公明党の今後 第三文明記事より
公明党、次への展望(前編)――時代の変化に応じた刷新を願う
ライター
松田 明
組織政党が苦戦した衆議院選挙
公明党は11月9日に臨時全国大会を開き、斉藤鉄夫・代表、竹谷とし子・代表代行の新体制でスタートを切った。
先の衆議院選で、公明党は11人の候補を立てた小選挙区で7議席を落とし、比例区も20議席にとどまった。改選前の32議席から24議席へと大きく後退する結果となった。
前回2021年の衆議院選との得票数の比較では、もっとも票を減らしたのが日本維新の会だった。約294万票減(▲36.6%)の510万票。160人以上の候補者を擁立したものの、当選は38議席。改選前から6議席を減らし、大阪では全19選挙区を制したものの近畿ブロックの比例票全体でも110万票以上を減らした。
自民党は約533万票減(▲26.8%)の1458万票。日本共産党が約80万票減(▲19.3%)の336万票。公明党が約115万票減(▲16.2%)の596万票だった。
一方、議席を増やし野党第一党を維持した立憲民主党も、得票数では7万2127票増にとどまり、意外にも0.6%しか票が伸びなかった。
維新の敗因はまったく別ものとして、議席を伸ばした立憲も含めて、今回いずれも旧来の「組織政党」が苦戦し、新しい小政党が有権者の支持を大きく集めたといえる。
中央大学の中北浩爾教授は、「社会の個人化」の進展と、政党の変化の必要性を指摘する。
組織政党の退潮は半ば不可逆的な傾向だ。欧州と同じく日本でも「社会の個人化」が進み、業界団体、労働組合、町内会などさまざまな組織が衰退する。政党の組織も弱体化し、若年層を中心に無党派層が増えている。
特に共産党は1989年に東欧諸国で共産党政権が倒れ、91年にソ連が崩壊してから党勢が衰退してきた。党員のボリュームゾーンは60代以上とみられ、高齢化が深刻だ。
政党が強固な組織や支持団体を持つ強みは変わらない。選挙運動にはマンパワーが不可欠で、苦しいときほど固定票が大切になる。一方で政党が生き残るには、ある程度の時代に対応した変化が欠かせない。(『日本経済新聞』11月2日)
公明党が失った「三つ」のもの
今回の臨時全国大会で選挙を総括した西田実仁幹事長は、党の敗因を「連立政権に対する有権者の厳しい審判だと真摯に受け止めなければなりません」としたうえで、
収支報告書の不記載で自民党の非公認となった候補者らに対して、公明党として推薦を出したことに厳しい声が多数寄せられました。結果を見ると、この判断が有権者の理解を得られなかったのではないかとの指摘は、真摯に受け止めなければなりません。(『公明新聞』11月10日)
と述べた。
この問題については、すでに非常に多くの厳しい声が支持者からも寄せられている。率直に言って、これまでの公明党の倫理観や潔癖さからすれば考えられない判断だった。筆者の周囲で今まで公明党に投票していた無党派の友人知人にも、今回の推薦問題で投票を見送ったという人は1人や2人ではない。
日本大学の西田亮介教授は、投票日前に脱稿した月刊誌への寄稿で、
かえって幅広い国民の公明党に対する不信感をいっそう招来しかねない。無党派層からすれば政治とカネの問題よりも選挙事情を優先したと映ったはずだからだ。
衆院選後、読者諸兄姉はどんな政治の風景を見ているだろうか。(『ボイス』12月号)
と警告していた。
公明党担当などを歴任してきた時事通信解説委員長の高橋正光氏は、公明党が衆院選で失ったのは「議席」と「新代表」だけでなく、「看板」すなわち清潔な政党という信頼だったと論じている。
連立の安定を理由に、公認された裏金議員の一部を推薦しただけでも、「清潔な政治」を実践してきた党の「看板」がかすみかねない。ましてや、非公認に推薦を出すに至っては、対外的に説明がつくはずがない。多くの有権者は、公明党も「同じ穴のムジナ」と認識したことだろう。(時事ドットコムニュース「公明、三つを失い再出発 前途多難の斉藤体制(上)【解説委員室から】」11月10日)
