せんせい
数日前、駅で学生を引率している先生を見た。
いつもながら、大変なお仕事だなぁ、と思った。
今は情報が溢れている。
たしかに子供たちを教師の視点からだけの情報に縛りつけるのは必ずしもいいことととは思えない。
そういう観点から視点を広げていくと、
自宅はどうだろう。
無責任な情報、
例えば、最近は減ってはいるけれど、
発信力のあるところでの成功例の披露。
ひとそれぞれ
たまたま
などという、補足が添えられず展開されているケースがまだある
読み取り手の受け取り方に委ねているのだろうか?
幼い子やまだ世の中を知らない人たちも読んでいることを念頭に置かなくては、
改めて気付かされる。
そのわりには人が言ったことを気にする傾向にあるのは人間の特性だろうか…その時間を発信の仕方に充てるよう、心がけたい。
なぜなら、「人それぞれ」
これをついつい見失いがちになる特性もある気がするからだ。
せんせい、ご苦労さまです。
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