君は寺山修司なんか読まない
ロックじゃないけど。アタシもそんなに読まないけど。
嘘、ちょっとは読んでいるけど全部じゃない。
でも「寺山修司を読んで恋を乗り越えてきた」…ということはない。
(太宰治ならあるかもしれない。あと大槻ケンヂ)
昨日の夜、『ジャガーの眼』をみた。
https://spice.eplus.jp/articles/234580
”・・肉体の一部を追うものはなく、追われようとする一部もない この言葉とともに、あの「ジャガーの眼」が帰ってきた!物語は、しがない青年・しんいちが、肉体市場で角膜を購入し、移植したことから始まる。その角膜が、かっての持ち主の恋人くるみを呼び寄せ、青年を平凡な日常から、冒険的な非日常へと導く。サンダル探偵社の田口は、助手くるみの依頼を受け、”幸せのリンゴ”を追って、路地に立つ。その前に現れた男・扉の押す車椅子には、田口がかって愛した等身大の美しい人形・サラマンダが載せられていた・・・。外科病棟で移植手術を繰り広げる、肉体植民地・Dr弁。所有者の人生に関与し、人の体で三度も生きる ”ジャガーの眼”はそんな彼らを取り込んで鋭く輝いてゆく・・・。”
唐十郎作品をみるのは。2015年の8月に唐ゼミ☆の公演を観て以来。
http://karazemi.com/perform/cat24/post-1.html
『青頭巾』も おもしろかった
かつての恋人の、体の一部を追う女
男の眼の中でしか生きられない女
平凡な女
フィリップ・マーロウ
ジャガーの眼に、巻き込まれる男
Dr.弁の主張
女は、女のそのままを愛せと言った。
女は、変わりますとも言った。
女が愛しているのは、ジャガーの眼なのか
貴男ごと欲しくなったのは、
ジャガーの眼をもっているから?
男は、何故女を追いかけるのか。
男は、何故女から逃げるのか。
身体の一部の、言いなりになること。
一部以外の身体が求めること。
己はどこにあるのか?
活字でも読みたくなった。
観れて良かった。とても良かった。
赤テントの中は、居心地がよかった。畳で胡坐かいてみれるの、いい。
おとといの公演は、大変な雨風で
そんな中で、赤テントに出入りする役者たちの様子を
少し遠くの外から、ほんとうに少しだけ……見た。
思い出したのは、11年前に青森の美術館でみた寺山修司展。
天井桟敷のポスターの数々に強く惹かれた。
10代の頃、《アングラ》に憧れていた。
漫画『ライチ☆光クラブ』を読み、その原作となる演劇をやったという
東京グランギニョルについて、分かりもしないのに妄想した。
「毛皮のマリー」を読んだ。
「毛皮のマリー」を読むということに満足するばかりで、
きっと、理解していない。
(唐十郎と、状況劇場を知らない子ども)
……そして、昨日の夜観た唐組の『ジャガーの眼』は
自分が昔、あんなに見たいと思い憧れていた《アングラ》と
はたして同じものかは分からない。
けれども、昨日と……今日のアタシは、とてもとても満足している。
好きなものを、思い出したら、元気が出る。
ということが分かった。