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漫画原作:『燎原のArena~異聞東方見聞録~』登場人物

タグ:#登場人物,#漫画原作,#シナリオ形式,#漫画#,マンガ,#歴史モノ,#13世紀後半,#元寇,#東方見聞録,#モンゴル帝国,#バトルモノ

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主な登場人物:(第1話時点)

藤太郎(とうたろう)…主人公(架空の人物)
対馬国(つしまのくに)守護代である宗氏(そうし)に仕える譜代(ふだい)の郎党。若年ながら朝鮮半島の高麗(こうらい)や九州の博多・大宰府との折衝を任されている。書物と諸国を見聞する中で得た知識に基づく広い視野を用いて、虜囚となった日本の武士を率い、生きて対馬に帰るために闘技場で戦う。

塔二郎(とうじろう)
藤太郎の弟で対馬宗氏家臣。数年前、宗資国養子の弥二郎とともにモンゴル帝国に囚われたことがきっかけで大陸に渡ったことがあり漢語とモンゴル語を理解することができる。モンゴル帝国の首都である大都(だいと)滞在の経験からモンゴル帝国の豊さと恐ろしさを誰よりも知っている。

弥四郎(やしろう)
藤太郎・塔二郎と同じ対馬宗氏家臣。高麗国の使節に請われてモンゴル帝国への使者として大陸に渡る。フビライの使節の日本滞在時に通辞(つうじ:通訳)をつとめたことから、塔二郎同様、漢語とモンゴル語を理解することができる。

宗資国(そうすけくに)
対馬国守護代で宗氏の総領。文永11(1274)年10月、対馬に侵攻してきたモンゴルの大軍相手に八十騎余りで立ち向かう。子息の右馬次郎、養子の弥二郎らとともに討死をとげた。

厳の方(いづのかた) (架空の人物)
宗資国の養子、宗弥二郎の正室であり、藤太郎と塔二郎の姉。対馬に侵攻してきたモンゴル兵に生まれたばかりの赤子とともに捕われる。

ウラーン・コルスニィ・カブガイ(うらーん・こるすにぃ・かぶがい) (架空の人物)
元朝の御史台(ぎょしだい)の監察御史(かんさつぎょし)として、文永の役でモンゴル軍の監軍(かんぐん)を務めた謎の武人。軍律に非情に厳格で、軍律を破るもの・大ハーンであるフビライの尊厳を汚すものにはたとえ味方であっても容赦することなく手を下す。真紅の鎧と日本刀と揚羽蝶紋(あげはちょうもん)のマントをまとう。


●時代背景
物語が始まるのは、文永11(1274)年10月、日本の対馬国。主人公の「藤太郎」が主君である宗助国とともに対馬下島西部の佐須浦(さすうら)・小茂田浜(こもだはま)に上陸してきたモンゴル軍を迎え撃つところから物語が始まる。

●13世紀後半の社会情勢
日本は、鎌倉幕府と京都の朝廷による支配。宝治合戦や二月騒動において有力御家人や対立する北条氏の一門を滅ぼし、摂家将軍や皇族将軍を名目上の存在としていた執権北条氏は、従来の執権政治から得宗専制政治へと政治体制を変貌しつつあった。折しもモンゴル帝国からの使節が日本を訪れるが、幕府は使節と対面しようとせず粗略に扱ったことでモンゴル帝国の侵攻を招いてしまう。
モンゴル帝国は、チンギスとオゴタイの2代で飛躍的に領土を拡大。チンギスの子孫達が「ハン国」(ウルス)を興し、広大な領土を統治していたが、第4代モンケ・ハーンの死後、弟であるフビライとアリクブカとの間で後継者争いが勃発。
アリクブカに勝利したフビライは第5代ハーンとなるも、フビライの宗主権を認めないオゴタイ家のハイドゥがキプチャク・ハン国とチャガタイ・ハン国を巻き込み反乱を起こす。
「ハイドゥの乱」は、チンギスの子孫達の緩やかな連合体であったモンゴル帝国の分裂を招いた。フビライは、大元王朝を打ち立て、弟であるフラグの立てたイル・ハン国と同盟して反乱に対処した。
フビライは、ハイドゥと戦う一方、チンギス以来の悲願である南宋討伐を着々と進めていた。朝鮮半島の高麗国を従属させるとともに、南宋の拠点であった襄陽を陥落させたフビライは、南宋と交易を行い友好関係にあった日本への侵攻を開始する。

