なお、可能な限り客観的な視点での記述に努めたが、それぞれの政権での関与の度合いに濃淡があるため情報量に偏りがあり、その点ご容赦願いたい。

また、知られざる安倍、菅、岸田各政権の特徴と、そこから得られるリーダーとしての考え方や振る舞いについての詳細は動画にて解説したい。

安倍元首相なき政界の混乱「崩れたパワーバランス」

今も残る安倍元首相の影

先月7月8日で安倍元首相の死から1年が経過した。増上寺で執り行われた1周忌法要には森喜朗、小泉純一郎両元首相をはじめ自民党の麻生太郎副総裁、菅義偉前首相、茂木敏充幹事長、公明党の山口那津男代表に加え、立憲民主党の泉健太代表ら野党関係者も出席した。

一般献花に訪れた人は5,000人におよび、奈良県の現場近くに設けられた献花台にも多くの人が訪れ、安倍元首相の地元山口県下関の自民党支部に設けられた献花台にも多くの人が訪れるなど、今なお、その存在の大きさが示された日となった。

安倍政権時は、保守(右派)と革新(左派)が分断されたと言われる。それは安倍氏の憲法観(自主憲法制定)や国家観(戦後レジームからの脱却)にとどまらず、祖父に岸信介(元首相)、大叔父に佐藤栄作(元首相)を持つ、いわゆる保守本流のプリンスとして保守勢力(右派勢力)から祭り上げられていたため、革新勢力(左派勢力)が対抗意識を露わにしたことが大きい。

その安倍晋三とはどのような政治家だったのだろうか。よく言われるのが前記のような「保守政治家」という表現になるが、むしろ安倍氏は改革派と言った方が適切ではないか。というのは、伝統を守るという部分もあったが、全体的な政策は改革、あるいは刷新だったからである。

かつて安倍氏は施政方針演説(平成19年)でこう語っている。「私は、日本を、21世紀の国際社会において新たな模範となる国にしたい、と考えます。そのためには、終戦後の焼け跡から出発して、先輩方が築き上げてきた、輝かしい戦後の日本の成功モデルに安住してはなりません。憲法を頂点とした、行政システム、教育、経済、雇用、国と地方の関係、外交・安全保障などの基本的枠組みの多くが、21世紀の時代の大きな変化についていけなくなっていることは、もはや明らかです。我々が直面している様々な変化は、私が生まれ育った時代、すなわち、テレビ、冷蔵庫、洗濯機が三種の神器ともてはやされていた時代にはおよそ想像もつかなかったものばかりです。今こそ、これらの戦後レジームを、原点にさかのぼって大胆に見直し、新たな船出をすべきときが来ています。『美しい国、日本』の実現に向けて、次の50年、100年の時代の荒波に耐えうる新たな国家像を描いていくことこそが私の使命であります」

良くも悪くも安倍晋三という政治家は、大きな足跡を残し、今なおその影響は少なくない。

1周忌を終え、安倍派内の権力闘争が勃発か

安倍氏が会長を務めた「清和会」(安倍派)は、100人を擁する自民党の最大派閥であるが、現在もトップ不在のまま会長代理の塩谷立氏と下村博文氏が暫定的に運営する形をとっている。一周忌が迫る6月28日、安倍派事務総長の高木毅氏は、会長代理の塩谷氏に「5人を中心に派閥運営をさせてもらいたい」と“安倍派5人衆”の総意を突きつけた。

※ 参考: 「安倍派5人衆」=萩生田政務調査会長、世耕参議院幹事長、松野官房長官、西村経済産業大臣、高木国会対策委員長

この“5人衆”は2日前の6月26日夜、都内の日本料理店にひそかに集まり、固めの盃を交わしている。これはすなわち、事実上、現在、会長代理の塩谷氏と下村氏に退いてもらうことを意味する。ただし、直ぐに安倍氏の後継となる会長を決めるというわけではない。押し並べて実力が同列の5人の中から後継者を決めると、安倍派分裂の危険性が高まるからである。この後は、5人がお互いを牽制しあい、その中から抜け出した1人が派閥を束ねるか、あるいは分裂に向かうかの岐路に立つ。もし安倍派分裂となると、日本の政治、経済、安全保障に少なからず影響する。そして、日本国内の混乱は、悪意ある外国勢力に付け入る隙を与えることになる。

