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なぜ妻がしまったマスクは見つからないのか、そして朝会。

家から出なきゃいけないのに、マスクがない。妻がどこかにしまってしまったらしい。いつもなら、玄関においてあるはずなのに、ない。そういえば、昨日「ちょっと性能のいいマスクを買った」とか言っていたな。

 どこだろう。

 探せど探せど、見つからない。出発時刻が迫る。あー!いらいらする!仕方がないので、予備のしょぼいマスクをつけて出社した。

 なんとか会社にたどり着いた。

 朝の打ち合わせで、若い女の子が「チョウカイでXX」「チョウカイで〇〇」と”チョウカイ”を連発していた。

 ん?チョウカイって何?

 答えをいえば、チョウカイとは”朝会”、つまり、朝にプロジェクトメンバーが集まって話す打ち合わせのことで、辞書的にはこの読み方こそが正しい。じゃあ、なぜ意味が通じなかったのかと言えば、普段、我々のプロジェクトでは朝会を”アサカイ”と読んでしまっているからなのだ。こちらは明らかに誤読なのだけど、IT業界だからなのか、たまたま私が渡り歩いてきたのが非日本的文化圏だったからのか分からないけど、朝会は”アサカイ”なのだ。

 この二つの出来事は非常に似ている。

 マスクを片付けるのも、チョウカイという言葉を選ぶのも、片付ける人・話す方の人はかんたんだけど、探すひと・聞く方の人はとても大変なのだ。片付ける人・話す方の人は、自分がこうだと思った一つを決めるだけで良い。しかし、探す人・聞く方の人は、いろいろな可能性をひとつひとつ検証していかなければいけないのだ。ここにもない、あそこにもない・・・、町会、懲戒・・・・あれでもないこれでもない、と。

 「探すこと・聞くこと」は「片付けること・話すこと」より、どうも難しいことのようだ。ということが理解できれば、出かける時に必ず目につく場所にマスクを片付けようとか、話す時の言葉選びは相手がいつも使っている読み方に合わせようとか、コミュニケーションの効率が上がるんじゃないだろうか。

 相手に合わせて間違えた読み方をするのは、それはそれで気持ち悪いか。

 ちなみに、妻はマスクがどこにしまったのか・・・・、それは”食品庫”だった。

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