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考えすぎと俯瞰のリズム

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へんなものを見つけて考えて遠くから眺める 整合性と破壊、偏愛と狂気/冷静な神経質
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#言葉

先に生きる、ということ

少しテンションは抑えめ、しっとり目な文章です。 僕が中学校で出会った先生たちを紹介します。先生という言葉は「先に生きる」と書きますが、先を生きている人たちに学校という場所で出会えたことにとにかく感謝したいと思っています。 紹介するのは各学年で担任だった3人の先生です。(中学時代もう一人いた担任については長くなりそうなのでまた別の機会に書こうと思っています。) 今回のテーマ曲はH2Oの「想い出がいっぱい」です。 -------------------------------

言葉尻は、いとをかし

言葉は末尾。 だんだんと描写は進み、その連なりは少し整いを見せ、彩りをもつ文末がその味わいをじわりと押し拡げる。 言葉尻はとても面白い。 例えば、りんごが好き、という一文について考えてみる。 「りんごが好き」と「りんごが好きでない」は同じ文の最後に三文字くわえただけで、意味が正反対になる。 「りんごが好きか」と「りんごが好きね」は最後の一文字以外は全く同じ文なのに、その一文字が加えると、受け取れる意味の色が鮮やかに変化する。 さらには「好き」に関して、「好きだっちゃ」「好き

女のように走る男

女のように走る男を見た。 いや、正確にいうのならば「見た目はおじさんと呼ばれる風貌だが、(軽くこぶしを握った状態でわきを締めつつも、ひじから先を左右に振りながら走る)いわゆる女の子走りをしている人」を見た。 なぜその人だけを覚えているのだろうか、と僕は考える。小学校の近くで交通整理をしていた人、駅前であいさつ運動をしている人、電車で隣に座った人のことも覚えているけれど、印象には残っていない。何が特別だったのだろうか。 違和感と言ってしまえばそれまでだ。 性別が男性・女性