岸田内閣を作った安倍氏

岸田政権が誕生した2021年秋、総理大臣を退任して1年を過ぎていた安倍氏の保守層からの支持は絶大だった。その安倍氏が岸田政権誕生に大きく影響を与えたが、その経緯を解説すると以下のようになる。(肩書きは当時)

菅政権(前政権)の終わりの始まりは、2021年8月22日に行われた横浜市長選挙での敗北に端を発する。菅内閣の閣僚であった国家公安委員長の小此木八郎氏が辞職し、横浜市長選に打って出た。小此木氏が父親から引き継いだ横浜の地盤は盤石であり、絶対的に有利とされていた。菅総理も、小此木氏の父である小此木彦三郎の秘書だった関係もあり、小此木氏の当選に絶対的な自信を見せていた。小此木氏が閣僚を辞職してまで横浜市長選に臨んだのは、IR(カジノを中心とする統合型リゾート)に反対する地元支持者の強い要請を受けてのことだと言われている。IR横浜誘致を推進していた菅総理は、IR反対で出馬した小此木氏を応援せざるを得ない状況に至り、矛盾が生じた。

選挙の結果は、絶対的に有利とされていた小此木氏は惨敗した。敗因は、自民党支持層が小此木氏から離れたことが大きい。自民支持層が離れた原因は、菅総理の新型コロナ対策の不手際である。そのころ、感染者が急拡大していたという事情もある。原因が菅総理にあるとして、菅総理が顔では次の衆院選は戦えないという空気が広がった。

総裁選が近づく中、いち早く出馬を表明した岸田氏は、安倍、麻生、甘利のいわゆる3Aの意向を受け、当時影響力が絶大だった二階幹事長の排除を目的として、「総裁を除く党役員は1期1年、連続3期まで」との党改革案を打ち出し、総裁選の争点とした。地方や若手は、二階幹事長が幹事長として長期間党内を牛耳る構造に嫌気がさしていたところ、岸田氏への支持が広がり始めた。

危機感を抱いた菅総理は、二階氏の了承を得た上で争点潰しのため幹事長交代を含む党役員刷新を表明した。二階氏は、菅総理の人事案を受け入れる代わりに、総裁選前に解散を打ち、総選挙を行うことを菅総理に飲ませた。二階幹事長の交代→解散総選挙→総裁選という流れである。二階氏は、幹事長を一旦辞任するものの、総選挙で勝った菅総理によって再び幹事長に再任されることを画策した。党内での権力維持が目的だった。

しかし、この構想を毎日新聞がスクープした。即座に、安倍氏は菅総理に対し、「総裁選前の総選挙は解散権の私物化と受け取られる」として反対の意向を伝えた。その動きに連動して、党内若手を中心に菅総理を顔として総選挙は戦えないという声が日増しに大きくなり、岸田支持がさらに拡大した。この時点で、岸田氏が総裁選に勝利する可能性が限りなく高くなっていたと言える。

菅総理は、党役員人事と一部内閣改造を行い、刷新イメージを作って支持回復を狙うが、そこで任命されたとしても総裁選で岸田氏が勝てば約1ヶ月程度の任期になることを考えると、菅人事を受ける者はなく断る者が続出した。結局、菅総理は人事を行うことができず、解散することもできない状況に追い込まれたのである。人事権と解散権を失った菅総理の求心力は急速に失われ、このまま総裁選を戦えば現職総理の敗北(現職総理の敗北は自民党史上ない)が確実視されるようになった。そして、菅総理は党内に影響力を残すため、敗北より辞職が得策として辞職を決断した。

