【SHOWS STORY】宇田川湧人
今回は、分科会、手紙プロジェクトなど、様々な企画で存在感を示す宇田川湧人さんにインタビューしました。
SHOWSに入ったきっかけ
SHOWSに入ろうと思った理由は、北野さんの考え方や生き方を深く知りたいと思ったから。そして、北野さんから感じる”強さ”と”優しさ”のルーツを知りたいと思ったからです。
そもそも北野さんを知ったのは、「天才を殺す凡人」です。天才、秀才、凡人という3つの立場から、”人の可能性”について言及している本なのですが、自分が漠然と考えていたことが、分かりやすく言語化されていたので、一瞬で読み終えてしまいました。あとがきに書かれていた「人の可能性を阻害するものに憤りを感じる」という言葉は、脳裏に焼き付くくらい印象に残っています。
次に読んだのが、「OPENNESS」です。組織の雰囲気や風通しという定性的で、僕が言語化できていなかったことを分かりやすく説明してることに対する感動と、職場の人間関係や環境に対して悩みがあったタイミングで出会ったことも相まって、非常に衝撃を受けたのを覚えています。「天才を殺す凡人」を読んだときは、どちらかというと”本”のファンだったのですが、ここで”北野唯我”さんという人を好きになりました。
昔、僕は人から優しいとよく言われていた時期がありました。しかし、「優しさだけでは資本主義社会を生き抜くことはできないし、助けられなかったら意味がない」と、常日頃考えています。北野さんは経営者として強さを持ちながらも、人としての愛情にあふれた素敵な方だと、本の内容からも伝わってきました。
”強さ”と”優しさ”の両方を兼ね備えているのが、北野さんであり、僕が理想とする姿でもあります。北野さんのことをもっと深く知りたいと思い、SHOWSへの参加を決めました。
SHOWS内の活動について
僕が精力的に取り組んでいる活動が2つあります。
1つ目が、「手紙プロジェクト」です。
「手紙プロジェクト」とは、北野さんが制作を進めている「内定者への手紙」をサポートする企画です。僕は、広報・PRチームの副リーダーを務めています。副リーダーを担当することになったきっかけは、他のメンバーの推薦です。ただ、やるからには自分事としてやりたいと思い、他人に勧められたからではなく自分の意志で副リーダーに立候補し、今は率先して行動を起こしています。
2つ目が、「分科会」です。
分科会にも様々な種類があるのですが、僕は「事業開発」系の分科会に参加しています。分科会のテーマは、「全体の最適化」。このテーマの背景には、「世代間のギャップに悩まされている人って多いよね」という問題提起があります。
チームのメンバーの大半はゆとり世代です。ゆとり世代はネガティブなことを言われることもあります。ただ僕たちは各世代の溝を埋める”緩衝材”になれる背景を持っていると考えています。「各世代が互いに歩み寄れる優しい世界にするにはどうすればいいか」。壮大なテーマではありますが、今はメンバーの価値観を共有しながら、どんなコンテンツを作ろうか考えている最中です。
現在の仕事について
建設会社で、環境分野の研究開発をしています。
小さい頃は図鑑を読むのが好きで、特に地球科学や生態系システムに対して強く関心がありました。環境分野の大学に進学し、”環境”を学問として追求したいという想いが強まる中で、就職は建設会社の研究開発職を選びました。開発職として入社して1年が経過し、「実際の建設現場から学べることも多い」という理由で、2年目から現場監督になりました。
現場監督は、環境問題とは切っても切れない仕事です。現場を知れば知るほど、”環境”を”学問”としてではなく、”社会問題”として企業の立場からどう解決していくべきかを考えるようになりました。災害の被害を最小限に抑えるような施設の建設プロジェクトに関わっていたこともあって、自分の仕事の重要性をすごく感じました。今は研究開発職に戻っていますが、現場監督時代で学んだことを活かしながら、業務に取り組んでいます。
仕事に対する価値観の変化
価値観が大きく変わったのは2019年。現場監督として建設プロジェクトに関わっていた時代です。
価値観が変化するきっかけとなったのが、大きな話題となった長編アニメーション映画「天気の子」。
当時からゲリラ豪雨が問題視されていることもあって、映画を見て考えさせられることが多かったです。「災害から人を守る」というだけでなく、「自分の身近な人を守る」という部分にも意識が向くようになりました。
そして2019年は、台風に悩まされた年でもありました。全国各地の河川が氾濫しましたし、通勤・通学にも大きな影響が及んだので、印象に残っている方も多いかと思います。環境インフラに関わる者として、台風の被害が及びそうな友人たちに連絡を取りました。「なんとかしたい」という使命感のもと動いていたと思います。
