改めまして自己紹介
英語は楽しく×真剣に!
ビジネスでもプライベートでも
たった2つのポイントを押さえるだけで
意思疎通は思いのまま♪
k-flow English 英語コーチ 中村薫子です。
2020年9月に会社員を卒業し、
2021年7月に個人事業主として
k-flowを立ち上げるも、
思っていたようにビジネスが広がらず・・・
いつまでも他力(与えられるお仕事を
こなしているだけ)ではダメだ!と思い、
困ったときに一番頼りになる「英語」に
再度、全面的に頼ることにしました。
英語は世界で一番使われている言語。
オンラインが当たり前になった今、
英語ができれば世界中の人と
もっともっと気軽に繋がることができる!
なのに残念ながら、
今の日本には英語難民がいっぱい。
学校英語の弊害もあり、
残念ながら世界的にも会話力の低さはダントツ。
でもこれ、学び方が間違ってるだけで、
ちゃんとポイントさえ押さえれば
誰だって英語は喋れるようになるんです!
その昔、児童英語の先生をしていたときに
出会った教材を使って
学校英語に挫折した大人向けに、
学び直し英語が教えられないかな、と思い
以前の職場の英語挫折者に、
半ば強制的にモニターになってもらい
レッスンスタート!
確かに成果が出る!と手応えを感じたものの
じゃあこれをどうやって商品にして、
どうやって集客してどうやって収益につなげるか?
1人では答えが出ないから、
同じように悩んでる仲間と一緒に
こういうことが得意な方々から学ぶことに😊
そんなこんなで、
しばらく放置していたこちらのnoteで
英語コーチとしての私の想いを
知ってもらうための投稿を始めます!
英語との出会い〜喋れるようになるまで
転勤族の父の元東京都で生まれ、
福岡県に数年住んだ後、
千葉県で小学校を卒業するまでに
5回の引越しを経験。
中学生になってすぐの6回目の引越し先は、
なんと!南米ブラジルのサンパウロでした。
小学校高学年でローマ字を習い、
アルファベットを覚え、中学に入って、
アルファベットには大文字だけではなく、
小文字というものがあることを
知ったタイミングでブラジルへ。
ブラジルに行く途中、
中学生2年生レベルの英語力の姉と2人、
アメリカのマイアミにある大学で開催されていた、
外国人向けに英語を教えるサマースクールで
1ヶ月を過ごしました。
まぁ、よく泣いてました😂
このサマースクール、1ヶ月単位で
一夏に複数回開催されていたのだと思います。
初日に、前の回の卒業生たちのスピーチがあり、
何も理解できないけど、ほぼ全員が
「ピーポー」「ピーポー」って言ってる!
救急車がどうした?しかも全員擬音で!!
当時、peopleという単語も知らず、
でも、私も卒業スピーチで
「ピーポー」って言おう!って初日に決めました。
記憶にないけど、多分言ったと思います。
場所柄、スペイン語圏の大人が多数参加しており、油断するとアルバイトの講師の大学生が
スペイン語で授業を始める…
私、校長先生にチクって
その大学生をクビにしました。
1ヶ月で大した進歩は正直なかったけど、
外国人に慣れたことと、
ご褒美のディズニーワールドツアーに満足して
いざ、両親の待つブラジルへ!!
最初に通ったのは、
半日だけの英語の予備校のような学校。
この頃筆記体の存在を知る!
そしてアルファベット圏の人たちは、
大文字、小文字、筆記体を
きちんと使い分けるというような
お行儀の良いことは、
誰1人しないことに気づきます。
毎日黒板に書かれる文字を、
絵を描く感覚でノートに写し、
それを持ち帰って、父が訳して私に説明する、
というような容赦ない英語攻撃の日々を過ごし、
半年後、サンパウロに3つある
アメリカンスクールの内の一つに入学。
まだ日本人学校に通える年齢にもかかわらず
父の方針で、姉と一緒に
アメリカンスクールに入ったものだから
7th grade (日本で言う中学1年生)に
日本人は私ただ一人。
ホームルーム、数学、宗教(道徳と音楽と
図工が混ざったような授業)
以外はESL(English as a Second Language)の
クラスで、いろんな国の子たちと
英語だけを勉強していました。
Junior high school(中学校2年間)時代の私は
とにかく何も喋れず、ESL以外にお友達もできず、
卒業時にもらったのが
「最も静か(the most quiet)で賞」
小学校までの私のキャラは全面崩壊しました。
とはいえ、まだまだ頭が柔軟なティーネージャー。
本当に、赤ちゃんが言葉を喋れるようになる感じで
ゆっくりとでも確実に英語とポルトガル語を
習得していきました。
日本人学校を卒業した日本人が
大量に入学してくる頃には英語もポルトガル語も
そこそこできるようになっていて、
文章を書くのは英語、喋るのはポルトガル語、
本を読むのは日本語、というように、
それぞれの得意分野ができ上がっていました。
英語を教える〜自分の英語力アップ
アメリカンスクールにも
すっかり慣れた高校時代に、
日本人学校に通う中学生に、
人生で初めて英語を教えました。
高校卒業後、日本に帰国。
車を買ってやる、という父の甘いささやきで、
都内の有名私立大学を蹴って、
地元の国立大学に帰国子女枠で入学。
以降、大学時代のアルバイトでも
英語の家庭教師と塾講師を経験。
進学塾ではなく、補習塾で
不良中学生たちに教えるのは楽しかった!
