連載 ひのたにの森から~救護の日々 ③
御代田太一(社会福祉法人グロー)
社会福祉法人って、町内会?
「せめて厚労省に行きなさい!」
福祉の現場に就職することに決めたと伝えると、母は当然のように反対した。
東大まで出たのに、給料は低く、その後のキャリアパスもはっきりしない仕事に就くことに反対するのは無理もない。
大学の友人に「社会福祉法人」への就職を伝えると、「こいつ、大丈夫か」と気を遣うような、どこか憐れむような眼を向けられてしまう。
ある同級生には「社会福祉法人って、町内会みたいな?」とまで言われてしまった。それくらい、福祉の業界のことを皆よく知らない。「介護福祉士を目指すってこと?」ともよく言われた。
福祉=介護、というイメージが強いのだろう。「福祉の現場」と聞くと、ベッドに横たわる高齢者のおむつを交換するビジュアルが真っ先に浮かぶのかもしれない。
ちなみに僕が就職した「社会福祉法人」なるものは、業界の人からすれば何をいまさら、という感じだが、社会福祉法において「社会福祉事業を行うこととして目的として設立された法人」と定義される公益性の高い法人だ。全国に2万か所以上ある。
保育所やデイサービスはNPO法人や株式会社でも運営できる一方、特別養護老人ホーム、児童養護施設、障害者施設、そして僕が勤めた救護施設についても、その運営は社会福祉法人に限られる。
行政の認可が下りているだけあって、組織基盤はしっかりしているし、事業の幅も広いから、福祉の現場で働きたいと思った学生の多くは社会福祉法人を目指すことになる。
そうはいっても、日々苛烈な競争にさらされている企業と比べれば、制度に基づいた安定的な収入がある分、のんびりと経営しているところも多いし、給与水準も高いとは言えない。
内定していた企業の人事にも、「福祉の現場なんていつでも行けるんだから、2~3年うちでビジネスの筋力つけてから行った方が、現場でもプレゼンス発揮できるんじゃないの?」「企業で働きながら土日のボランティアとかで福祉への好奇心を満たせるなら、そうした方がリスクヘッジにはなるよね」と言われた。
どれも正論だったが、現場に行くなら今しかない、と思っていた。
長期的な人生の展望は全く見えていなかったが、エネルギーが高まっている今この瞬間に頭から現場に飛び込んでいかねば、という心の声に従った。
就活生から見える福祉業界
それにしても、就活する立場から見える営利企業と福祉法人はまるで違う。
一般的な企業はHP(ホームページ)のトップに採用情報があって、IT企業などはオンラインですべての手続きが済む。一方で福祉法人はHPの奥の方に「求人情報」とあり、採用要綱が書かれたPDFをダウンロードして細部まで読みこまないと、採用活動の全体像が見えてこない。これじゃ学生が集まらないのも当然だ、と思ってしまう。
面接会場のコミュニティセンター。通称コミセン。
就職した法人の採用面接の会場は、地域のコミュニティセンターの1室だった。
節電のためか、廊下の電気はまばらに消えていて、その奥が試験会場。着慣れていないだろうスーツを着た学生たちが集まっていた。
筆記テストと手書きの作文。久しぶりに握るシャーペンで、原稿用紙にその場で思いついたことを書いた。
学生時代にインターンで訪れたIT企業では、渋谷の高層ビルの10階、Tシャツとジーンズで面接に行くと、会社のロゴの入ったペットボトルの水を1本あいさつ代わりに手渡してくれ、面接の内容だけを判断して合格をくれた。
「東京のITと滋賀の福祉、違って当然だ」と思いながらも、どうしても比較してしまう。
自分の勤めている法人や地方自体を否定するつもりは全くない。
ただ職業経験の全体からすればごく一部である採用のプロセスも、学生からすれば初めてその法人と出会うタイミングであって、そこでどんな感情や出会いを体験するかが、その後の仕事においてもとても重要だと、今になって思う。
インターンで訪れたIT企業本社ビルの前
カエルの鳴き声、ミニシアターのない街
周囲の反対を振り切って行った滋賀だったが、引っ越してからも生活の中で当惑することが多かった。
田んぼのある街で生活するのは初めてだった。夏の夜に外に出ると「が~」と周囲から聞こえた音は、田んぼにいた大量のカエルの鳴き声だと知って驚いた。