●用語・設定説明
文永の役(ぶんえいのえき)
モンゴル帝国による最初の日本侵攻(元寇)。文永11(1274)年10月上旬、突如現れたモンゴル軍は、対馬・壱岐を制圧。十月中旬には、博多に上陸を果たしたが、日本の武士の激しい抵抗と悪天候に見舞われたことで撤退する。
秋から冬にかけての季節に侵攻してきたことから、文永の役は、モンゴル軍による偵察説と予想外の抵抗に遭遇したことで戦闘の長期化を恐れたモンゴル軍による退却説の2つの説が存在している。
なお、文永の役ののち、捕虜となった子供男女200人が高麗王と妃に献上されている。
物語において、文永の役で捕虜になった対馬・壱岐・肥前沿岸の日本の武士・領民が生きて日本に帰国するために、大草原に築かれた闘技場で戦うという設定をとっている。

対馬国(つしまのくに)
九州の博多から80キロ海上にある島。朝鮮半島との近さから古くより日本と朝鮮王朝との両属性を持ち、交流の窓口となっていた。鎌倉時代において、対馬守護は、武藤氏(のちの少弐氏)であったが、守護代として惟宗氏(これむねし:のちの宗氏)が現地を支配していた。
物語開始時点の対馬国守護代は、宗資国。

壱岐国(いきのくに)
対馬と九州の中間にある島。文永の役において、対馬を制圧したモンゴル軍が来襲し、壱岐守護代平景隆以下百余騎は圧倒的な兵力差を前に敗北。平景隆は自害し、対馬同様に、多くの領民が殺害・捕虜にされた。

宗氏(そうし)
もと惟宗氏(これむねし)であったが、平安末期に在庁官人(ざいちょうかんじん)として対馬国に渡り、現地を掌握。鎌倉時代には、対馬守護である武藤氏に代わり、守護代として対馬を統治し、宗氏を名乗る。
元寇で当主の宗資国以下多くの一族が戦死するも、明治に至るまで対馬を支配し続けた。

モンゴル帝国(もんごるていこく)
13世紀初頭、チンギス・ハーンが打ち立てた遊牧政権。当初はモンゴル帝国の皇帝である「大ハーン」を中心に、チンギス子孫の王族が打ち立てた「ハン国」とが緩やかに結びついた連合政権であったが、第3代グユク・ハーンと第4代モンケ・ハーンの急死に伴う後継者争いの末に、第5代ハーンとしてフビライが即位。
フビライの即位に反対するオゴタイ家のハイドゥがチャガタイ家やジュチ家と結び、反乱を起こしたことで、モンゴル帝国内の連合は失われ、「ハン国」は半独立国家となってしまう。
中国風の大元王朝を打ち立てたフビライは、弟フラグが中東に打ち立てたイル・ハン国と同盟を結び、ハイドゥを中心とした、オゴタイ・ハン国、チャガタイ・ハン国、キプチャク・ハン国と生涯に渡って戦い続けることになる。

フビライ・ハーン(ふびらい・はーん)
モンゴル帝国第5代ハーンであり大元王朝初代皇帝。チンギスの末子トゥルイの子で、兄であるモンケ・ハーン死後、弟であるアリクブカとの後継者争いに勝利して大ハーンに推戴される。ハイドゥの乱に苦しみながらも、南宋を滅ぼして中国統一を果たし、モンゴル帝国の最盛期を築いた。

上都(じょうと)
「シャンドゥ(ケーメンフ、ザナドゥ)」と呼ばれる大元王朝の夏の都。即位以前からフビライのオルド(宿営地)が置かれていた地で、即位後に副都としてフビライの夏の避暑地となる。
フビライは例年春から秋までの間、上都で過ごしていた。

大都(だいと)
「カンバリク」と呼ばれる大元王朝の冬の都。現在の北京市北部に存在した壮麗な都。元々、金王朝の首都中都(ちゅうと:燕京)のあった地に、アリクブカとの戦いに勝利したフビライがモンゴル帝国の首都として建設させた。
「積水潭(せきすいたん)」と呼ばれる港が城内に存在しており、江南地域の物資が運河を通じて大都に集積された。
フビライは例年秋から春までの寒い間、大都で過ごしていた。

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