新橋・虎ノ門のコーヒー文化を紡いでいく松屋珈琲店 -1杯のコーヒーから見えてくる街の景色-
大正7年(1918年)創業、昨年100周年を迎えた虎ノ門3丁目にお店を構える松屋珈琲店。日本のコーヒー文化がほとんどない頃に始まり、今もなお人気が高く、その歴史的な物語からも様々なメディアで紹介されています。
今回は、カモ虎課長を含めたCome on 虎ノ門製作委員会メンバーで、松屋珈琲店3代目店主、畔柳一夫さんにお話を伺い、人と街が移り変わっていく中で、コーヒーを提供するお店から映る景色を通して、「1杯のコーヒーから、その“街”で紡がれてきた物語」を紐解き、新橋・虎ノ門エリア(以下、新虎エリア)の文化を見ていきます。
松屋珈琲店の創業と共に新橋・虎ノ門のコーヒー文化は始まった
明治時代のブラジル移民政策の功績に対して、サンパウロ政府から無償でコーヒー が提供されました。そのコーヒーを神戸港に引き取りにいったのが、松屋珈琲店創業者の畔柳松太郎さんでした。
その後、現在の虎ノ門にあるお店と同じ場所に、コーヒー焙煎業者として独立して、今に続いています。ちなみに、店名の松屋珈琲店の「松」は、松太郎の「松」だろうということで、実は定かではないそうです。
創業当時は、虎ノ門エリアにコーヒー店は無く、大正9年に創業した西新橋に本社を構えるキーコーヒーなどと共に、新橋・虎ノ門のコーヒー文化を築いていきます。
『生豆の輸入ができずに困った時代にも、新橋・虎ノ門エリアのコーヒー屋同士が力を合わせて乗り越えてきたし、コーヒーの組合などを作ったり一緒に色々なことをやってきました。当時から、コーヒー屋同士の繋がりがありました。』
こうして、日本のコーヒー文化の歩みとともに、新橋・虎ノ門エリアのコーヒー文化も始まっていきました。
商売する旦那衆や働く人の集まり所
戦後になってから、新橋・虎ノ門エリアのコーヒー店も徐々に増えていきます。当時は、官報や新聞もなかなか手に入らなかったため、商売をやっている旦那衆や働いている人が集まってきて、コーヒーを飲みながら、新聞を読んで、情報収集をするような日常があったようです。その集まりの場所として、コーヒー店や喫茶店、ミルクホールが活躍していたようです。
この時は家庭でコーヒーを飲む習慣もありません。ペーパーフィルターなども無い時代で、主流はネルドリップ。コーヒーの味わいは、濃くて苦いが、特徴的でした。
知的な労働者が増えはじめた港区、虎ノ門
経済成長に向けて進んで行く日本、港区、虎ノ門はその中心的な場所の一つでした。先代から、これからは肉体労働だけではなく、頭を使うデスクワークで働く人が増えてくるからと、時代の流れに合わせて、コーヒーの味も変化させていったといいます。
松屋珈琲店は、店頭販売もしていますが、創業以降、近隣のレストランや喫茶店、オフィスにもコーヒーを卸しており、当時主流だったネルドリップから、ペーパーフィルターを使ったブリュワーを勧めて回ったといいます。濃くて苦いという味わいから、香りを楽しみ、飲み口の良いコーヒーにいち早く変えていったそうです。
『当時、新橋や銀座にある喫茶店などからのコーヒーの注文は特に凄かった。今でこそ路面の喫茶店が代替わりで無くなってしまったが、一軒挟んだ隣の店からコーヒー豆を仕入れたいと頼まれて、こっちのお客さんに卸さなければならないのでと断るほどだった。』
『また、田村町木村屋さんや、新橋の小川軒など洋菓子屋さんも増えて、菓子と合わせてコーヒーを飲むという文化も進んで行った。」
仕事とコーヒーは今と変わらず相性が良く、共にある存在だったことが伺えます。この街の働く人、過ごす人々の間に、一杯のコーヒーがあるシーンが思い浮かびます。
近隣ワーカーが常に訪れている地域のオアシス
松屋珈琲店にいると、近くのサラリーマンなどのワーカーが本日のコーヒーを求めてにやってくるシーンを良く目にします。取材中も、多くのワーカーがいらっしゃいました。
