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映画(ホラー以外)

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明滅する光と闇の記憶装置に関するてきとうな感想を、それっぽく書いているだけです。
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2024年12月の記事一覧

『ヘイトフル・エイト』 人を救うフィクションと人を殺すフィクション

『ヘイトフル・エイト』(2015年/クエンティン・タランティーノ) 【あらすじ】 悪い人たち同士で嘘をつき合う 「見知らぬ赤の他人同士が密室に閉じ込められる」映画というのは大抵の場合、事態は良からぬ方向へと展開していくものがほとんどだ。本作もその定型に当てはまる訳だけれど、まずもって「見知らぬ赤の他人同士が密室に閉じ込められる」というのは、つまるところ「映画館」のことだ。 当然、僕らは映画館でウソを眺めた後に、しっかりとそこから「脱出」することが可能である。そういった点

『全身ハードコア GGアリン』発、『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』着

『全身ハードコア GGアリン』(1993年/トッド・フィリップス) 【あらすじ】 全裸になって大暴れしても笑われる 『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』が日本で公開されるや否や、抗いようが無い形で本国での酷評を前提に「前評判通りつまらない」「そこまでつまらなくなかった」「酷評されてるけど面白かった」等という感想が飛び交っている状況があり、心底気持ちが悪い。 こういったバイアスはもの凄く不健全だなーと感じる派で、はっきり言ってしまうと、パンピーとかその他大勢とか大衆の意見とか

『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』 悪のカリスマなんか存在しないから、ただの犯罪者だから、犯罪者の最期はこういうことだから、とひたすら訴える犯罪抑止映画

『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』(2024年/トッド・フィリップス) 【あらすじ】 悪いことをしたので裁かれる 誠実で覚悟のある映画だと感じた。全く嫌悪感は抱かないけれど、このビッグバジェットでこの構造、ヒットするはずがない……。 でも、作品のヒットとか観客の欲求とかを全て放棄して、同じ監督同じキャストで「作らなければけじめがつかなかった」作品、挑戦として漏れなく成功していると感じた。 一先ず、「ジョーカーは俺だ」なんて言っちゃうワナビーに対して、「絶対に犯罪なんかし

『ジョーカー』 優しさと可愛らしさの眼差しで撮られたはずの映画が、インセルからの過剰支持を受けるというジョーク

『ジョーカー』(2019年/トッド・フィリップス) 【あらすじ】 ピエロはつらいよ 教科書から抜粋したかのような模範解答的な狂気を以ってして、本作を評価する気は起きない。しかしながらこの映画には、ホアキン・フェニックスという生き物の怪演が記録されている。しかもその生き物の記録として向けられる視線が、あまりにも愛情の眼差しに溢れていて、そこに好感が抱ける。 端的に言って、自分には主人公アーサーが「可哀想」というよりも「可愛らしい人」として撮られているように感じられる。それ

『FYRE: 夢に終わった史上最高のパーティー』 あきらめられなかった人が見る地獄

『FYRE: 夢に終わった史上最高のパーティー』(2019年/クリス・スミス) 【あらすじ】 リア充によるリア充のためのリア充のパーティーが大失敗する。 「やり方が分かるからやるんじゃないでしょ、やりたいからやるんでしょ」という言葉は、岩切一空監督『花に嵐』での里々花の名台詞なのだけれど、この言葉は"まやかし"だ。 確かに、技術的に構築された映画よりも、生まれて初めてカメラを持ったかのような衝動のままに撮られた映画こそ真に傑作たり得る、という創作論には強固な美しさがある。

『アイ・アム・レジェンド』について話すことよりも『コンスタンティン2』がどうなるか予想しようよ!と話を逸らしがち

『アイ・アム・レジェンド』(2007年/フランシス・ローレンス) 【あらすじ】 地球最後の男がワンちゃんと散歩する。 我らが大傑作『コンスタンティン』を監督したフランシス・ローレンスの待望の次回作がコレである。当時、劇場で父親と観た時はあまりのトホホ感にお互いが沈黙した。父親は「お前もう世界救わなくていいわ」と、地球救いがち男ことウィル・スミスへの苦言を漏らしていた。そんなことを思い出しながらも、ともかく、あんなカッケー映画を撮った人が、なんで次作でこんな底抜け超大作を撮