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おっぱいのこと

おはようございます。
Comfortable Days よーこさんです。


私が初めての子どもを産んだ時、 
入院中は、おっぱいはほとんど出なかった。

産めば出るものだと思っていたので、
途方にくれてしまった。
でも、動物だもの、きっと出る!と信じて、
その時を待つ事にしていた。

おっぱいマッサージを婦長さんにぎゅぎゅとされ、痛い、でも沢山は出ない。

息子は、飲むものが少ないけど、
ミルクは足さなかった。
あげてしまうとおっぱいはが出なくなる、
という暗示を自分にかけたみたいになって
しまっていた。

病院では、しょ糖を与えてもらっていた。

退院してもおっぱいは少ししか出なかった。

生まれて1週間経った日、少ししか出ないことに、すっかり滅入ってしまって、
ミルク足そうかなと話すと、
夫が「もっと、どーんとしとったら、出るようになるよ。おっぱい110番に行ってから、決めたんでいいんやない。」と言った。

私は、なんだかラクになった。
それまで張り詰めていたものが緩んだ感じだった。

そしたら、次の日から、急に、
びっくりするくらい沢山出るようになった。
おっぱいの色も白くなって、おっぱいらしくなった。

それからは、おっぱいの量を心配することはなくなり、ミルクは一度も買うことはなかった。

後で考えると、
ちょっとミルクを足したって、
別にいいやん、と思える。
何をそんなに意地になってたんだろうって。

人生の最初で、飢えさせてしまったからかな、小ちゃくなって消えてしまう夢を見たりしたのは。

そんなことを一つ一つ迷ったり、悩んだりしながら、子育てはスタートした。

2人目の子ども娘の時は、
生まれてすぐから、ちゃんとおっぱいが出た。
出なかったら、ミルク足そうって思ってたのにね。

今回、
娘がbabyを産む前に、この思い出を話した。

初乳は大切だし、
母乳で育てる事は、素晴らしいことだけど、
その事にこだわる事はない、
出なくても何も悪くないってこと。
を伝えたかった。

そして、娘のおっぱい生活が始まった。

はじめは量も少ないようだったが、
ちゃんと出ている。

口にうまくふくませることや
お互いが心地よい体制など、
探り探り行っている。

日本だと退院する頃の生後5日目頃から、
量も安定してきたようだし、
与え方もスムーズになってきた。

そこに母と息子の誰にも入れない
強い絆と2人のペースが出来てきた様子が
伺える。

まだ3時間どころか、
1時間30分から2時間の間隔で、
おっぱいちょうだいを訴えているが、
ぐっすり寝ていてもちゃあんと目覚めて
お母さんの顔になる。

せめて今、私がいる間は、昼の間は、
娘にしっかり寝て休んでもらおうと思ってる。
夜中は娘と彼とで、頑張ってね。

人生の中で、ほんの1年間程位の間しか
母乳を与える期間はない。

母と赤ちゃんだけが過ごせる至福の時間だ。
愛おしさは、増していく。
私がいないと生きていけないこの時を
大切に過ごしたいと思っていた。

容赦なくやってくる「おっぱいちょうだい」
の時間。
大変だったり、きつかったりするけど、
それにも増して、大切にしたいと思っていた。

この時間は、子どもは覚えていないだろう。
でも、この心の交流は、
子どもの心の奥に降り積もり、
その人を人として支える大きな支えとなる。
私は、そう信じている。

今、
娘が一生懸命におっぱいを与える姿を見て、
間違っていなかったと確信している。


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