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『ジョーカー』 優しさと可愛らしさの眼差しで撮られたはずの映画が、インセルからの過剰支持を受けるというジョーク
『ジョーカー』(2019年/トッド・フィリップス)
【あらすじ】
ピエロはつらいよ
教科書から抜粋したかのような模範解答的な狂気を以ってして、本作を評価する気は起きない。しかしながらこの映画には、ホアキン・フェニックスという生き物の怪演が記録されている。しかもその生き物の記録として向けられる視線が、あまりにも愛情の眼差しに溢れていて、そこに好感が抱ける。
端的に言って、自分には主人公アーサーが「可哀想」というよりも「可愛らしい人」として撮られているように感じられる。それは作り手自身が「可愛らしい人だよね」とアーサーに寄り添って撮っているからこそで、彼に対してチャーミングさや愛くるしさすら感じる。
物語それ自体が悲劇的なので、作劇のベクトルが「可哀想」なのは理解できても、決して作り手は彼に対して「ほら、可哀想だなと共感しろ」とは撮っていない。終始「可愛らしい人なんですよ、私たちはアーサーのことが大好きなんですよ」という気持ちで撮っているようにしか考えられない。
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たとえば、トッド・フィリップスは『ハングオーバー』においても、ザック・ガリフィアナキスやケン・チョンを「可哀想な人」として描写していなかった。あくまでも、彼らの可愛らしさやチャーミングさを差別なく表象することによって、ブッ飛んだキャラクター像を提示していた。ブッ飛んでいながらも、そこには可愛いらしさという名の哀愁が漂っていたことを失念してはならない(特に『ハングオーバー3』の精神性は『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』と接続し得る、キャラクターに対する「けじめ」あるいは「落とし前」の作品だった)。
コメディ出身の監督だからこそなのか、除け者扱いされたキャラクターに対する眼差しの確かさを、この作品からもひしひしと感じられた。
だから、劇中にまるで金太郎飴の如く羅列された悲劇の数々も、露悪的とは思わない。アーサーが抱える症状も然り。むしろ、アーサーの可愛らしい魅力を誇示するためにそれらは配置されていて、その効果によって、文字通りクライマックスでは納得のカタルシスがもたらされることになる。
それらすべてが、信用できない語り手が夢想した絵空事だったとしても、可愛いらしいアーサーさんの妄想なら、まあ見て聞いてあげても時間の無駄にはならないよね、という納得もある。
その気持ち分かるよと、初めてそこで共感も生まれる。やさしくなれる。それまでの作り手の眼差しが、一貫してやさしいからだ。
病室で踊っている最中に銃が床に落ちてしまい、シーーン……となる場面、その可笑しさ、可愛らしさ、キャラクターに対する愛おしさを作り手が信じて切っていないと、ああいった場面は絶対に撮れない。
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本作が世界中で拒否されることなく、むしろ共感をもって過剰に受け入れられたという現象は、それがマーケティング的なシリアス路線による成果なのではなく、単に「現在」の映画だったからだと考えられる。ここにおける「現在」というものは、きっといつまで経っても「現在」であり続けるだろうし、「現在」はいつだって最悪なので、作品の賞味期限はかなり長いんじゃないだろうか。
自分はこの作品を特段コントロバーシャルとも思わないし、熱狂も信奉も全くしていない観客だけれど、それでもやっぱりジョーカー爆誕!のショットにはめちゃくちゃ痺れた。表象可能な最大限のカタルシスを魅せるためのアクションとショットの判断が的確すぎた。
『タクシー・ドライバー』や『セルピコ』や『キング・オブ・コメディ』、果ては『ネットワーク』などの名作群へのオマージュ、というかモノマネにはあんまりノレず、むしろそのまんま過ぎて下手っぴだなーと感じられたので、そんなことするなら初期構想の通りスコセッシが撮れば良かったのでは……と嫌な無い物ねだり。
引用の意味付けは理解できるけれど、結局は「わたくしなんぞスコセッシさんの下位互換でございます」と自ら表明しちゃっているようなもので(チャゼルの『バビロン』のラストに感じた感情)、好きとは言えそのまんまトレースしなくても……と感じつつ、でもアーサーがめっちゃ『タクシー・ドライバー』とか『キング・オブ・コメディ』が大好きでそういう妄想をしたというのなら、それはそれで秀逸な逃げだなと……。
全方位的に虚構性が高く、どこまでが現実でどこまでが妄想なのかしらと、あれやこれや人と話し合うのが楽しい映画でもあった。
ブルジョワたちが『モダン・タイムス』を観て爆笑しているシーンが、観ていて一番キツかったです。
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