『店頭で提供しているドリンクは4種類にしています。本日のコーヒー、しっかりした味わいのコーヒーにミルクを合わせたカフェオレ、アイスコーヒー、生クリームと牛乳をMIXしたアイスカフェオレ。毎日、コーヒー豆の種類を変えて提供しています。』
取材時の本日のコーヒーは、焙煎度を変えた2種類のペルー・ゲイシャのブレンド。ミディアムローストと深煎りの豆をブレンドすることで、華やかさと、コクやボディ感を出しているとのこと。
『大部分はしっかりとした味のあるコーヒーを好きな方が多いが、ここ最近は、浅めの焙煎(酸や香りをより味わえる)を好むお客さんも増えてきました。』
街のお客さんの好みの変化にも合わせて、日々、味作りをされていることが日々多くのお客さんが集まる理由の一つかもしれません。畔柳さん本人も、歳のせいか、昔はダークローストが好きだったけど、浅煎りのすっきりした味わいが好きになってきたと、笑いながら話していました。
新虎エリアは「歴史や文化が根付くお店がまだまだある」ところ
今の新虎エリアは、どんな風に写っているのか、畔柳さんにお聞きしました。
『オフィス街になってきて、このエリアに昔からいるという人が少なくなってきたけど、ちゃんと続けているお店は、しっかり残っています。菓子屋でも異業種のお店でもそうしたお店と一緒になって、お付き合いしていいきたい。昔はこうだったんだよって、知っていることもこれからは大事になってくると思う。100年前のコーヒーや戦前戦後はどうだったとか、これからこうしたことを伝えて、皆さんが楽しんでもらえるようにしていきたい。』
COFFEE HOUSE SHINTORA Vol.1コラボイベントレポート
地域のコーヒー店とコラボし、隔月、新虎小屋でハンドドリップのコーヒーを提供する夜のカフェ「COFFEE HOUSE SHINTORA」は、取材から見えてきた物語とともにそのお店のコーヒーを体験できるコラボイベントです。今回Vol.1として11/25(月)に開催しました。
今回、提供していただいたコーヒーは「ペルー・タカハシ」と、普段あまり目にすることが少ない珍しい「ペルー・ゲイシャ」。取材時に、これらのコーヒーの物語や魅力を伺いました。
『ペルー北部、ペルーの首都リマからバスで約30時間かかる、少し前にようやく自家発電で電気がついたような村にある場所で、私と同級生の日本人、高橋さんが、ペルーに移住して、現地の村の人たちを取りまとめ、生産者組合を作って生産しているコーヒーです。
(その生産を数年見てきて)年々、味わいが進化して良くなっています。生産を始めた頃は、ナッツ感が主体の味わいでしたが、だんだんとクリアな味わいで、華やかなフレーバーを感じるようになってきました。収穫のタイミングや完熟した果実を収穫するよう現地の人をとりまとめて、品質を高める努力をしている証拠だと思います。最近は、新たにゲイシャ種にもチャレンジしていて、今後がとても楽しみです。』
ペルーや近隣のコロンビアは、その生育環境から手づみ収穫の現場も多く、1本のコーヒーの木からは大体800粒程度の収穫量で、だいたい20杯くらいのコーヒーにしかならないといいます。生産地から一杯のコーヒーになる物語も知ると、より一層コーヒーの世界が深いものになっていきます。
コラボイベントでは、今回の取材内容から見えてきた物語の小冊子を、コーヒーとともに提供しました。
松屋珈琲店に入ると、紙コップを始め、店内様々なところに、可愛いイラストを見ることができます。これは、先代が中南米などの生産国から帰ってきた時に、絵描きの友達に、こんなことがあった、こんな景色を見たなど、お店の中で話して、それをたくさん絵にしてくれたものだそうです。
そんなイラストからも当時の街の風景を思い描くことができる松屋珈琲店。地域や社会の移り変わりと共に、一緒に歩んできた一杯のコーヒーを、今の新橋・虎ノ門という街とともに、味わってみてはいかがでしょうか。
松屋珈琲店
http://www.la-vie-en-cafe.co.jp/
Text:Coffee Boy Masaki Yamasaki