たしかに、自民への逆風がそのまま連立与党の公明党にも吹く厳しい選挙戦だった。あるいは、この〝推薦〟問題がなかったとしても今回は大敗していたかもしれない。ただ、それでも「清潔な党」への信頼に傷がつくことだけは避けられた。
今後再びこのようなことが起きれば、もはや公明党は立ちゆかなくなるだろう。この失態は決して曖昧にせず、党内で十二分に議論して、禍根を残さないようにしてもらいたいと願う。
なぜ公明党の発信は伝わらないのか
そのうえで、公明党の課題としていくつかの点を率直に伝えたい。第一に、情報発信がいまだに「内向き」志向を脱していないことだ。
公明党は結党以来、創価学会という支持母体に支えられて発展してきた。〈生命・生活・生存〉を最大に尊重する人間主義の政党として、党員・支持者の熱心な支援あっての歩みであったことは紛れもない事実である。
しかし、公明党は昨日や今日生まれた党ではない。今月まさに結党60年を迎える政党であり、3000人近い地方議員を有し、20年以上も国政与党の一翼を担ってきた政党だ。この60年間、多様な幅広い国民のための政策実現を圧倒的に重ねてきた。
本来なら、こうした長年の実績や、どこよりもマジメな議員たちの仕事ぶりが、幅広い多くの国民からも相応に認知されて当然だと思う。
実際、他党にはない地方議員と国会議員3000人の機動的なネットワークや、イデオロギーに偏らず他会派と合意形成する能力など、各地の首長や政治学の専門家などからは高い評価を得ている。メディアに出て堂々と公明党を評価する識者も増えている。公明党は玄人からの評価は悪くないのである。
ところが、一般国民にはそれらがほとんど伝わっていない。
公明党は日刊の機関紙を持つ政党であり、LINE登録者数も政党のなかでは一番多い。最近はTikTokなどショート動画配信にも取り組んできた。全国の津々浦々に熱心な党員・支持者もいる。
しかし今回の衆議院選挙でも、一般有権者にこれまでの実績や掲げている政策・主張が伝わっていたかというと、ほとんど伝わっていなかったというのが実情ではないか。
なぜ公明党の発信は十分に伝わらないのか。逆に考えると、日刊紙も持たず全国的な支持基盤さえ脆弱な小政党の発信が、なぜ多くの人々に明確に届き、心を動かして投票行動につながったのだろうか。
さまざまな要因があるのだろうが、「誰」に向かって伝えるのか、「何」をどう伝えるのか、この解像度と魅力の差が大きいのではないのか。
公明党はあらゆる情報発信において、やはりどこか「党員・支持者」頼みが前提になっているように見える。これが筆者の抱き続けている懸念である。かつてはそれが有効だっただろうが、今の時代はそれでは信頼されない。
「党員・支持者」を介さずダイレクトに、公明党の発する言葉にどれだけの人が耳を傾けたくなるか。公明党が支持を拡大できるとしたら、この一点しかないと思う。
ポピュリズムに走る必要はまったくないが、幅広い国民にメッセージを届けることは、とりわけ政権与党の責務でもある。伝わらなければ、伝えていないのに等しい。
〝デマ〟に対する毅然とした対応を
デマ情報への対応も、根本的に検討し直すべきだと思う。
憲法が定める「政教分離」の意味を、いまだに理解できていない人は想像以上に多い。というより、国民の圧倒的過半数が誤解しているだろう。見当はずれな認識のまま、宗教者が政治に関わることは憲法に抵触すると思い込んでいるのである。
本来なら、公明党や創価学会について「政教分離に反している」などと主張してしまうことは、当人が恥をかく話なのだ。しかも、憲法の理念を何重にも毀損し、社会を害する話である。
しかし、現実にはなんとなく公明党を「政教分離に反している」と思い込んで、出発点から色眼鏡で見てしまっている人は少なくない。とりわけ新たに選挙権を持つ18歳に伝わるように、「政教分離」については、あらゆる方法で正しい情報を発信していってほしい。
