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「分かってる」?それは、勘違いですよ

気安く「分かってる」と思うことがあったら、それは勘違いだと認識したほうがいい。第一、分かるということは、「分かってる」なんて気安い言葉では表現できない。真に分かるというのは、「ああ!そうか!そういうことか!」という感動すらする。そういった感動もなくただ冷静に「分かってますよ」なんていうのは嘘なのだ。本当に分かってたら感情や言葉がほとばしる。

「いや、分かってるんですけど、何をしていいかわかりません」

これ、課題解決が苦手な人のセリフだ。思考系の問題が苦手な学生でも同じことが言えるだろう。その時に、分かっていることを整理して説明させても、間違ったことは言わない。あっている。正しい。それでも、問題が解決できない。

いや、だからこそ問題解決ができないのだ。

「無知の知」とはよく言ったもので、本当に賢い人は自分が知らないことを知っている。古代の哲学者ソクラテスが言った通りなのだ。自分が”本当は”知らないことを、あたかも知ってるかのように思ってしまっていることに問題がある。

「間違ったことを言わない = 分かっている」ではないのだ。

 ことの真相は、「分かっている」という”理解”には階層(レベル)があるということ。課題解決できない人の言う「分かっている」という状態は、単に”辞書的な意味”で分かってるということに過ぎない。これは説明させると分かる。口頭で説明してもらっているのに、しゃべり言葉じゃない。文語だったり説明言葉だったりする。誰かの言い回しであり、辞書通りの意味が返ってくる。つまり、浅い理解なのだ。

 それにも関わらず分かっているという自覚でいるものだから、それ以上の理解を得る機会を失ってしまっているのだ。つまり、成長しない。「分かってます」なんて言い切る時点で、キーポイントを深く理解して課題を解決するチャンスを捨てている、ということ。分かっているという自信が邪魔なのだ。

 必要なのは、分かっているという自信なんかではなく、何がわからないのか、頭の中のもやもやを取り出して言語化するスキルの方なのだ。分からないことの核心と向き合う気持ちだ。真に課題解決する人は、「何が分からないのか」「xxとは何か?」「そもそもこれはどういう意味か」という問いを常に謙虚に考え続けている。これらの問いに耐えることで、理解のレベルが深まり、自分の腹に落ちた理解は、熟成され、その人独自のしゃべり言葉で説明ができる。

 そこまで行くことができれば、課題となっている事象に対して、どんなアプローチが可能かの案が2つや3つ出てくるはずなのだ。

 正直に打ち明ければ、いままで課題解決能力の低い人をみて「この人は頭が悪いんだな」と、分かったつもりになっていた。しかし、これも同じ。「どうして課題解決できないんだろう」「なぜ説明することは間違っていないのに課題解決に結び付けられないんだろう」という問いと真剣に向き合った時、「ああ!なるほど!分かってるつもりになって、真の深い理解に到達できていないんだ」という深い理解に到達できた。これを理解したことで、課題解決の苦手な人の説明を聞けば、どこに理解不足があるのかを特定し、そこを突いた質問をすることで、その人に解決の糸口を見つけさせることができるようになった。

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