施設の勤務中、「その雑巾ほかしといてな」とか「御代田さん、ご飯呼ばれてや」と突然言われても、滋賀独特の言い回しの意味が分からず、その度恐る恐る聞き返していた(それぞれ「その雑巾捨てといてね」「御代田さん、ご飯食べてね」)。
21時のひのたに園中央廊下。窓に張り付くカエル。
加えて、ミニシアターや都内の大型書店に通うのが習慣だった自分にとって、滋賀に来た途端に映画館はシネコン、本屋はまちの本屋さんだけになってしまったのが辛かった。失礼な言い方かもしれないが、東京に比べて触れられる情報量や文化レベルが違いすぎた。
救護施設で出会う人達の面白さや新鮮さも、日々の慌ただしい業務や窮屈な人間関係の中に埋もれてしまい、初出勤から1週間もしたころには施設に通うのが億劫になっていた。
それでも毎日「いや、この大変さも含めて味わいに来たんじゃないか」と自分を奮い立たせて、車を降りてタイムカードを切りに行く。最初の半年間はストレスからか、24時間、両目尻がピクピクと痙攣して止まなかった。
そんな鬱屈を振り払うため、休みのたびに東京に帰った。片道1800円の夜行バスを使って、日帰りで帰ることもしばしばだった。
実家から自転車に乗って渋谷の街を疾走すれば、滋賀の救護施設でトイレ掃除をしている自分の事も忘れられた。久しぶりにあった友人に救護施設がどんな場所か説明すると、みんな興味津々で聞いてくれ、滋賀では感じることの出来なくなっていた救護施設の面白さを噛み締める余裕も生まれた。
タクシーチケットで帰る同級生
「高学歴の福祉職」というカテゴリーで紹介されることも時々あったが、実際はそんな日々だった。
給料についても、同級生へのコンプレックスがないかと言われれば嘘になる。
この3年間の僕の月収は、手取りで20万円を超えるか超えないか、というくらい。これでも社会福祉法人の中では手厚い方だ。夜勤の有無など、働き方によっても給与水準は変わるし、年数がたてば給与は上がるが、多くは期待できない。
だから東京で久しぶりに会った友達が、タクシーチケットで帰るのを見ると、こういう人生もあったのかもな、とつい思ってしまう。
生きる力が弱い人と向かいあう福祉の仕事は、本来的に考えれば思考力や感性が求められる知的な作業に満ちているが、この給与水準や賃金カーブでは、なかなか優秀な人材は現場に寄り付かない。
「あと5万円だけでも、多くもらえれば、働く人の人生設計の幅も広がるし、新卒だけでなく、一時的な働く場としても他分野から多くの人がやってくるのにね」と同期と飲みながら話すこともあった。
この業界でみずみずしさを保つ
それでも最近は、受験偏差値の高い大学から福祉の仕事を志す学生も増えてきたそうだ。
就職活動の場面でも、仕事になんらかの社会的な意義を見出したいと思う学生は増えてきたはずだから、その中で福祉業界が選択肢の1つに挙がるのは理解できる。この動きは、素直に嬉しい。
福祉といっても直接ケアにあたる以外に、法人の経営や事業の立ち上げ、そしてアートや建築、食、ウェブメディアなど関わり方も増えてきた。自分の距離感と角度で、福祉に関われる。親同士が寄り合って運営する無認可作業所ばかりだった頃の話なんかを聞くと、昔に比べれば、福祉業界も随分変わったのだと思う。
ただ自分のように、理想とのギャップやコミュニケーションスタイルの違いに戸惑う後輩たちも出てくるかもしれない。
どれだけ気持ちを持っていても、現場を変えるには時間がかかる。長く同じリズムで働いている人からすれば、アイデアに満ちた若者など邪魔なだけかもしれないのだ。
そんな中、職場と自宅を往復するだけの日々では心がしぼんでいく。そんなときは、どんどん人に会うしかない。人と会って喋ると、みずみずしさを取り戻せる。嫌われてもいいから、自分の持ち場でできることを、思い切りやってみようという気になる。
そんな空気を共有しながら、若い人同士が地域や分野を越えてつながって、勇気を与えあいながら、何かを生み出す渦が作れたなら、こんなに楽しいことはない。
つづく
ひのたに園の文化祭の様子
みよだ たいち
1994年神奈川県横浜市生まれ。東京大学教養学部卒。在学中、「障害者のリアルに迫る」ゼミの運営や、障害者支援の現場実習、高齢者の訪問介護などを体験する。卒業後、滋賀県の社会福祉法人に就職し、救護施設「ひのたに園」にて勤務。