デマと言えば、今回の衆議院選挙のさなか、〝公明党が外国人の運転免許取得を容易にした〟という悪質な話が拡散した。10月11日に元足立区議会議員を名乗る人物が、公明党の西田幹事長の2023年9月のポストを引用するかたちでXに投稿したのが火種だった。
西田議員は、あくまで自動翻訳機などの導入による事務処理の迅速化に言及しただけで、免許取得試験を容易にしたわけではない。そもそも、1993年以来、試験が変更されたという事実そのものが存在しないのだ。
また免許取得や道交法は公安委員会・警察庁の管轄であり、国土交通省の関与する範疇でもない。
だが、こうしたデマが拡散しても、公明党は放置していた。そのため、10月17日になるとタレントのほんこん氏が自身のユーチューブ・チャンネルでこの元区議会議員のデマ投稿を紹介。テレビ番組でも公言するなどして、一気に広がった。
たまりかねて東京・港区議会の野本たつや議員が警視庁にも確認し、事実関係を伝えるポストをしたのが11月5日夜。前職や現職の国会議員らがデマを打ち消すポストをするようになったのは、さらにあとのことだ。
こうした悪質なデマに対しては迅速に毅然とした対応をすべきであるし、場合によっては法的措置も講じてもらいたい。たしかに政権与党の側にいる立場では慎重にならざるを得ないことも理解できるし、騒動を起こすこと自体が相手の狙いという場合もあるだろう。
けれどもデマを放置すれば社会そのものが蝕まれていく。閲覧数稼ぎで収益を狙うデマ投稿者は多い。今後、このような事案はますます増えるに違いない。
子宮頸がんワクチンをめぐってデマが広がり、マスメディアさえ不安を煽る報道を繰り返すなか、流れを変えたのは正しい情報をわかりやすく発信し続けた一部の医師たちの献身だった。コロナ禍でワクチンをめぐる悪質なデマが飛び交うなかでも、彼らは大きな貢献をした。
デマや無認識の批判に対しては、党として迅速に対応する危機管理の態勢をきちんと整えてほしい。
環境の急激な変化に対応できずに恐竜は絶滅した。生物の歴史は、存亡の機にあって変化することで進化を遂げてきたのだ。
「還暦」にあたる結党60年の節目で、公明党が大きな試練に直面しているのは、あるいは長い目で見れば幸運なことなのかもしれない。
(「後編」につづく)
公明党、次への展望(後編)――党創立者が願ったこと
ライター
松田 明
「あなたに会うために来ました」
公明党の創立者である池田大作・創価学会第3代会長が逝去して、この11月15日が一周忌となった。11月17日には、公明党結党60周年を迎える。
先の党臨時全国大会で代表に選出された斉藤鉄夫氏は、新代表としてのあいさつで次のように述べた。
公明党は今月17日に結党60年の節目を迎えます。60年は人間の年齢で言えば還暦に当たります。還暦には「新しく出発する」という意味がございます。
党創立者である池田大作・創価学会第三代会長が示された「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」との立党精神・原点に今一度立ち返り、党として新しい出発をしたいと思います。(『公明新聞』11月10日)
この「立党精神」は、結党の2年前の1962年9月、党の前身である公明政治連盟の第1回全国大会で来賓あいさつをした池田会長の言葉に基づいている。このとき会長は、次のように述べている。
大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆のために戦い、大衆の中に入りきって、大衆の中に死んでいっていただきたい。(『大衆とともに 公明党50年の歩み』)
全民衆のための、大衆のなかの政治家として一生を貫き通していただきたい(同)
日本社会を長く覆っている政治不信の大きな要因として、政治家と直接触れ合った経験の乏しさを指摘する声もある。
昨今、動画配信などを通して無党派層の支持を集める手法がそれなりに功を奏している背景には、言ってみれば政治家とダイレクトにつながれる感覚を求める、人々の素朴な願望があるのだろう。