当初、総裁選は菅総理と岸田氏の一騎打ちという構図で始まった。この当時、河野太郎氏や野田聖子氏が名乗りを上げなかったのは、河野氏は現職閣僚で野田氏は幹事長代行という菅政権を支えるべき立場であったためである。その後、菅内閣総辞職でその制約が取れた両氏は、総裁選に名乗りをあげることになる。その一方で岸田氏は、2021年9月2日、TBSのBS番組で、学校法人「森友学園」への国有地売却をめぐる公文書改ざん問題について、「国民が納得するまで説明を続ける。これは政府の姿勢としては大事だ」とし、菅総理が否定している再調査については、「国民が納得するまで努力をすることは大事だ」と語ったことが波紋を広げた。このことで、安倍氏は岸田氏を見限った。

その後、岸田氏は安倍氏に再調査はしないと謝罪するが、安倍氏の不信感は拭えなかった。以後、安倍氏は自身の思想を引き継ぐ高市早苗氏支持に全力で取り組んだ。安倍氏の支持を受けた高市氏は、伝統的な自民党保守層からのバックアップを受け、急速に支持を拡大していった。安倍氏のこうした動きは、国民的人気の高い河野氏の票を割るため、高市氏を担ぐという高等戦術とみる向きもあったが、安倍氏は本気で高市政権を目指して動いていたように感じられた。

一方、河野氏は9月21日、若手議員との意見交換会で政策立案をめぐり「(党の)部会でギャーギャー言っているよりも副大臣、政務官チームを非公式に作ったらどうか」と述べ、後に発言を撤回し謝罪に追い込まれた。党を軽視していると受け取られた河野氏の支持は頭打ちになった。河野陣営に小泉進次郎氏と石破茂氏が加わった、いわゆる小石河連合を組むことで国民的な人気を背景として、第一回投票における地方票で圧倒し、その勢いで議員票拡大につなげて勝利するという戦略は、前記河野失言を契機に党内に河野離れが進んだことで決選投票になる情勢へと変化した。河野氏らの小石河連合の思惑が脆くも崩れ去った瞬間である。

決戦投票は、河野対岸田、河野対高市というケースが想定されていた。河野対岸田であれば岸田が勝ち、河野対高市であれば、河野が勝つと見通された。キーマンである安倍氏は、河野氏が総理になれば、石破幹事長が誕生する可能性が出ることに危機感を持った。安倍氏は石破氏と様々な政策において対立していたため、河野政権誕生を阻止したかった。そこで、2位3位連合が誕生した。2位の岸田氏と3位の高市氏が組み、どちらが決選に出たとしても、対河野で票を積み増すというものだった。

その後、岸田氏優勢が見えてきたころ、安倍氏は河野氏勝利を阻止するため、岸田氏支持に切り替えた。高市氏もろとも岸田支持に回ったわけであるが、この安倍氏の動きの背後で暗躍していたのが、安倍氏の右腕と称されたI氏である。I氏は、早くから岸田支持で動き、岸田選対幹部として岸田氏を支えていた安倍氏に非常に近い甘利明氏に近づいた。甘利氏は2位3位連合を作り上げた一人である。さらに、I氏とセットで動いていたのが、NHKの政治部女性記者である。同記者は、安倍政権に深く食い込み、I氏から情報を得て数々のスクープをNHKにもたらした。そのため、同放送局内人事にも影響を与えるほどの力を得ていたのである。したがって、安倍氏退陣後はその反動から閑職に追いやられていた。

一方のI氏も、菅総理が経産省系の官邸官僚を排除したことで、政治的影響力を失った状態にあった。両氏は、この総裁選において岸田総理誕生に大いに貢献することで、甘利氏を介して岸田新政権での復権を狙った。安倍氏の性格は割とピュアなため、高市氏を本気で支持していたが、安倍氏の威光を背景にI氏、前記女性記者が自らの影響力確保のために暗躍しているという構図で、まさに権力に取り憑かれた姿であった。

