家探しから「教育環境の良い街」を考えた話
はじめに
私は、住まい相談サービス「すんで」のメンターをしている。このサービスでは、購入での住まい探しをしている人が、実際にその街に住んでいる人に周辺環境や保活の状況などを質問して、そこに住む人や経験者にしか分からない情報を得ることができる。メンターは、「この街はこんなところで、△△の点は不便でも、〇〇の面では良い環境です」といったアドバイスをする。そこでよく見かけるのが、「子育て・教育環境」に関する質問だ。
「子どもの教育環境が良いところに住みたい」これは切実な願いだと思う。実際、私も夫もその点は重視したし、結果として今の家を選んだことも、現時点では良い選択だったと思っている。ただ、何をもって教育環境が良いとするかは難しいところで、イメージする方向性がおおよそ共通していたとしても(例えば地元の公立中が荒れていない等)、何をどの程度まで求めるのかには意外と幅があるように思う。そこで、私たち家族が考えたことを記事にしてみることにした。
評判の良い公立中の学区を考えた
家探しを始めた時、娘はまだ3歳だった。現役小学生の子持ちかつ学校の評判などつっこんだ話ができる知人は周囲におらず、地元川越の小中学校についてもあまり情報が無い状態だった。そこで、とりあえず埼玉で一番評判の良い中学校周辺を調べてみようよと、半ばノリでさいたま市の某公立中学区の物件を探し始めた。ノリではあっても、お互いヤンキー中学出身で嫌な思いもしてきたし、某中学の評判は隣の区育ちの私も昔から知っていた。「周りみんなうちより高所得かもよ~場違いかもよ~」なんて冗談を言い合いながらも、「うちは中学受験に大金をつっこむこともできないし、案外いいのかもね」などと話していた。すると、当該学区に庶民価格のちょうどいい築古リノベ物件を見つけた。この場所ならと申込寸前まで話が進むも結局申込には至らなかったのだが、この経験がその後の街選びに少なからぬ影響を与えることになった。
その後の同じマンションの売り出し価格を見れば、逃した魚は大きかった。惜しい気持ちがなかったとは言えない。けれど、考えてみれば私も夫もあまりブランドにこだわりが無いというか、かえって怯んでしまうようなところがある。加えて、お互いの仕事の関係で、どんな学校や地域だろうと周囲に馴染めない子どもはいるし、しんどい家庭環境の子どももいるということを知っていた。周囲の親の所得や職業威信の高さは、そういったリスクをゼロにはしない。過大な期待を抱かないほうがいいことは想像できるはずだった。そもそも、私たちは自分の娘に、落ち着いた家庭で育つ学力の高い子どもとだけ交流してほしいのだろうか。落ち着きの無い子や荒れた子はリスクなのか?私たちそういう世界観で生きていたっけ?……そのことに気が付くと、気持ちがちょっと冷めていった。
これは、評判の良い学区に通わせることを選んだ人々を批判するものではない。私たち家族には合わない選択だったかもしれない、というだけの話だ。落ち着いて考えれば、自分たちの来歴や好みと照らし合わせて、「ちょっと憧れはあるけど違うかもね」と判断できるはずなのに、家探しの切迫感というのはそれをさせないところがある。早く決断しなければ、先に申込が入っちゃうかも、もうここには買えないかもという焦りは、教育や子育て環境に関して夫婦で落ち着いて話し合う時間を奪う。わが家の場合、買えたかもしれない物件が買えなかったことで、結果的には身の丈に合った教育環境を考え直す良い機会になった。
物件比較リストから見えた、わが家が重視する教育環境
それ以降は、良さそうだと思った物件のリストを作り、比較のための項目を作ってざっくり数値化しながら、物件のどこに魅力を感じるかを明確にする作業をしていった。ここで収穫だったのは、まずどんな項目を作るかという作業で、自分たちが教育環境として重要だと考える要素をはっきりさせられたことだ。大体こんな感じだっただろうか(データを捨てちゃって完全には覚えていない)。以下の項目は、大項目(「公園」など)の中にいくつか含まれる形で数値化した。それぞれを解説していく。