街頭でも動画でも、人々は〝自分に語りかけてくれている政治家〟を待っている。マスに向かって〝正論〟を訴える政治家ではなく、社会の片隅でさまざまな重荷を抱えながら必死で生きている、この「私」に向かって語りかけてくれると感じられる政治家。そうした等身大の政治家を、多くの人々は希求しているのだと思う。
党創立者の池田会長が1974年に初訪中した際、出会った1人の少女が「おじさんは、どこから来たのですか」と尋ねた。会長は間髪を入れず「日本から来ました。あなたに会うために来ました」と答えた。
公明党は今一度、立党精神の「大衆」をアップデートし、言葉を届けるべき相手の解像度を格段に上げていってほしい。
NHKに「みんなでひきこもりラジオ」「テレビでひきこもりラジオ」という番組がある。テーマを決めて寄せられた声を、栗原望アナウンサーが淡々と紹介していく。2024年の放送文化基金賞のラジオ部門で最優秀賞を受賞した。
すでにやっている人もいると思うが、公明党の議員もポッドキャストなどで、たとえ週に1回2,30分だけでも、自分の声をデバイスの向こうの1人に伝えられたらと思う。
議員のもとに届くさまざまな声や意見のすべてに返信することは物理的にも不可能だ。けれど、少なくとも全部見ていますよということは伝えてほしい。私には、あなたの声が届いていますよと。そして、自身の声を1人に向かって伝えてほしい。
ネガティブに映っている「安定」
2024年4月まで熊本県知事を4期16年つとめ、あの「くまモン」を誕生させた蒲島郁夫氏は、筑波大学と東京大学でさまざまな画期的な研究成果を出した著名な政治学者でもある。
蒲島氏は国政与党としての公明党について、
何よりも強調したいのは公明党が政権入りして以降、それまでイデオロギー対立に終始しがちだった日本の政治に明らかな安定がもたらされたことです。福祉の党・平和の党の看板の通り、政治の中心に福祉を位置付けたのは公明党の実績でしょう。(『月刊公明』2024年11月号)
と語っている。
世界中で、いわゆる強権的な国では指導者の長期独裁化が進み、自由主義を掲げる国ではポピュリズムによって政治が不安定化を増している。そのなかで、日本だけが例外的に安定した政治を実現してきた。
公明党を「地中深く打ち込んだ杭」と評価した著名な政治学者もいた。玄人から見れば、公明党の最大の功績は、民衆に根を張って日本政治の漂流を防いでいることなのだ。
ところが、コロナ禍を経て、あるいはポスト安倍時代になって、若者や現役世代の目には「政治の安定」がともすればネガティブなイメージとして映りはじめている。
現実には「安定」がなければ腰を据えた政策実現が困難になるのだが、閉塞感によるイラ立ちのほうが人々を支配しつつあるのだと思う。そこに便乗したポピュリズム政党も続々と生まれてきている。
本来、人々は政治に対し「安定」だけを望むものではない。ときには、今ある社会の現状、自分の感じている困難に、なにかしらの「変化」をもたらしてくれることを望んでいる。
自民党が憲法改正を主張し続けているのは好例で、それを言い続けることで保守層の支持を得られるし、野党を分断することができる。
かつての民主党は「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズで、政権交代を実現した。日本維新の会は「大阪都構想」や「身を切る改革」などを掲げてきた。日本共産党は日米安保を廃棄して、「社会主義・共産主義の社会」(同党の綱領)をめざし、そのために自民党政治の打破を叫ぶ。
中身の是非や実現性は措くとして、どの党も今ある社会の現状に対して、自分たちはこれを変えたいというメッセージが鮮明なのだ。今とは違う社会の姿を実現したいと訴えて、それに共感する人々の支持を呼びかける。
この点で、公明党は詰将棋のように一歩一歩、財源を確保し合意形成を図るリアリズムの政党である。無責任に有権者を幻惑するようなバラ色の夢を語るようなこともしない。
