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「生くるべし」ー 元ハンセン病の俳人、その生前の姿を伝えたい

1人の女性の熱意、著作権の壁破る

 20年前、ローカル局が制作したドキュメンタリー番組が発掘され、7月29日、国立ハンセン病資料館で一度限りの上映会が開かれる。

 「生くるべし」
 元ハンセン病患者で、静岡県朝比奈村(現・藤枝市)出身の俳人、村越化石(1922−2014)の60年ぶりの里帰りと、国立ハンセン病療養所栗生楽泉園(群馬県草津町)での暮らしぶりを追った56分の番組だ。2003年5月25日にSBS静岡放送で放映された。だが、その後再放送はなく、マスターテープは放送局に死蔵されていた。

在りし日の村越化石さん

 村越化石は「魂の俳人」と呼ばれる。特効薬が登場する以前に病が進行し、失明。その後は記憶の中の風物を頼りに、「心眼」で作句を続けた。

 「除夜の湯に肌触れあへり生くるべし」

 過酷な境遇を詠みながらも、なお生きる意思を明確にした句が高く評価されてきた。

2002年に故郷に句碑が建立され、
60年ぶりに里帰りを果たした村越化石

「もう一度、世に出したい」 


 今年1月、藤枝市文学館は化石の生誕100年を記念し、企画展を開いた。その展示を東京でも開き、さらには会場で「生くるべし」を上映したい、と1人の女性が動いた。静岡県内のハンセン病療養所に犬猫を連れてボランティアで訪問活動をしている「動物介在活動ぷらす」の伊東郁乃さん(64)だ。伊東さんは「ハンセン病資料館友の会」の世話人でもあり、複数の企画展にかかわっている。

国立ハンセン病資料館=東京都東村山市青葉町

 伊東さんは、昨年秋、藤枝市議で元中学校教頭の遠藤久仁雄さんから「生くるべし」の録画を見せてもらった。「歌う教頭先生」としてかつて遠藤さんを取材に来たSBSのクルーが制作に携わっていた。 俳句の師である大野林火への思いや句作について語る様子、国による隔離政策で追われた故郷に60年ぶりに帰郷した時の表情。栗生楽泉園で寄り添い生きた同病の妻・奈美さんの姿も映り込んでいた。 

 「これは貴重な映像。ぜひ、上映したい」
 伊東さんは、今年5月下旬、SBSに出向き、「生くるべし」を制作した原木雅雄報道制作局長に直談判した。原木局長は言った。
 「私たちも、これをもう一度世に出したい。しかし…」。

 壁となったのは著作権だ。ナレーションを務めた俳優の市毛良枝さんと、音楽担当の鈴木利之さんの了解を取らなければならない。

 伊東さんは動いた。まず、市毛さんの事務所に映像を確認してもらい、許可を求めた。伊東さんによると、1週間ほどして、「使用に問題ありません」と返事があった。

 鈴木さんも快諾した。鈴木さんは番組に複数の作曲家のインストゥルメンタルを選曲して、使用していた。鈴木さんは日本音楽著作権協会(JASRAC)に一括で許可を求めた。「小規模で営利目的の上映でないなら、許可は不要」と返事があった。ただし、付帯条件があった。「外国曲は作曲家の許可を得て下さい」。

 「正直、これは難しいことになったなと思いました」と鈴木さんは言う。作曲家のエージェント(版権管理者)の許可が得られても、100万円近い使用料を取られるのが慣例だったからだ。

「生くるべし」のDVD上映に奔走した伊東郁乃さん(右)。20年前、静岡放送で化石を取材した廣木武夫さんと
=東京都東村山市の国立ハンセン病資料館

立ちはだかる「著作権の壁」

 外国曲は3人の作曲家の計12曲。伊東さんは日本でCDの版権を管理していた2社にメールで問い合わせたが、返信がないまま1ヶ月が経った。

 伊東さんは6月末、文化庁に、著作権者と連絡が付かない時の救済措置について問い合わせた。「宛先不明でメールが戻ってきたようなケースでなければ、救済の対象にはならない」と返答があった。

 著作権情報センターにも相談したが、「そのまま上映したら違法」とにべもなかった。上映まで1ヶ月を切った7月初旬、伊東さんは意を決した。
 「直接、作曲家と交渉しよう」
 伊東さんは、知人の英語教師に手紙を英訳してもらい、メールを送った。

 「私たちはボランティアで資金がありません。でも、ハンセン病の歴史は、あなたの曲が使われているドキュメンタリーのような資料を、将来の大きな学びや啓発のために必要としているのです」

 1曲を自分で管理していたティム・クレメントさんからは数時間後に返信が来た。
 「楽曲の使用を許可します。意義のある企画ですね。私の名前をクレジットしてくれたら、光栄です」

 6曲を作曲したデヴィッド・ダーリングさんからは、2日後に返信があった。「原盤の権利を持っているドイツのECM社と米国のバレリーエンタテインメントの許可が必要です。あなたから連絡してみて下さい。幸運を祈る」。

 伊東さんは翻訳ソフトを使って、2社に英文メールを送った。翌日、2社から「曲の使用を許可します」と返信があった。デヴィッドさんからは第2信が届いた。「許可は無事取れたでしょうか? ちょっと口を利いてきました」とあり、「私も1日限りの上映を許可します。同時に、ハンセン病資料館にDVDを寄贈し、将来の研究のために役立ててくれることを望みます」と結ばれていた。

国立ハンセン病資料館に寄贈される「生くるべし」のDVD


フェイスブックで手掛かりたどる

 残る5曲の作曲家、ティム・ストーリーさんは連絡先が不明だった。伊東さんはフェイスブックで検索した。名前の後に「music」とあるアカウントが見つかった。「この人だ」とピンと来た。ダイレクトメッセージを送った3日後、返信が来た。「歴史的に重要な作品を見るのが楽しみです。私にも1枚DVDのコピーを送ってください」。

 すべての楽曲の許可がそろったのは7月7日。上映のわずか22日前という綱渡りだった。

 伊東さんは「楽曲の使用許可が得られたこともさることながら、ハンセン病の啓発に使用するという目的を外国の作曲家がそろって受け入れてくれたことが、とてもうれしかった」と語る。

 鈴木さんによると、日本の番組に付随する外国曲の使用許可が無償で下りる例は珍しい。「直接作曲家にあたった伊東さんの熱意が通じたんだと思います」

展示されている村越化石の自筆ノート
=東京都東村山市の国立ハンセン病資料館

 ハンセン病資料館友の会主催の企画展「魂の俳人 村越化石展」は8月11日まで、東京都東村山市の国立ハンセン病資料館で。ドキュメンタリー「生くるべし」の上映は7月29日13時から。当日来場者にのみ、化石が繰り返し聞いた大野林火の講演録「俳句のこころ」が配られる。問い合わせは友の会(hansentomonokai@gmail.com
                (阿久沢悦子)


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