なお、I氏とNHK女性記者は、甘利氏が贈収賄スキャンダルで幹事長を辞任することとなったため、両氏の思惑は潰えてしまった。

※ 参考: 甘利明
2021年9月、自由民主党総裁選に出馬した岸田氏の選挙対策本部の顧問に就任し、麻生派を束ねて岸田氏勝利に貢献した。岸田政権発足時、二階俊博幹事長(当時)に代わり自民党幹事長に起用された。しかし経済再生担当大臣辞任時のスキャンダル(贈収賄疑惑)を蒸し返されたことが影響して同年10月31日に行われた第49回衆議院議員総選挙において立憲民主党候補者に敗れ、自由民主党立党以来初めてとなる現職幹事長の選挙区落選となった。(比例南関東ブロックで復活当選)

以上のような経緯があり、政権発足後も、岸田総理が安倍氏に気を遣う場面が目立った。衆議院議員会館の安倍事務所に定期的に足を運び、意見を聞いていたのもその一つである。安倍氏は「総理が決めることですよ」と応じつつも、注文をつけることもあったという。

岸田政権は安倍氏の傀儡政権だった?

2022年1月、それを印象付ける出来事があった。新潟県の「佐渡島の金山」を世界文化遺産としてユネスコへ推薦するか否かで揺れていた岸田政権は、韓国の世論の反発に配慮し、「見送るべき」という意見に傾きつつあった。

この動きに対し、「過度に韓国に配慮して見送るべきではない」とする安倍氏は、外務省幹部を呼び出して意見を伝え、安倍派の会合でも「間違っている」と発言し、岸田政権に強いプレッシャーをかけた。その結果、安倍氏の主張は保守派議員を中心に自民党内で大きな広がりを見せたのである。最終的に岸田氏は、安倍氏の意向に従って推薦を表明した。このような岸田氏の姿勢に野党は岸田政権を“安倍傀儡政権”などと揶揄した。

実際、安倍氏が岸田政権の全てをコントロールしていたのか否かということに関し、結論から言うと「ノー」である。安倍氏は過激な保守派(バックに自民党を支持する保守層)を抑えていたという構図で、時に過激になりがちな保守層の意見を一旦安倍氏が引き取り、現実的なものにして岸田氏に提案することで、岸田氏のリベラルな姿勢に対する保守層の不満を解消していたと見るべきだろう。

突如、求心力を失った政界の混乱

安倍氏がキングメーカーとなって、今後の政権に影響を与え続けるだろうとの見方が支配的だった。そんな矢先、安倍氏が突然凶弾に倒れるという事件が発生した。政治の軸が失われた瞬間である。自民党内の混乱は、まず「防衛増税」が俎上に登った際に現れた。2022年12月、岸田氏は防衛費増額に向けて、安定的な財源確保が不可欠だとして、党内調整なく突然増税検討の指示を出した。安倍氏を担ぎ上げていた保守派に対する岸田氏の配慮と、安倍氏に代わってリーダーシップを発揮しようとしたのだろう。

しかし、自民党内からは、「経済成長を阻害する」「あまりに拙速だ」などと、増税への反対や慎重意見が相次いだ。時の総理の指示に対し、ここまで反発が出るのは異例である。そうした論陣を張る議員の多くは、安倍派議員だった。国民生活に直結する増税を、根回しなしで言い出した岸田氏に対し、党内の不満は頂点に達した。「総理は財務省に寄り過ぎている」との見方が支配する。

そのような空気の中、最終的に岸田氏は2024年以降の適切な時期に増税を実施する方針を決め、「以降」という表現で具体的な時期を持ち越す形で衝突を回避した。まさに玉虫色の決着である。

安倍政権は、積極財政を政策の柱に据え財政規律を無視しているかのような印象を与えたが、安倍氏は自身の内閣で2度の消費増税を行っている。つまり、財政規律の大切さは十分理解していたと見るべきで、どちらかというと積極財政派を抑えるため、あえて積極財政を強調してガス抜きをしていた。「安倍さんが言っているのなら」という落とし所に誘導したのである。

これは象徴的な出来事で、安倍氏という重しを失ったことで歯止めが掛からなくなった保守派の暴走をどのように抑えるかが、今後の課題となる。

この先、岸田政権はどうなる?

