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昨日の日記

昨日は私は幼稚園の保育に入っていて、給食なしの息子と娘はおじいちゃん・おばあちゃんにカツ丼を食べに連れて行ってもらっていた。
帰宅して夕方、顔を合わせたら、娘が落ち着いた様子で水筒を見せてきた。
水筒は、飲み口の留め具が壊れて、開かないようにテープで留められていた。

学校で、Nさんがぶつかって落として割れてしまったとのこと。
先生は「飲み切っちゃいな」と言ったけれどたくさん入っていたから無理だと思って、Yさんにテープをもらって留めた、とのことだった。
私は大人を頼らず子ども同士でそのように機転をきかせられたことに驚いた。
こぼれた水は、みんながどんどん拭いてくれたという。

娘は徐々に涙ぐみながら
「先生から、『Kさん(娘)水筒壊したのこれで2回目だね』と言われて(ちょっときつい口調で表現)それが嫌だった」と言い始め、ポロポロと泣き始めた。

以前までだったら、泣いていることに動揺してつい娘に同調して「先生のそれはひどい言い方だね」と反応してしまっていたかもしれない。なんなら、翌日に電話して私から状況説明に走っていたかもしれない。そうしたらきっと先生から、「申し訳ありませんでした」と言われることだろう。そして、娘にも先生から謝罪が言われることだろう。

いま思うと、ぞっとする。

娘にとって学校生活のほとんどを委ねている担任の先生に対して、信頼関係を損ねるようなことをしてしまうところだった。しかも親が自ら。
その場にもいなくて状況も分からないのに、子ども側の解釈だけを鵜呑みにして、「ひどいことを言う先生」と、もうじき修了を迎えるこの時期に、大切な1年の思い出をそのような形で締めくくらせてしまうところだった。

これがけして一般的な話でないことは分かるけれど、少なくとも私は担任のT先生をとても信頼しているし、娘も先生が好き。

「T先生は、そんなひどいこと言う先生じゃないよ。Kを責めるつもりで言ったのではないと思うよ。2回目だから、2回目だねって言ったんだよ。」と、真剣に伝えた。
そうしたら、
「直そうと思って割れた所を探して、見つかったんだけど、その後で無くしてしまった。探している間に、みんなが拭いてくれていた。そしたら先生から言われて、悲しかった。先生から言われたことはそんなにでもなかったけど、割っちゃったことが一番悲しかった。だって6年生まで使おうと思ってたから。」
「割れたところは、帰ってきたらなくしちゃってた。」
と、ボロボロと泣きながら詳しく語り始めた。

先生を悪者にしなくて本当によかった。
悲しかったのは、大切にしていた水筒が割れたこと、そして破片をなくしてもう直せなくなってしまっていたこと、6年生まで使おうと思っていたのに叶わなくなったこと、だった。

幸い水筒の飲み口はもう一つあったので、すぐにその場で付け替えられた。
娘は笑って「水筒壊すのは、本当は3回目。〜〜の時に割っちゃって、次に落として割って直して、それで今日。」とテヘヘという感じで言った。

「お母さんの水筒もこのあいだ割れたんだよ。ベンチに置いていたらSちゃんが通った時に当たって落として、下が石の床だったからすごい音がして、『拾って戻しておいて』と言ったんだけどSちゃんは固まっちゃって動けなくて、どうしたんだろうと思っていたら『来て』って呼ばれたから、行ったらバキバキに割れてた。Sちゃんは、割れたのを見て悪いことしたと思って、固まっちゃったんだと思う。だけど接着剤でくっつけたら綺麗に直ったんだよ。」と私は言って水筒を見せた。
そこにたまたま父が通りがかり、「ほらこれお父さんの水筒(借りていた)割れたけど直ったよ。」と見せたら、父は「そうか、お父さんのも割れたのか。」と呑気に言った。

娘はその後、食卓で「この割れたやつは捨てない。」と言って飲み口に目玉を描いた。黄色い顔で青いくちばしのインコのような見た目になった。
口は大きく開きっぱなしだ。
そして娘は幼稚園の後輩のSちゃんのことをよく知っているので
「Sちゃん、正直になったんだね。」と嬉しそうだった。


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