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留学中止を覆させた話①【コロナ禍留学】

¡Hola!   maiです。

急にちょっとキツめのタイトルじゃん、どうしたんだよ、と思われそうですが、私が今スペインで大学に通える一日一日を大切に出来ている理由の一つがタイトルにある通り「大学に留学中止を覆させた」からなんです。
ちょっとざっくり言い過ぎて、友達や一端を知る人たちから「盛ったな」と言われそうなので(笑)、交換留学合格から時系列で詳しくお話したいと思います。


①交換留学合格

大学の交換留学出願と面接試験が2020年秋冬でした。その時期はちょうどコロナがどんどん勢力を強め、友達や先輩の留学中止が決まっていた頃。そんな中での募集開始だったので、そもそも留学に行けるの?と疑問を持ちつつ、長年の夢を諦めきれなかったので応募を決意しました。
無事試験を通過し、第一希望だったグラナダ大学で一年間学べる切符を手にしたのが2020年12月。その頃からますます雲行きは怪しくなり、特にスペインは年明けから過去最悪の状況に突入していきます。

この時一番苦しかったのは、周りの人に留学の話をする度「まあ無理だろうね」「結構厳しいね」「運が悪いね」とネガティブな言葉を掛けられ続けたこと。正直私も渡航しての留学は厳しいことは察していましたが、どうしても諦めたくなかったので心が打ちのめされるような毎日でした。
その時に唯一家族だけが夢を諦めるなと背中を押し続け、希望を持たせ続けてくれました。あれがなければ、この時点で完全に心がポッキリ折れていたと思います。


②留学中止決定

ネガティブな言葉の数々から傷が癒えないまま2021年春、大学から「外務省発表の感染症危険レベルが1以下にならなければ、渡航を伴う2021年秋からの留学は中止」という判断が下されました。
「感染症危険レベルが1以下」=コロナの無い世界=実質の留学中止宣告です。大学はずっと決断を引き伸ばし続けていたので少し期待はしていたのですが、やはりダメ。なんとなく予想はついてたしこの状況の悪さで、ある程度覚悟もしてはいたもののあまりにも厳しすぎる条件を前に屈するしかないのが悔しくて、絶望の中でただ泣くしかありませんでした。

いや~そんな絶望するほどのことでも、いくらでも選択肢はあるじゃんね、という声もかけてもらったのですが、何せ私にとって
①3年の秋に ②交換留学生として ③スペインの大学に ④1年通う
という条件だけは絶対に妥協できないものでした。教職課程を取っている関係で卒業年次はもともと下げるつもりでしたが、これ以上伸ばしたくないし他の選択肢はあまり考えられない、一生に何度もない留学のチャンスなのに妥協はしたくない。そもそも私費留学の選択肢は私には無いし、自分の学びのプランから考えて他のタイミングも他の留学形態も想像できない、まして今から準備する気力も残ってない。だからって全く留学を経験せず就職はしたくない。オンライン留学は失うものと得られるものの対価が自分の中で釣り合わない。え、どうしよう...。

心の中では諦めていたつもりでも、やはり現実を突きつけられると人間って受け入れられないものですよね。何も考えられなくなって、大学の学びにも力が入らないし、好きだったことも楽しくないし、何より今まで頑張ってきたものは何だったのか...と頭の中でひたすら真っ黒な靄が渦巻くだけの日々がしばらく続きました。

そんな時、同じ状況の友人に掛けてもらった一言が、私をどん底から引っ張り出してくれました。

「大学にアクション起こしてみようよ」

実際私と同じ境遇の学生は同じ学科や大学だけでなく全国にいて、他の大学も同じような動きが始まっていた頃でした。

そうだよな、国によって、地域によって感染状況も違う、ワクチン接種スピードも違う、政府の対応も違う。日本政府が留学再開に向けて動き出したニュースもちらほら見かけるのに、なんで一つの基準と大学の乏しい調査(下手したらイメージだけ)で、学ぶ意欲にあふれる学生の夢が絶たれなきゃいけないのか。

そう思ったらいてもたってもいられなくなって、すぐ賛同の返事をしました。もちろん溢れ出す疑問と心の靄に少しでも納得できる回答が欲しかったのもありますが、動機の3分の1くらいは「この悔しさをぶつけてやろう」と半分八つ当たりのようなものでした(笑)

そんなこんなで、私は中止判断を覆させるためのスタートラインに立ったわけです。


思ったより長くなってしまってまさかの前置きだけで①が終わってしまいましたが、②もこんな調子で更新したいと思います。

では。

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