塾長からそのまま就職しないかと誘われましたが、
大学時代に都会に行き損ねた分、
銀座のOLになる方を選択。
大企業の海外営業部で、
ガンガン英語を使ってお仕事♪
と思ってましたが、実際はアジア地域担当で、
上司から「お前の英語は早すぎて
相手に伝わらない」と言われ凹む。
でもここでの5年間で、
みっちりとビジネス英語の基礎を教わりました。
そして結婚、出産で都会のOLはやめて、
2人目の子供を産んだ後、
自宅で児童英語教室をオープン。
自分の子達とそのお友達を中心に、
英語を教え始めました。
10年近くフランチャイズの教室運営をしましたが、
中学生になると、結局学校英語に
適応しなきゃいけない子供達をみてて、
フランチャイズで使っていた教材に
限界を感じ、様々な英語教授法を模索。
その結果、今まさに大人の学び直しに使っている、
素晴らしい教材と出会いました。
その数年後、教えていた子供たちが卒業していき
子育てもひと段落したタイミングで
教室はクローズして社会復帰を目指しました。
他に自信のあることがなかったから、
またまた英語を武器に仕事を探し
ある外資系企業の、ドイツ人役員の秘書兼通訳
というお仕事に就きます。
小さな製造会社。
ドイツ人役員は全ての部署の報告を、
日本人の部長達から受けるので
私は全ての会議に同行し、
全てを通訳することが求められました。
日本語でもわからない、
製造業の話を英語に訳すのは至難の業。
この2年半で、私の英語力は飛躍的に伸びました。
TOEIC985点を取ったのも、
あまりに仕事のトピックがわからなすぎて
何か自分に自信をつけたくて
勉強して挑戦した結果です。
でも2年も役員にくっついて
社内の会議全てに出て、
資料も全部訳していると、
大抵のトピックは理解できるようになり、
自分の意見を言えない通訳って仕事に
ちょっと物足りなさを感じてきていたのも事実。
そんな頃、東日本大震災後に
役員がドイツに帰国することが決定。
他の仕事を見つけなきゃな、
と思っていたタイミングで、
私の人生の師と呼べる上司
(ドイツ人役員の後任役員)
との出会いがやってきました。
英語以外の天職との出会い〜これから
そこからはどっぷりと人材開発、
組織開発の世界に浸り
ファシリテーション、コーチング、
心理学、カウンセリング、MBTI、
7つの習慣、Appreciative Inquiry、
ストレングスファインダー、EQなどを学び、
いくつかの資格を取得し、研修講師として
グループ会社の研修にも登壇していました。
まさか自分が英語以外の仕事で、
会社員としてこんなに楽しく働けるとは
思っていなかったので、
このまま退職まで働くのもありだなー、と
ぼんやり思ったりもしました。
でも楽しい時間は続かず、
人生の師が会社からいなくなり
色々情勢が変化。
加えてコロナがやってきて、
私の価値観も大きく変化!
コロナ禍、いろんなことが規制され、
不自由しか感じられなくなり、
ここから先の私の人生、
誰かや何かに振り回されるんじゃなくて
自分でコントロールできるようになろう、
って決めて会社員を卒業!
量子論とか意識とか占星術とか、
若干スピリチュアルな世界にまで
興味が広がり、なんかご機嫌でいれば
全て上手くいくんじゃないかなー、と
甘い気持ちで「人体実験だぁ!」と
何も考えずフリーランスに!
最初は会社員時代のご縁で、
チームビルディングのファシリテーターとか
研修や会議の通訳・翻訳、
バイリンガルコーチやカウンセラーとして
いろんな企業からお仕事をいただき、
収入も会社員時代の月収を軽く超え、
あれ?こんなに簡単でいいのかしら?
と一瞬浮かれました。
が、個人事業主の届を出した直後からの
緊急事態宣言(&延長に次ぐ延長で!)
決まっていた仕事が次々とキャンセルされていく!
しかもフリーランス、何の保証もなく、
働かなければお金は入らない。
気づけば収入ゼロの月もあり、
会社員の名残りで保険料も市民税も
かなり高額なのに、このままでは
固定費が払えなくなる!!
危機感を覚え、
ご機嫌でいるだけではダメだ、と思い、
(実際そんなにご機嫌ですらなかったけど…)
きちんと現実と向き合うことにしました。
また企業に雇われて会社員に戻ろうかな、
とも思いました。
でも、自分の人生
自分でコントロールするんだった!と思い出して、
英語コーチとして道を切り拓こう!って決めたら、
娘に「誇りに思う」って言われて、
こっちで合ってたって確信😊
というところから、
冒頭の英語コーチとして投稿します!に戻ります。
少しでも興味を持ってくれた方に、
私の想いが届きますように。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?