話題1冊を読んで
Twitterで1ヶ月くらい前??話題になった1冊
「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし
kindleで購入して読みました。amazonのレビューの当てにならないことといったら(苦笑)反日コメントしてる人たちは本当にこの本読んでるんですかね??それともただ韓国が嫌いだからだけであのようなコメントしてるのでしょうか??
正直理解力,読解力など低い私は1度読むだけだとなかなか理解できないこともありました。それでもこの本は間違ってるとかは思わなかったし反日だとも思いません。だって書かれていることって事実じゃないですか?全部が全部ではないのかもしれないけど,日本が植民地支配していたことは本当だし,私たちがきちんとそのことを学校で学んだかというと学んでないと思います。それとも私が通った学校だけそういう勉強が省かれていたのでしょうか?
それとこの本読んでいると自分がkーPOP好きとか韓流ドラマが好きというと周りの人が・・・・みたいなことが書いてあって,そこにも驚いてしまいました。自分の周りは環境が変わっても常にkーPOP好きだったり韓流ドラマが好きだったり,韓国料理が好きだったり誰かしら語れる相手がいたので否定する人っていなかったんですよね。確かに祖母,父とかたまーに差別的な発言を感じたときは何回かありましたが,全否定とかはなかったし。なので韓国人嫌う人たちがいるのは知っていたけど,そんな近くにはいないものかと思っていたという、まぁなんというかお気楽な何も知らない40歳だったんだなぁと恥ずかしくなりましたよ。。
でこの本を読んでですが・・・
Twitter で書いてる人もいたけど,読んでいて苦しくはなります。そしてモヤモヤは無くなりません。たとえ今のモヤモヤが薄れたとしても新たなモヤモヤが生じる人も多いと思います。
この本の後半に出てくる男性の『僕は日本の加害の歴史を考えなくても生きていける立場だからこそ,何も考えずに韓国の文化を無邪気に楽しむことができていたんだと思います』そしてこれは加害者側だからこその特権だというのです。特権・・そんなふうに考えたことなかったです。
『人を差別するような人間ではない。そう思っていた自分の中に,日本の加害の歴史を軽視し,韓国人や在日朝鮮人などを見下すような意識が根付いていたこと』
差別意識がないとは自分のことは思ってはないけれど(人間多少は差別意識はみんな持ってると思っているし)自分が加害者側だから気にせずいられるというのは恥ずかしながら言われて気付きました。
そして彼の章で『連累』をいう概念を知ることができました。オーストラリアの歴史学者 テッサ・モーリス=スズキさんが提唱する概念で
『現代人は過去の過ちを直接犯してはいないから直接的な責任はないけれど,その過ちが生んだ社会に生き,歴史の風化のプロセスには直接関わっている。そのため過去と無関係ではいられないというもの』
私にとってもまさに目から鱗でした。昔はどの国もそういうことをやっていたからとか,そういう時代だったから仕方ないとか 今でもそういう考え方が自分の中からなくなったわけではないけれど少なくても自分とは無関係というのは違うなと思うようになりました。
わたしは日韓のこと以外にもあまりにも多くのことを知らないままボーッと年だけは重ねてしまいました。ここ2,3年よく使う言葉が「まずは知ることからはじめる」です。でもこの書籍ラストの方にもありましたが
『「知る」というのも,自分の意識をしっかりあらためるという意味であって,ただ事実や用語を知るということじゃない。認識をあらためるという行為があって,初めてその行動ができると思います。』
はい,もう自分に言っているのかな??となりましたよ、ほんとにすみません。
正直歴史って本当に何があったのかってわからないことばかりじゃないですか?だから考えが分かれてしまうのは仕方ないのかなって今でも思ってます。ただ自分の周りの人がそういう考え方だから私もそう思うとか,そういうのではなく自分で知る努力はするべきだと思います。それが難しいのだけれど・・・。人生残り半分,今更?いやまだ大丈夫!もう少し社会に関心をもって生きていこうと思います。って結局自分の反省になってしまう・・・。