安倍傀儡政権と揶揄された岸田政権は、岸田カラーを印象付ける課題に取り組む意欲を見せ始める。それが、年頭の記者会見で表明した「異次元の少子化対策への挑戦」である。

岸田氏の出身派閥である「宏池会」は、自民党のリベラル派と称され、岸田氏と安倍氏は対極にあると言っても過言ではない。自民党政権が長く続くのは、自民党内リベラル派と保守派によって“政権交代”してきたことでバランスをとっていた。つまり、宏池会は党内野党としての役割を担ってきたのである。安倍・菅保守政権から岸田リベラル政権へ交代したイメージ。実際、野党を中心とする革新勢力(左派勢力)が安倍氏を攻撃する熱量と、岸田氏を攻撃する熱量が全く異なるのは、岸田氏が思想的に左派に近いということが大きく影響している。したがって、岸田氏が最も警戒するのは、野党というより、党内保守系議員であり、それを支持する保守勢力(右派勢力)なのである。

増税方針をめぐって党内が混乱したことを受け、岸田氏は政権基盤の安定に取り掛かる。自身が率いる岸田派は党内第4派閥(45人)で、安倍派の半分にも満たないため、決して盤石ではない。だからこそ、第2派閥を率いる麻生太郎氏と、第3派閥を率いる茂木敏充氏との連携を重視する。両氏を副総裁と幹事長という党の最高幹部に起用し、政権発足以降も3人で定期的に会談しているのはそのためである。

その一方で、安倍派に対する対応も怠っていない。当初から官房長官に起用している松野氏に加え、安倍氏亡き後の内閣改造・党役員人事では、政務調査会長に萩生田氏、経済産業大臣に西村氏を起用し、安倍派“5人衆”の中の3人を重要ポストに取り込んでいる。このことで、岸田派、麻生派、茂木派で権力を掌握したうえで安倍派を分断し、徐々に排除しようという狙いが透けて見える。

最大派閥・安倍派で会長不在が続く中、自民党内で今、来年秋に想定される次の自民党総裁選に名乗りを上げる人物は見当たらない。安倍派にまとまりがないことも岸田氏にとって都合がいい。しかし、連立を組む公明党とは、安倍氏亡き後東京での選挙協力を解消するなど、関係悪化が顕著になっていることに加え、安倍氏との個人的関係をベースに、時に政権と歩調を合わせてきた日本維新の会は、安倍氏や菅氏と違い、岸田氏には全く恩義を感じていないため、選挙戦では主戦論が台頭している。

このように、軸を失った自民党の凋落と、連立を組む公明党との関係悪化、新たな保守政党である維新の躍進(衆院選では兵庫、京都、奈良、和歌山、滋賀は自民から維新に置き換わると目されている)、マイナンバーカードの混乱は岸田政権を追い詰める。

さらに、110兆円とも言われるタンス預金に税金をかけるという新円切り替え(2024年7月前半を目途に、一万円、五千円、千円の3券種を改刷する予定)、個人事業主に対する事実上の増税であるインボイス制度、長く働く人への優遇を廃止し、労働市場の流動化を目的とした退職所得控除の見直し(事実上の増税)は、自民党の岩盤支持層に不人気な政策であるため、自民離れが加速する可能性がある。

これらの増税政策の背後では財務省が強い影響を及ぼしているのであるが、安倍・菅政権が経産省主導だったのに対し、岸田政権では再び財務が主導権を取り戻したことが背景にある。財務官僚は、伝統的に政界を裏でコントロールしてきた歴史があり、その財務省に主導権が移ったのである。財務省は予算の配分権を持つため、地元に利益誘導したい政治家は財務省にコントールされがちと言える。つまり、各政権の裏で省庁間の主導権争いがあり、この構造自体が官僚国家日本の大きな問題の一つと言える。岸田政権が財務官僚に振り回されている感が否めないのは、こうした省庁間の主導権争いを観察しているとよくわかる。