1.遊具のある公園
幼児期はどこに行くにも親が一緒で、車や自転車に乗せて遠くの公園に行く方がかえって簡単だったりする。なので、小1~小3くらいの子が遊べる場所であることも考えた。少しずつ親の手を離れていく段階にあるわが子とその友達が、自分たちの馴染みの居場所にしていけそうな点を重視し、公園の規模は小さくても実際に子どもたちに活用されていればOKとした。
2.大きい公園
小学生が徒歩か自転車で行けて、小3以降も遊び甲斐のある場所であることを重視。この年齢になると、遊具の有無よりも大きく動ける環境であることが大事になってくる。築山や高低差があっていろいろな遊び方ができるような場所を想定して考えた。
3.図書館
小学生が徒歩か自転車で行きやすいという点を重視。広さや新しさよりも、日常使いできることが大事だと考えた。同級生と遊ぶ気にならない、習い事に行く気にならない時に、フラっと行ける距離感や空気だとなお良し。自習する中高生がずらっと並ぶ空間も勉強を身近にするには良さそうだけど、5歳にして「おうちでゆっくりしてたい」などという娘には時にプレッシャーになりそうなので、普通の図書館で全然OK。
4.博物館などの社会教育施設
無料かつ行きやすい場所で、子どもグループが暇をつぶせる場所として考えた。私も夫も、近所にあった市立博物館や「水の科学館」「防災センター」などが、友達と行く良い遊び場だったという経験がある。外に出る暇つぶし方法を少しでも持っておくと、何かしら楽しいかも…という期待を込めて検討した。
5.塾や習い事
行くたびに送迎が必要というのは親の負担が大きいので、徒歩や自転車で行ける範囲にあるとありがたい。単純に時間や労力の問題だけでなく、「これだけ大変な思いして行かせてるんだからちゃんとやれ」と、怒りたくなる気持ちを抑えるという負担もある。もしそれを言ってしまった場合、子どもには親以上の負担がかかる。お互いのためにも、安全が確認できる範囲で親子の距離が取れるほうがいい。有名塾の有無では測らないことにした。
6.治安
一応項目に入れたものの、私も夫もそんなに上品な地域で育ったわけではないので、「よほどの繁華街が生活動線になるような場所以外は別に大差ないね…」となった。子どもにとっては、見知らぬ他人よりも近くにいる人間が道を誤るほうが余程脅威になる。うちは女の子なので、見知らぬ他人の脅威が心配じゃないとは言えない。でも、何らかの被害に遭うことを完全に防ぐことは不可能だと、かつて何度かの被害経験のある私は思う。だから、どんなに軽微なことでも、嫌な思いや怖い思いをしたらすぐに話してくれるような関係性を築くことが重要だと考えている。それは学校の荒れに関しても同じで、嫌だと言ってもらえれば、中学受験やその他の方法を検討することも可能になる。
学力や賢さをどう捉えるか
わが子に賢い人間になってほしいという願いは、私たち夫婦にもある。そして、賢さを広義で捉えたとしても、それは往々にして学力ともリンクしていると思う。だから子の学力を伸ばしたいという気持ちはあるし、現に今もZ会の幼児コースを受講中だ(しまじろうはおもちゃが増える一方なので…)。「体験からの学び」や「自然の中で泥んこで遊ぶ」ことだけに注力できるほど、邪念を振り切れてはいない。有り体に言えばレベルの高い学校で教育を受けてくれたらと思うわけだが、そこで身に付けた学力のアウトカムに関しては、稼ぎの多寡やステイタスだけで方向性を決めてほしくないとも思っている。世の中は多様な人で構成されていて、都市だけが世界ではない。解決すべき課題も多い。このようなわが家の社会観を考えると、街としてある程度は雑多さがあり、工場も農地も近くにあり、保護者の職業もそれぞれ違うような環境が良いのではと考えるようになった。賢さが身に付いたとして、それをどのように使うかは娘が決めるのだ。親としては視野を広げる経験を用意するしかない。
サードプレイスが散らばった街
