おっぱいのこと
おはようございます。
Comfortable Days よーこさんです。
私が初めての子どもを産んだ時、
入院中は、おっぱいはほとんど出なかった。
産めば出るものだと思っていたので、
途方にくれてしまった。
でも、動物だもの、きっと出る!と信じて、
その時を待つ事にしていた。
おっぱいマッサージを婦長さんにぎゅぎゅとされ、痛い、でも沢山は出ない。
息子は、飲むものが少ないけど、
ミルクは足さなかった。
あげてしまうとおっぱいはが出なくなる、
という暗示を自分にかけたみたいになって
しまっていた。
病院では、しょ糖を与えてもらっていた。
退院してもおっぱいは少ししか出なかった。
生まれて1週間経った日、少ししか出ないことに、すっかり滅入ってしまって、
ミルク足そうかなと話すと、
夫が「もっと、どーんとしとったら、出るようになるよ。おっぱい110番に行ってから、決めたんでいいんやない。」と言った。
私は、なんだかラクになった。
それまで張り詰めていたものが緩んだ感じだった。
そしたら、次の日から、急に、
びっくりするくらい沢山出るようになった。
おっぱいの色も白くなって、おっぱいらしくなった。
それからは、おっぱいの量を心配することはなくなり、ミルクは一度も買うことはなかった。
後で考えると、
ちょっとミルクを足したって、
別にいいやん、と思える。
何をそんなに意地になってたんだろうって。
人生の最初で、飢えさせてしまったからかな、小ちゃくなって消えてしまう夢を見たりしたのは。
そんなことを一つ一つ迷ったり、悩んだりしながら、子育てはスタートした。
2人目の子ども娘の時は、
生まれてすぐから、ちゃんとおっぱいが出た。
出なかったら、ミルク足そうって思ってたのにね。
◇
今回、
娘がbabyを産む前に、この思い出を話した。
初乳は大切だし、
母乳で育てる事は、素晴らしいことだけど、
その事にこだわる事はない、
出なくても何も悪くないってこと。
を伝えたかった。
そして、娘のおっぱい生活が始まった。
はじめは量も少ないようだったが、
ちゃんと出ている。
口にうまくふくませることや
お互いが心地よい体制など、
探り探り行っている。
日本だと退院する頃の生後5日目頃から、
量も安定してきたようだし、
与え方もスムーズになってきた。
そこに母と息子の誰にも入れない
強い絆と2人のペースが出来てきた様子が
伺える。
まだ3時間どころか、
1時間30分から2時間の間隔で、
おっぱいちょうだいを訴えているが、
ぐっすり寝ていてもちゃあんと目覚めて
お母さんの顔になる。
せめて今、私がいる間は、昼の間は、
娘にしっかり寝て休んでもらおうと思ってる。
夜中は娘と彼とで、頑張ってね。
◇
人生の中で、ほんの1年間程位の間しか
母乳を与える期間はない。
母と赤ちゃんだけが過ごせる至福の時間だ。
愛おしさは、増していく。
私がいないと生きていけないこの時を
大切に過ごしたいと思っていた。
容赦なくやってくる「おっぱいちょうだい」
の時間。
大変だったり、きつかったりするけど、
それにも増して、大切にしたいと思っていた。
この時間は、子どもは覚えていないだろう。
でも、この心の交流は、
子どもの心の奥に降り積もり、
その人を人として支える大きな支えとなる。
私は、そう信じている。
今、
娘が一生懸命におっぱいを与える姿を見て、
間違っていなかったと確信している。
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