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フリーランスになってからふりかえり①


フリーランスになって2年。
フリーランスになろう!と思ってなったのではなく、「もう仕事やめたい」「子どもといたい」「時間に追われたくない」「家のことに専念したい」
という、一旦専業主婦に戻りたい一心だった私と、今の時期に共働きじゃないと厳しい、という元夫へのせめてもの気持ちとして「フリーランス」という選択をした。
当時WordPressに疲弊して日々アップデートし続けるWEB業界に疲弊していた。元々アナログで自然派だった私は自給自足を夢みて「得意だった似顔絵で扶養内で稼ぎ、自分で野菜を作れるようになること」を目標とした。
当時よく見ていたTwitterではWEBから転身して田舎に家を買い、半農半WEB生活をしたり、丁寧な暮らしとして野菜を自分たちで作ればあくせく働かなくても楽しく生きてい流ような人たちが度々いた。

夫婦で地方に移住したり、山の土地を開拓したり古民家をDIYしている人たちが羨ましかった。

そうこうしているうちに、離婚することになってしまった。会社を辞める前に離婚話が出たが、どうしても逃げたかった私は、だからといって会社員を続ける選択肢はなかった。

ありがたいことに元夫は私が積み立てていた保険は残し、家具なども置いていって円満に離婚することができた。

私は保険金を崩してまずゆっくり子どもたちと向き合う選択をした。
お金に困ることはない幼少期で、お金に関しては「何もしなくても入ってくる」という価値観だった。
自分のホームページを作るために最初の2ヶ月は忘れないうちにWordPressとサーバーに向き合い、完成したらしばらくFTPソフトには触れないと決めた。

仕事は似顔絵を中心に受けていこうと決めていたけど、当ては全然なかった。当時コロナ禍や人生の叫びを発散したくて趣味で始めたSNSが界隈で人気になって、フォロワーさん達と交流したり、その中で似顔絵依頼がぽちぽち入ってきた。
似顔絵では稼げないだろうとだんだん思い始めてきて、私は畑を頑張ってみた。車で40分くらい離れた場所に、父の土地で使ってない荒地があったので、そこに通って荒地を整えて畝を立てたりした。

9月になった時、昔在籍していた会社の社長から連絡があって、お仕事をいただけることになった。
下の子がちょうど9月に幼稚園に入園したこと、貯金が減ってきたこともあって、ありがたくお話を受けた。
離婚の話やなぜフリーランスになったのかも話を聞いてくれて、ありがたいことにコーディングなしのデザインのみでお仕事をいただけることになった。これはフリーランス様様です。

これでもう順調、とはいかず、定期的なお仕事はなかなか受けることができず、ちょっと小難しい案件だったりが回されているような、そんな進み具合だった。
一時期チラシやポスターの受注が重なった頃は嬉しくもあったが一時で、フリーランスの難しさを実感した。

知り合いから依頼されることもだんだん増えていったけど、バナー一本5千円、イラスト5千円、など単発で一万円以内の案件も多かった。フリーランスに依頼したい人というのは安く済ませたい人が多いんだろうなということもこのあたりで気付いた。

貯金は減る一方だったのと、上の子が小学校に上がったのでまた副業探しを始めた。
indeedで「WEBデザイナー 副業」と探すのが定番だった。だんだん面接を入れることが仕事の一環みたいになってきて、忙しいと錯覚してました。

受からないのが当たり前だけど、indeedを見て応募する生活が板についてきた時、「講師アシスタント」のお仕事が目についた。
無事、そこで今の講師団体に所属することになった。

フリーランスとして安泰かと思いきや、なかなか苦しい日々は続きます。
続きをまた書きます。

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