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「恐怖と笑い1」編集ちゃん その9
先日、今話題の映画「カメラを止めるな!」を観に行った。
前評判通り面白かったけど、カメ止めの良さについては他の人が感想を言っていると思うので、ここでは割愛する。
(※以下、カメ止めのネタバレも含んでます!)
映画を観ていて僕が気になったのは、カメラの視点によって感じ方が変わったこと。
カメラが近い時は”恐怖”を感じたのに、カメラが引いたら”笑い”に変わったことが不思議だった。
なんでだろう?と悶々と考えていた時に、カメ止めの監督の上田慎一郎さんのインタビュー記事に、その答えの一つが出ていた。
それは、喜劇王として有名なチャップリンのこの言葉
「寄ってみれば悲劇に見えることも、引いてみれば喜劇に見える」
(原文はこれかな「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」)
解釈は色々あるみたいだけど、その時悲劇に感じた出来事も、過ぎ去ってしまえば笑い話になるよね、だから悲観するな。みたいなことかな。
これはコメディのセオリーのようで、経験として実感もある。
本当に怖い時につい笑ってしまったり、ホラー映画に冷静なツッコミを加えたりしたら結構笑える。
恐怖と笑いの境界線はなんだろう?
調べたら面白い考察があった。
注目した箇所はこの部分
・理解できる逸脱→笑い
・理解不能の逸脱→恐怖
この定義が正しいのであれば、お化け屋敷やジェットコースターといったアトラクションで感じる恐怖ってなんだろう?
理解できる範囲での逸脱なはずだから、笑いの感情が起こるはずだけど、実際は恐怖している。とはいえ、恐怖の前後には笑ってるし、体験中も恐怖と笑いがかなり交差している。恐怖と笑いは紙一重ということなんだろう。
また、日常が壊れたり、日常からずれたりするときに、人は恐怖や笑いの感情が生まれる。
でも、いわゆる”普通の人”が存在しないように、完全な日常も存在しないという意味では、それらはある種概念のようなもなのに、そこを基準としてしまうのも不思議なことだと思う。
「恐怖と笑い」についてまだまだ理解半分だから、もう少し考えてみようと思う。
今日はこれぐらいで。
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「笑い」と「恐怖」の境界線~チャップリンという天才~
http://mandara-dara.hatenablog.com/entry/2015/06/11/170428
出典:誘蛾灯の囁き
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