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僕は人に心を開けない

僕には、自分にとってあまり好きじゃない部分がある。

それがタイトルにあるように「人に心を開くことができない」こと。いや、正しくは心を開くことにかなりの時間を要することかな。

どんなにリアルの場で会う人でも
毎日LINEする人でも
あまり経験しないことを共に経験した人でも

最低でも半年はかかってしまう。稀に超特急で開ける場合があるが、それは自分が開きたいと思える人だけ(超希少)。


なぜ、こうなってしまったのか。

自分の生い立ちを振り返っても、大きな出来事は思い出せない。でも、なんとなく幼少期から、人に対して素直になれていなかったような気がする。

親には盛大な反抗期をかましたし

場の流れでイエスマンになってしまってたし

嘘をついても特に心は痛まなかったし

起こる出来事に対して冷ややかな目で見ていた気がする。

そんな経験を積み重ねた僕は、人に心開く方法がわからなくなっていた。どうやって人を信用すればいいのかわからない。そんな、温もりがまったく感じられない人間になっていた。

心の中ではそんな自分を否定して、時には自己嫌悪に陥って、もがくときもあったし、それが辛くなるときもあった。

現在はかなりましにはなってきたけど、学生のころの僕と言ったらそりゃひどかった。自分で思い返してみて、よくみんな友達になってくれたなぁと思うこともあるほど。


コミュニティの仕事をしていて、こんな話をすると驚かれるんだけど、上記から読み取れるように、僕はコミュニケーションが不器用な人間。毎日のようにコミュニケーションについて考えていると思う。

ただ同時に、だからこそ、コミュニティの仕事を選んだと思っている。コミュニケーションが苦手だからこそ、心を開くのが苦手だからこそ、自分が大事にしたいと思える空間を持ちたい。

オープンな自由すぎる空間は、僕みたいな人間にとってかなり脅威なんだよね。いまだに他の方は主催している交流会と呼ばれる空間は、まじでコミュ障を発揮してる。隅っこでスマホいじいじしてる。

いろんなコミュニティマネージャーの人たちの話し聞いてると、結構似たような人が多くて、それがかなりの救いだった。みんなどこかしらコミュニケーションに課題を感じていて。だからこそ、クローズドな空間をつくっているんだなぁと。


正直、今もどうすればこれが治るのか?がいまいちわかっていない。

ただ、少し前進できたなぁと思えることは、そんな自分も受け入れられたということ。こうやって、この部分を文章にできていることが何よりの証。

まだまだこれ以外にも、自分の嫌な部分ってたくさんある。言い出したらキリがないほどある。

それらも一つずつ、一つずつ受け入れていきたい。

嫌な部分は否定するんじゃなくて、認めてあげる。

そんな自分の向き合い方が大事になってくるんじゃないかなぁと、秋を感じながら考えてる。


とりとめのない文章で失礼しました。

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長田 涼
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