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回顧録第4話【金色のガッシュ】

【生え抜き主義】

少し時間を戻す。そんな風に『神のみぞ知るセカイ』がヒットし始めた頃、僕にはサンデー編集部で親しく連む編集者たちができ始めた。ほぼ皆、同じ歳だった。ガーくん、ヅカさん、ムッちゃんとしておく。その中でヅカさんは僕より一つ上の中途入社社員だった。つまりサンデーは2年連続で中途入社社員を編集部に迎え入れたのだ。これは上層部なりにサンデーの変革を期待していたということだ。

ガーくんも、ムッちゃんもサンデーの本流ではなかった。ガーくんは、最初は青年誌に配属されていたし、ムッちゃんは生え抜きだが、一度編集部を出たので生え抜き扱いされていなかった。キャラが増えてめんどくさいので以後全員“同期”と表記する。つまり僕の同期たちは生え抜き主義のサンデーで本流ではない人たちだった。

サンデーで生え抜きとみなされるのは、新入社員の時にサンデーに配属され、そのまま3年間編集部に残れた人だけだ。そして編集部へ投稿された作品は、生え抜きから優先に担当になる権利が与えられる。

生え抜きは作家を育て、連載を次々と起こす。そして立ち上げた作品は、いずれ生え抜き以外の編集者に引き継がれていく。そういうシステムが完成していた。立ち上げを沢山こなせるのでエリートたちは成長が早い。実績が積み重なる。成功率が高くなる。

ちなみにこの生え抜き編集者の筆頭格が、有名な市原武法氏、後にゲッサンを立ち上げ、後にサンデー編集長になる人である。逆に、生え抜き以外の編集者の仕事は決まっていた。進行が厳しくなったり、人気が出なかった作品の引継ぎ担当と雑用だった。

サンデー生え抜きではない僕の同期は全員ヒット作を出せていなかった。当然だった。引継ぎ作品ばかり渡されて、新人がもらえないのだから。そんな中で僕はルールを破り編集長に直訴し、有望な若木民喜氏を担当させてもらいヒットさせた。

もし僕がスクエニで立ち上げ経験がなければそれは不可能だったであろう。その点で今回の事例は異例中の異例と言える。同期たちはそんな僕に興味を持ってくれた。もちろん生え抜き主義は明文化されたものではない。

日本社会によくある、慣習、不文律、そういうものだ。それはずっとそこで育った人間にはおかしなことかどうかは分からない。だが、外から来た僕にははっきり、おかしいと分かる。生え抜きだろうが、中途入社だろうが平等に打席に立たせるべきだ。

そして結果を出せる者が重用されるべきなのだ。寿司屋の修行じゃあるまいし。いや、寿司だって最近はYouTubeで学んで独学で、素晴らしい職人になる人もいる。僕は同期と共に編集長と交渉した。生え抜きではない僕たちにも有望な新人作家を担当させてくれと。

『神のみ』の成功で僕を信用してくれた林編集長は、快くOKしてくれた。生え抜き主義はサンデーというブランドを真に愛し、誇りを持っている編集者と作家だけがコンテンツを生み出す立場にいることで、サンデーというブランドを強化するための手法らしい。馬鹿馬鹿しい。生え抜きだろうと、中途だろうとヒットを出すことが重要でしょと詰め寄った。

すると意外にも林さんは「だよな」と答えた。林さんも前々からおかしいと思っていたようだ。慣習なんかそんなものだ。おまけに誰が作ったルールなんだと首を傾げ出した。誰かが生み出した謎ルールが、なぜかそのまま使い続けられる。日本社会でよくある単にそれだけの話だった。

そもそも林さん自身、ジャンプから鈴木央先生を引き抜いて連載させていたのだから。真っ先に生え抜き主義を破った編集長である。僕はこの人の下でなら、本気で働けると思った。

そして林編集長は当時、低迷しつつあった編集部を改革するために上層部が送り込んだ編集長だった。彼にとって、僕たちは改革を行う駒として有望な存在だった。僕たち同期4人は林さんの下でサンデーの改革を行おうと毎夜話し合った。

僕は同期たちに僕の立ち上げノウハウを惜しみなく提供した。全員小学館に入れるような社員だ。優秀だ。あっという間に身につけてしまう。これは楽しそうだ。仕事とはイノベーションを起こすこと。当時知り合ったGoogleの偉い人が言っていた。俺たちでヒットを出しまくりサンデーにイノベーションを起こそう。僕たち同期4人は強く誓った。仕事が楽しくなってきた。・・・そんな矢先に事件が起きた。

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