お互いが牽制し合った状態で膠着している日中関係を打開した一例

安倍政権下だった2017年9月28日の夕方、在日本中国大使館はホテルニューオータニで「国慶節68周年、中日国交正常化45周年の祝賀パーティー」が開催された。

そこに突然、安倍総理(当時)が飛び込みで参加したという出来事があった。その際、程永華大使(当時)のあいさつに続き、安倍氏が壇上に登って祝辞を述べ、日中友好を引き続き推進し、協力関係を強化していく考えを示したのである。この時、安倍氏は日中関係を推進する自分の意志の固さを強調するため、街頭演説で雨に濡れた背広を着替えずにこの祝賀パーティーの会場に飛び込んだエピソードも披露した。中国側の意表を突いた形である。

さらに、エピソードや社交辞令的な発言だけではなく、心の中で温めている中国の首脳陣との交流に関するロードマップを次のように情熱をもって語った。「まず李克強・中国首相に日本を訪問してもらいたい。次は私が中国を訪れる。さらにその次は習近平国家主席が来日する」

この出来事は、中国のSNS「微博」に書き込まれたが、中国側の報道を見ると、この重大な内容にはまったく触れていなかった。あまりにも突然の出来事だったため、対応に躊躇したのである。そして、2018年5月上旬、李克強首相(当時)が公賓として日本を訪れた。(温家宝首相の公式訪問以来、実に8年ぶり)続いて、2018年10月、安倍氏は日本の首相として7年ぶりに中国を公式訪問した。このような日中首脳間の訪問再開を受け、2019年6月、中国の習近平国家主席が大阪で開かれた20カ国・地域首脳会議(G20サミット)に参加するため来日したのである。(中国国家主席の来日は約9年ぶり)。習氏の来日は国家主席就任後初めてだったため、日中関係の改善を日中両国の国民に印象付けた。これらの動きは、安倍氏があの日に話したロードマップと一致している。

そのG20大阪サミットの写真がこちらである。ウクライナ戦争が始まった今となっては想像し難い光景である。

写真:EPA
写真:時事通信社


多角的な情報の集約による分析が必要な一例

私はかつてインテリジェンス・コミュニティ(情報を扱う内閣情報調査室、防衛省、警察庁、外務省、公安調査庁などの情報組織の枠組み)に所属していたが、最も困難な課題の一つが、これら組織間の情報の共有であった。これは、民間企業においても言えることかもしれないが、日本では組織の中で情報を集約したり、共有することがなかなか難しい。なぜ、情報の集約と共有が必要かについて、ウクライナ戦争を例にシミュレーションしてみる。

2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻する直前、防衛省(防衛省情報本部電波部)が通信傍受によって、ロシア軍の動きをモニターし、内閣衛星センターが運用する情報収集衛星によって、ウクライナ国境に集結するロシア軍部隊をウォッチしていた。

しかし、これだけの情報ではウクライナ侵攻を決定付け、対策を打てるわけではない。内閣情報調査室が米国や英国などの情報機関から得た情報、外務省が持つ外国政治家のプロファイリング情報や在モスクワおよび在キーウ日本大使館から公電によってもたらされる情報、警視庁公安部が在京ロシア大使館を監視して得ている情報、公安調査庁が情報源として獲得しているロシア人エージェントがもたらす人的情報に加え、外国の通信社やネット上に溢れる公開情報、これらすべてを集約・分析することで、ロシアがウクライナに侵攻するのか否か、また侵攻前の時点でそれを防ぐための対策を取るべきかを判断することができる。つまり、これらのことができていなかったため、ロシアのウクライナ侵攻を察知し、必要な措置を取ることができなかった。

組織も個人も、物事を正確に把握するためには、一つの事象を一面で捉えるのではなく、多面的に捉えて全情報を統合し、立体的に見ることで実態を捉える必要がある。

そのためには、人と人、あるいは組織と組織のコミュニケーションを円滑にし、可能な限り多くの情報が得られるよう良好な関係を構築しなければならない。ということは、やはりコミュニケーション力とそれを支える人間力が最も重要ということになる。その人間力は、紫藤さんの言う「在り方」によって決定付けられるのではないだろうか。


※ この記事の内容は大伴審一郎の個人的な見解です。


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