むろん公明党は、政権参画以来ずっと「改革政党」を標榜してきたし、蒲島氏が言うように、実際に従来の自民党政治を大きく変化させてきた。実現してきた実績は、おそらくどの政党よりも多い。
だが、今や多くの有権者の目には、公明党は変化を託せる政党ではなく、むしろ現状を維持し固定化しようとする保守政党だと映ってしまっているように思う。
〝変化〟を明確に語る政党に
公明党は、政権与党として政策実現力が圧倒的に高い反面、政府や自民党との整合性に配慮して、なかなか独自の尖った主張ができずにきたように見える。しかし、それだけでは公明党は「のっぺらぼう」のように、何をしたいのかわからない政党になってしまう。
これからの公明党の発信に不可欠なことは、「今あるこの課題を、このように変えていく」「今のこの仕組みを、私たちはこう変えていく」「あなたの暮らしが、次はこう変わる」と、〝変化〟を明快に語ることではないだろうか。
その際、「まずはこれを目標に」と手堅く語ることも必要だが、同時に「たとえ今すぐは無理でも、最終的に私たちは必ずここまでたどり着きたいのだ」と、はっきり意思とゴールを示すべきだと思う。
公明党は、今のこの日本を、次の時代にどのように変えたいと考えているのか。これを18歳に分かる言葉でクリアに伝えてほしい。そこではじめて、共感する人々も出てくるのだと思う。
多様な意見、多様な価値観を尊重し、そのなかで合意形成していくのが民主主義である。ところが、自分たちだけを無謬の「正義」の側に置き、他者を「悪魔」に見立て、1ミリも妥協することなく駆逐しなければ許せないという発想に、人はしばしば酔いしれる。
公明党には、今後ますます与野党間の調整役として合意形成につとめる役回りが増えるであろう。巨大政党である自民党内の抵抗で、とりあえずは3割とか5割の到達点で、一旦は合意形成しなければならない事案も多々あることと思う。
こうした場合でも、公明党は明快に語ってほしい。
――自民党との(あるいは野党との)協議で、現状ではここまでの妥協点で一旦は前に進めたい。ゼロか100かでは何も進まない。しかし、公明党の理念、原理原則に照らせば、私たちは必ずあそこまで到達させるべきだと考えている――と。
良くも悪くも「政治は妥協の技術」であるからこそ、常に国民に対し、公明党としてはこのようにしたいと考えているという意思を明瞭に発し続けることだ。
さしあたっては、戦後80年、原爆投下80年となる明年、「核廃絶」に関して明快な指標を掲げてくれることと信じている。
あわせて、とくにメディア対応の多い大臣や党幹部の方々には、1人の人間としての喜怒哀楽の表情と感情を、ときにはしっかりと見せていただけたらと思う。
「これはちょっと看過できません」「ご家族のことを思うと胸が張り裂ける」「こういうニュースが聞けると嬉しい」。
そういった人間としての感情の発露を積極的に見せていく。日蓮の遺文が700年以上の時を越えて人々の心をゆさぶるのは、そこにきわめて人間らしい、民を思う者の喜怒哀楽の大感情が垣間見えるからである。
社会の広範な支持が基盤となる
さて、本コラムの「前編」を公開したところ、公明党と創価学会の距離や関係についても、さまざまな意見が飛び交ったようだ。
創価学会が初めて国政選挙に無所属候補者を擁立した1956年の第4回参議院選挙。3勝3敗となった選挙後、当時の戸田城聖・第2代会長が青年室長だった池田会長に語った言葉が、小説『人間革命』第10巻に描かれている。
仮に、今の自民党にしろ、社会党にしろ、仏法の生命尊厳と慈悲の哲理に基づくならば、民衆の願う、真の平和な、幸福な世界の実現に寄与し得るだろう。それも一つの姿であるかもしれないが、まず難しいだろう。
日本の現状を思うと、政治家だけを、どうこうしようとしても、どうにもならない。新しい民衆の基盤から、新しい民衆の代表である政治家を誕生させることが、今ほど望まれている時代はないだろう。創価学会から、同志を政治の分野に送ったのも、時代の要請ともいえる。
