こもれび文庫

社会福祉法人千楽が運営する、いじめ・虐待・引きこもりを考えるソーシャルワーカー&当事者・学生の集まりです!お問い合わせ:comolism@gmail.com

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マガジン

  • 連載 こもれびの窓から

    毎日新聞の記者・論説委員だった野澤和弘さんの連載。30年近く、ひきこもりについて取材し、考えてきたことを掲載します。

  • 連載 ひのたにの森から~救護の日々

最近の記事

  • 固定された記事

こもリズム研究会とは…

―さあ、こもリズムをはじめよう― いじめ・虐待・ひきこもり・障害について、あるいは広く社会で見過ごされがちな「生きづらさ」について考え、発信する「こもリズム」研究会が始まりました。2021年4月よりソーシャルワーカーと当事者・学生が集まって活動しています。   「こもリズム研究会」を立ち上げる一つのきっかけは、2020年6月に千葉県浦安市に開所した浦安市発達障がい者等地域活動支援センターミッテMitteでの発達障がいのある方への日中活動支援・相談支援にあります。 地域に暮ら

    • いのち

       退屈な夜には、いつも漂うような時がある。人生について、未来について、いのちの意味について。思いは風の中に揺れたタンポポの種のように、やせた土地でなよなよしていた。  二十二歳まで、生活がこんなに難しくなるとは一度も考えなかった。腹いっぱい食べられなかったり暖かく着られなかったりするというような難しさではなく、現実に囚われた無力感である。  最近ずっと未来のことで悩んで、大学3年生になった途端に分岐点に踏み出したようであった。海外の大学院に留学するのか、それとも帰国して仕事

      • 生命(いのち)

        无趣的夜晚仿佛总会有一些漂浮的时刻,关于人生,关于未来,关于生命的意义。思绪像一颗颗风里荡漾的蒲公英籽,在贫瘠的土地上安营扎寨。 二十二岁之前,我从未想过生活会这么难。不是吃不饱穿不暖的难,而是被现实裹挟的无力感。最近一直在为未来烦恼,刚进入大三就好像进入了分叉路口,是去海外读研究生?还是回国工作?和家人和朋友倾诉时总会得到类似的反馈——你得先搞清楚自己到底想做什么? 我记得上一次大胆畅想自己未来的日子大概是在初二?想做记者,坚守正义,传递真相。但成长的过程投来的一个个干

        • 孤独

           お婆さんは七月か八月に巧雲を見るのだと言っていた。        (※中国の民間俗語で、小暑時期の変化極まりない雲のこと)  初めてお婆さんの家に行ったのは、確か十歳の頃であった。父と母は仕事が忙しかったので、夏休み中の私を田舎のお婆さんの家に送った。あまり田舎の匂いが好きではなく、なんだか薪の焼いた煙に穀物や山野の混ざった匂いが、非常に調和しないと感じた。まるで携帯を持って人形を抱いた私が、ここに立つと周りの不馴染みの環境と違和感があるようであった。  しかし一方、年

        • 固定された記事

        こもリズム研究会とは…

        マガジン

        • 連載 こもれびの窓から
          3本
        • 連載 ひのたにの森から~救護の日々
          12本

        記事

          孤独 【中文版】

          外婆说,七八月看巧云(中国民间俗语,指小暑时期云彩变化无穷) 记得第一次去外婆家的时候是在十岁。当时爸爸妈妈有工作要忙便把正在放暑假的我送到乡下外婆家。我不喜欢乡下的味道,总觉得柴火烧出的呛人的烟混合着谷物山野的味道很不协调,就像拿着手机抱着娃娃的我站在这里和周边的陌生环境不协调一样。 但年纪小,适应环境的能力也格外强。没过几日就和外婆混熟了。天空很漂亮的时候,外婆会搬个长凳叫我出来看云。她一遍一遍重复着她脑海中少有的熟知的谚语——七八月,看巧云。她指着天空中的云,像小熊

          孤独 【中文版】

          忘却の海

          時間は本当にいろいろな人やことを、忘れさせてくれるようである。 先日、偶然に長く使わなかったソーシャルメディアを見ようと思って、ログインを試みたが、パスワードを忘れてしまった。そこでパスワード取戻のページにアクセスした。ページにパスワード取戻の質問が表示された: あなたの一番好きな人は? 迷わずに私は自分の名前を入力したが、認証に失敗した。ちょっと腹が立った。昔一番好きなのはなんと自分のことではない。私はお父さん、お母さん、おばあちゃん、叔母さんの名前、さらには小さい頃

          忘却的海(忘却の海)

          时间好像真的能让人忘记很多人和事。 前几天偶然想看看很久没用的社交媒体,尝试登陆却忘记了密码。只能跳转到找回密码的页面。页面弹出了找回密码的问题:你最喜欢的人?我毫不犹豫地输入自己的名字,页面却显示验证失败。我有一点点开始生气了,我竟然曾经最喜欢的不是自己。再试了爸爸,妈妈,外婆,姑姑的名字,甚至输入了从小时候一直陪伴我到现在的玩偶的名字,结果都不正确。突然一阵失落带着自责席卷而来,一方面曾经我最喜欢的人竟然不是自己不是家人,也不是一直陪伴我的东西。另一方面,曾经自己最喜欢

          忘却的海(忘却の海)

