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鬱になれない苦しさもある

僕は人の意見に流されるままにやってきたベンチャー企業のエセ経営者なんだけど、いい歳をして家族や自分の収入を顧みずにただ会社を生かすために借金を重ね、崖っぷちまで追い詰められるというのはどういう行動原理なんだろう?と我ながら思い、これまでの道のりを振り返り絶望する。

他人(例えば支援者などと呼ばれる人)が僕のような立場の人間に向けてくる期待は、憎しみと紙一重だ。勝手に期待して、自分の思い通りにならないと癇癪を起こして時には訴訟をちらつかせたりもする。

周りの全ての人間が毎日僕に何かを質問し、もちろんこちらの都合など何も気にせずに四六時中決断を迫る。僕がちょっとでも答えに詰まると正義感を振りかざして「じゃあ誰が決めるの?」って大抵言ってくる。ついでに言うとそういう人に限って自分では何も決めない。

そんな人たちの給料や業務委託料を払うために僕は個人保証をして借金を重ねる。

僕のような目に遭ってる人は、世の中にそれなりいるしそんなに珍しくもないと思うけど、それでもたまに聞くのは、こんな状況に耐えきれず鬱になり、事業の継続が不可能になるという話だ。

正直に言うととても羨ましい。今の自分にとってはそれは「頑張れ」「最後までやり切れ」「乗り越えろ」といった安全圏にいる人が好んで発する残酷な美辞麗句から逃げることができる数少ない方法のひとつだと思うからだ。

他の方法はといえば、車に轢かれるは痛そうだし、夜逃げするのは手間と金がかかりそうだし、逮捕されるのもなんか辛そう。

似たような状況で鬱になってしまって苦しんでいる人や関係者の人たちは、当然怒ると思うけど、なりたくても鬱になれない(正気でいられてしまう)苦しさもあるんじゃないかと思うのだけど、どうだろう?

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