今のところ、私たちの送り出した同志は、政治手腕も未熟だし、未知数だ。しかし、いつまでも素人ではないだろう。やがて、政治家としても有能な人物に成長していくことを、私は願っている。
(中略)
将来、何十年先になるかわからないが、多くの民衆の期待に応え、衆望を担う真の政治家が、続々と出現したらどうだろう。世論は、彼らを信頼するに足る政治家として、支持するにちがいない。悪徳政治家も淘汰されるだろう。
こうなると、今の学会員の支援活動など、問題ではなくなる。社会の広範な支持が基盤となっていくだろう。むしろ、そういう時代をつくることが大事だ。
政治家一人では、何もできるものではない。民衆が大事なんだよ。つまり、人間が原点だ。人間が的だよ。(『人間革命』第10巻「展望」の章)
その後に誕生する公明党の、未来のあるべき姿は、すでに最初の国政選挙のときに思い描かれていた。
戸田と池田の師弟が何よりも重視したのは、単に政治家を輩出することではなく、民衆の側に積極的に政治に参画し、政治家の質を変えていける豊かな土壌を作ることだった。民衆を強く賢明に変えることが一切の〝肝〟なのである。
財界や労組といった特定の層の代弁者でなく、広範な民衆を代表する高潔な政治家を陸続と生み出していくこと。社会の分断を煽って、人々の憎悪をエネルギーに利用するような政治家ではなく、多様な価値観や利害をできるだけ包摂しようとする政治家を育てること。
創価学会という土壌から、やがて衆望を集めるような本格的な政治家が続々と誕生する時代になれば、必然と、創価学会以外の人々も、これら政治家を支持する――。戸田会長は「むしろ、そういう時代をつくることが大事だ」と語っている。
あれからまもなく70年。名もなき庶民たちと公明党議員たちの努力によって、今ようやく創価学会以外にも公明党議員たちを支持する基盤が各地に芽吹きつつある。
人間を鼓舞する「宗教的なもの」
創価学会は、「立正安国」というみずからの宗教的理念に基づいて公明党を懸命に支援している。むろん、長い目で見て支援のあり方は変わっていくのだとしても、学会は学会の論理で支援すればいいのだと思う。
他方で、公明党が社会の広範な支持を基盤としていくことが、いよいよ本格的に重要になってきている。
たとえば創価学会青年部は本年3月の「未来アクションフェス」(東京・国立競技場)で、「SGIユース」として核廃絶と気候変動に関する幅広い市民運動や若者団体との連帯を実現している。
かつて党創立者の池田会長は、ハーバード大学での2度目の講演で、ジョン・デューイが特定の宗教よりも「宗教的なもの」の緊要性を訴えたことに言及した。
総じて「宗教的なもの」とは、善きもの、価値あるものを希求しゆく人間の能動的な生き方を鼓舞し、いわば、あと押しするような力用といえましょう。(『21世紀文明と大乗仏教』)
「宗教」はどうしても教義や実践のもとに同質性を志向せざるをえない。また「宗派性」が際立てば、えてして固有の価値観で外側から人間に規範を与えようとする。閉鎖性や排他性も生まれる。
これに対して「宗教的なもの」は、宗教に根差しながらも、より普遍的な広がりを持つ。なにより池田会長は、そこに人間の善性を内側から開かせていく内発的な力を見ている。「宗教的なもの」とは、「宗派性」に対して普遍的な意味の「宗教性」と言い換えてもいいのかもしれない。池田会長は、その開かれた精神を見事に体現した人だった。
公明党にとってかけがえのない価値は、池田大作という人物を創立者とする一点であろう。その創立者は「全民衆のため」の政治家であれと望んだ。
公明党議員は、この創立者を無上の誇りとして、どうすれば「宗教的なもの」が自分たちの唯一無二の力となり、他者と分かち合える財産になるのか、悩みながら果敢に挑戦していっていただきたいと思う。
見ている人は見ている。今は公明党を敬遠している人も、あの寺も、あの神社も、あの教会も、あの団体も、やがて「公明党となら思いを共有できる」「あなたたちなら信頼できる」と手を携えてくる時代が必ずやってくると、筆者は楽観的に信じているのだ