          ネズミ

          愛が創造だとすれば、恨みは破壊だと思う。 もしあなたは、恨んでいる人がいるのかと聞いてくれるのであれば、「いる」と答える。彼女を恨んだ理由は簡単に言えば、学校時代のいじめである。かつて私は誰かに会うと、彼女にされた悪いことを言いふらしてしまい、彼女と学校ですれ違うたびに、いつもコントロールできないほどに眉をひそめ、心で世界の最もひどい言葉でののしってしまった。たとえ卒業後でも、彼女の一挙手一投足をこっそり注意したり、彼女のソーシャルメディア上の動きを狂ったように保存したりし

          老鼠(ネズミ)

          如果说爱是创造,那么恨就是毁灭。 如果你问我我有恨的人吗?我想是有的,至于恨她的原因简单来说就是校园时代的霸凌。我曾逢人便宣扬她曾经对我做过的坏事,每次在学校里擦肩而过的时候,我也难以控制的皱眉,在心里用世上最不堪的语言咒骂她,哪怕毕业之后我也曾偷偷关注她的一举一动,疯狂的保存一切她在社交媒体上的动态,只是为了在某一天嘲笑她好来发泄心中快要将我淹没的恨,那些纯粹的恨。 大部分身边的朋友都在劝我看开一点。但是生活里好像从来就不存在什么能让我立马抽离困境的东西,我找不到那个暂

          老鼠(ネズミ)

          朝、雑踏にて

          朝が嫌いだ。 昨日も、一昨日も、そして、明日も、明後日も。 長く、暗く、冷たく。私は今、出口なきトンネルの中にいる。 あれから早半年。弟は中学3年の秋口から学校を休み始めた。週1日の欠席は次第に増え、卒業が近づいた3月には週の半分以上を自宅で過ごした。 「学校へ行きたくない」 この言葉が嫌いだ。弟を嫌いなのではなく、この言葉を言う弟が大嫌いなだけ。 事の発端は明らかで、体育教師から怒鳴られ、暴言を浴びせられたことが原因だった。 体育教師は授業中にふざける生徒を注意しようと

          朝、雑踏にて

          命というものは循環している。死後、生命は燃やされて灰になり、土に還る。そして大地は雨に流され、また新しい生命を育んでいく。 その男性は真っ赤な車に乗って、毎日、電車もバスもない辺境に訪れる。誰とも口を聞くことなく水を入れ替え、花を供え、手を合わせて、誰も気付かぬ間に墓前を去るのが日課だ。 「私のお墓の前で泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかません」 寺で20年以上生活してきたが、この歌詞は真実を捉えていると思った。仏教に最も近い場所にいるにもかかわらず、私

          「ヤバいやつ」

          腕をなめられた。 小学校3年生、大人の配慮を知らない僕は大声で叫び、先生のもとへ行き被害者面で訴えた。 先生は慣れた様子で、その子を違う教室へと連れて行く。 僕は冷ややかな目で見送った。 おそらく、僕の腕をなめた生徒は先生に怒られたのだろう。帰ってきたときの表情はしょんぼりしていた。 このことはすぐに他のクラスの人たちにまで伝わっていく。 また、事件が一つ増えた。 僕の通っていた小学校にはクスノキ学級という特別支援学級があった。 しかし、通常のクラスにも軽度の障害を持った子

          「ヤバいやつ」

          雨と、父と

          「ゆっくり濡れて帰ろう」 父の口癖。好きな言葉。忘れられないあの日。 ない。目をこすり、深呼吸しても見つからない。 不合格だった。私は第二志望の高校へ進学した。全身に電流が走った。そして、一瞬にして全身の力が抜けた。魂も抜けていくような気がした。 入学後、1ヶ月はショックから立ち直れず悶々とした日々を送っていた。手元に届いた不合格通知を眺め、ため息を吐き、それを机の奥へしまう。そんなことを繰り返していた。 見かねた父が私を散歩に誘ってくれた。近所の里山を歩いた。何も話さ

          一緒に暮らす

          僕は毎日、不安と恐怖と一緒に暮らしています。 そんなの、この世の中、不安と恐怖を感じないで生活している人なんかいない。と言う人、思う人がいるでしょう。 では、皆さんは、その場に人がいるというだけで、文字を書く時、何か課題をこなす時に不安と恐怖がやってきて邪魔をされるでしょうか。 家族や友達でも同じ場面で不安と恐怖が邪魔をするでしょうか。 家の外で飲食をする際に不安と恐怖が邪魔をして、これを諦めることはあるでしょうか。 僕は子どもの頃から今現在、不思議と家族の前や数少ない友

          一緒に暮らす

          記憶

          車に長く長く揺られた。立ち寄ったコンビニは嵐の後のようにすっからかん。父はガソリンを気にして文句をたれ、私は空で読めるほどの漫画に飽き、やっとの思いでたどり着いたのは千葉の小さな寺だった。 待っていたのは「金ちゃん」という坊主頭のおじさん。本名は今も知らない。ニコニコしていて押しに弱そうだ。 金ちゃんの家は大きいのに風呂がない。わざわざ遠くにマンションを借りて入浴する必要がある。子供ながら非効率に感じたが、私はひと月あまり、風呂のため30分歩くのだった。 そこをのぞけば天

          軽井沢の雨

          中学三年生の時に父が亡くなるまで、3日以上の休みの日は必ず軽井沢の家で過ごしていた。 テレビもないし、電波も悪く、道まで出るかロフトに上がらなければ携帯電話も通じない。 テラスに出したテーブルで朝ごはんを食べるのは気持ちが良かったし、はとこ一家が一緒の時には、夜にバーベキューをする事もあって、そんな時は楽しかったけれど、家族だけの時は基本的に退屈だった。 休みの度に友達が色々な場所に旅行に出かけているのを、いつも羨ましく思っていた。 軽井沢の家というと優雅に聞こえるかもし