自然というのは、予測が難しいです。あらゆる問題を想定して計画を立てても、予想外で一見解決不可能に見えることが日常的に起きます。様々な事象を予測して、問題が発生したら解決に向けて動く。命を預かる仕事なので大きな責任を感じますが、やりがいと誇りも感じていました。
父の”生き様”から学んだ価値観
昔、家族でキャンプに行きました。その時に、川で溺れている人がいたので、父と一緒に助けに向かいました。救助に向かう父に迷いはありません。「お父さんってかっこいいな」と思いました。
そんな僕の父は、僕が中学2年生の時に亡くなりました。突然死でした。あまりにも急だったので、「人ってこんなに簡単に死んでしまうのか」と痛烈に感じました。そして父の死をきっかけに、自分の価値観は変わりました。
人はいつ死ぬか分からない。何かある前に動けー。
実は僕自身も、生死の境をさまよったことがあります。仕事中に倒れて、救急車で搬送されました。気づいたときはICU(集中治療室)のベッドの上だったのですが、10分間の心停止があり、家族も「もうダメかもしれない」と覚悟したそうです。
あの時、死んでいてもおかしくありませんでした。でも、僕は今こうして生きています。なぜ自分は、あのタイミングで死ななかったのだろうか。今生きていることにも理由があるはずだと、その問いの答えを探し続けています。
#この1冊からはじまった (自分のキッカケになった一冊)
星野源さんの「蘇える変態」です。大学3年のときに読んだのですが、今まで読んだ本で一番衝撃を受けました。他愛もないことを延々と書いているのですが、読むにつれて星野さんの生き様が見えてきます。
星野さんは、幼少時代はアニメが好きないわゆる”オタク”。今こそアニメへの理解は進みましたが、平成初期、まだ星野さんが小学生だった頃、アニメに対する風当たりは厳しく、星野さんも辛い思いをしたそうです。学生時代は、演劇とギターを両方始めたそうなのですが、そこでは「どっちかにしろよ」といったバッシングを受けます。しかし、星野さんは”自分が好きである限りやり続けること”を貫きました。
そういった背景を持っている星野さんは30歳を過ぎた頃に、くも膜下出血で倒れます。本の後半では、闘病生活について書かれています。壮絶な人生を送る星野さんですが、今現在は歌にドラマにと様々な分野の第一線で活躍する国民的スターです。自分の好きなことを貫き通すという生き様がかっこいいんです。この本を読んで、自分の行動一つ一つが「社会的に正しいからそうしているのではなく、自分がやりたいからやっているんだ」と気付き、とても勇気をもらいました。
(↓宇田川さんのnoteです)
最後に
今の分科会でやっているテーマは、自分が一番興味のあることでもあります。世代間のギャップやすれ違いによる溝を埋めていきたい。そのためには、様々な業種、様々な立場の人と対等に話せるようにならないといけません。SHOWSは、本当に様々なキャリアの方がいるので刺激になっています。
僕は、「様々な人をつなぐことで価値を生み出せるような人間になりたい」と思っています。そして、「全員は無理だとしても、自分が助けたい人は自分で助けなければならない。他の人が勝手に助けてくれることはない」という”使命感”もあります。環境分野一つとっても、友人の子どもが20歳になった時にどんな環境になっているのかというのをすごく考えます。
環境分野が学問的な追求から、人を助けたいという価値観に変わったときから、自分を支えてくれた人、認めてくれた人を助けたいという気持ちが強くなりました。今はいろんなツールでコミュニケーションが取れるので、自分の周りの人を助けたいというのに加えて、様々な人をつなぐ”ハブ”のような存在でありたいと思っています。
編集部あとがき
SHOWS内でも、様々な活動に積極的に参加する湧人さん。その積極性は、自分がやりたいと思うことに対する熱量と、様々なことを知りたいという探究心がベースとなっていますが、彼の凄さはそれが独りよがりにならないことです。
様々な人を巻き込みながら、自分のやりたいことを実現させていく。そして、誰かが困っているときは率先して力を貸す。Win-Winの関係を大切にすることが無意識にできるからこそ、彼の行動には説得力と信頼が生まれるのだと、取材を通じて改めて感じました。これからもワクワクするようなアクションを湧人さんは起こしてくれるでしょう。
SHOWS STORY(SS)とは
SHOWSメンバーの魅力をインタビューと写真で紹介するプロジェクト。
↓前回の記事はこちら
↓SHOWSメンバーと交流したいと思ったら。個性溢れる仲間が集う場所です。