「結局、私たちは学校というより子どものサードプレイス重視だよね」というのが、比較リスト作成から得た結論だった。子どもにとっての学校は生活の大部分を占めるもので、そこで過ごす時間も長い。だからこそ、学校だけが全てではないと感じられる場が近所にあることで、ある種割り切って学校の世界と付き合うことが可能になるのではと思っている。今、不登校の子どもが全国で24万人超(多分実際はもっと多い)で、長期の不登校には至らずとも、子どもが学校に行きたくないと言う、ちょっと休む、といったことは珍しくないと思う。わが子だけでなく、他の子どもたちにとってもサードプレイスが散らばった街であれば、学校を含めた地域が、ちょっとだけ息継ぎのしやすい場所になるのではないかと思っている。
子どもに良い環境をつくる人の存在
結局、私たちは川越で家探しをすることになり、以前住んでいた賃貸の近くにマンションを買った。それは、娘の周りには既に温かい目で成長を見守ってくれる大人が沢山いたというのが大きいし、友達と連れ立って外で遊ぶ子どもをよく見かけるというのもある。そうそう、あとは借りている畑での農作業が好きなのと、そこで出会うおじいちゃん・おばあちゃん、外国ルーツの人たちとの交流が楽しいのもある(みなさん故郷の野菜を作ったりしていて面白いのだ)。
ここは観光地でもあり伝統行事やイベントが多い街なので、たくさんの知らない人が行き交う光景が日常で、わりとオープンな人が多い。川越まつりにしろ、大小さまざまなイベントにしろ、地域で顔を突き合わせて協力しなければ成り立たない場面が多いので、首都圏の30万人規模の都市とは思えないような空気がある。川越に引っ越してきた当初からこの独特さを感じた私は、娘を連れてあちこち出掛けて、近所のお店などに知り合いをたくさん作るようにした。
小さい子を連れて歩いているとニコニコ声を掛けてくれる人が多いので、娘は今、顔なじみになっている店がいくつかある。店の飼い猫を触らせてくれる所も2軒ある。私たち親子を温かく迎えてくれる方々にはいつも感謝しているし、私も地域の人間として、子どもに優しい大人になっていきたいと思う。
いずれ娘が友達同士で行動できるようになったら、「あの店は猫がいる」と友達を連れて行って、他の子たちの世界をちょっとだけ広げてくれたらと思っている。そうしたら、私はあらためてお店に伺って、いつもお世話になっていますと何か買って帰ってくるだろう。そして娘の友達もまた、ここのお寺でよく遊ぶとか、この道は大きい犬が散歩していて触らせてくれるとか、新たな世界を広げてくれる存在なんだろうなと思う。こうした大人と大人、大人と子ども、子どもと子どもとの交流の循環は、子どもに良い環境になるだろうし、長じて教育環境の良さにもつながってくるのではと考えている。
おわりに
話の射程を大きくし過ぎたような気もするが、「教育環境の良さ」を狭義の学力向上のための環境と捉える人は、最近では多数派でないように思う。様々な体験を積めるといった点を重視して、習い事が豊富で、美術館や博物館などに足を延ばしやすい都心部の良さを見直す人もいる。わが家の場合も同じような感覚で、子どもにとってのサードプレイスだったり、勉強も自然体験も程ほどにできる環境だったりを選んでいる。
都市と田舎のハイブリッドのような今の街は、それゆえの面倒さもある。自治会費は川越まつりの山車の費用込みだし、旗振り当番もある(しかも仕組みが独特)。けれどそれは、この街のオープンでちょっとだけ強いつながりという良さとトレードオフなのだと思っている。この街の良い面だけにフリーライドはしたくない。私の信念は「自分の子どもだけが幸せな社会は作れない」なので、わが家なりの方法で街に貢献していきたいとも思っている。
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学力面や、クラスメイトの雰囲気といった部分での環境の良さについて情報を得たかった人には、期待外れな内容だったかと思います。すみません。でも、わが家なりの考え方とその道筋から、あらためて子どもの教育環境について考えるきっかけを提供できたなら嬉しいです。長いnoteにお付き合いくださり、ありがとうございました。