勝手口から出る猫
先月末 カウンセリングを受けてきた。
考え方を変えていけそうな、きっかけを得た気がして
とても気分が楽になった。
覚えたことを忘れないために書く。
①気持ちがしんどくなったら、「あの時、○○してほしかった」「この時、○○したかった」と自分自身に聞こえるよう 口に出して言う
②『自分を一番必要としているのは自分』『私を一番可愛がることが出来るのは私(私が一番可愛いのは私)』と唱える
③【人生「おもしろい方」に3000点☆】でもいいけど、そこに賭けられているのは自分
どうして自分のことを話していて、涙が止まらないの?
→ カウンセラーさん曰く、私が泣いている様子は
外側の私が 内側の私に対して(※自分自身に)
『この人、私を大事にしてくれないんです。分かってくれないんです』
って言ってるように見えるよ とのこと。
どう見えているか
程よくお互いを知っている友人の口から語ってもらって、
今回 私にとっては効果的だったかも。
その『私(自分)のことを大事にしなさいよ!』と訴える自分と、
今までほったらかし&蔑ろにしてきた自分(※内側の自分・自分の精神)
を同一視 出来てなかったんだねー。
→ これからは同一視しよう。バラバラにしない。
すこし自覚あったけど、私はずっとセルフネグレクトをしていた。
↑ このページであげられてるチェック項目にも、
結構 心当たりがある。
ずっと、私の心の問題の原因は 家庭環境(主に母親)にあって
もう どうしようもないんだと思ってきたけれども…
「じゃあ どうしたいの?」と自分に問いかけてみれば、
今さら母親に理解を求めたいとは思っていないし…
(そもそも、母が自分の言動を認めてくれないことには
根本的な問題解決にならないので…それは、諦めている。)
それより「誰かに認められたい/必要とされたい」とか、
「存在を否定されたくない(受け入れられたい)」という気持ちがある。
どれくらい気が済むかは、やってみないと分からないけれど…
悲しくなったり、つらい気持ちになったりしたら
どうして自分がつらいのか考えて
「(ほんとうは、あの時)○○してほしかった」
「(この時、)○○したかった」
という 自分の気持ちを、自分に聞こえるように声に出してみる。
(言語化する)
それを、そのまま誰かにぶつけるのは
『気持ちの押し付け』になるので 気をつけること。
言葉にして自分の気持ちを認める。
気持ちが認められることで、気が済むこともある。
自分で、話しているうちに気がついたのだけれども
「可愛がられてこなかった(認めてもらえなかった)」という認識から
「可愛がられたい(認められたい)」という気持ちが強くなって
今まで、特に 交際していた男性に対して・・・
『私』を可愛がったり、認めたりすることを強く要求していたのだなぁ。
まあ、でもいくら私のことが好きでも彼氏は他人なので…
「他人の知っている私」には限界があって。
じゃあ、この世で一番「私」のことを知っていて
どうやったら「私」が喜ぶのか
「私」は今、何を必要としているか…?
一番分かるのは誰かっていうと、私自身なのだなぁ。。。
つまり、自分で自分の世話をするのが 一番手っ取り早くて
効率がいい。
この世で一番、私が必要としている人物って「私」じゃない?
↑ って、「そういうものだよ」と人に何度言われても
知識として分かっていても
なかなか納得できていなかったんだけど。
自分でも気がついて
特に「その方が、一番効率いい」って
考えたら、急に腑に落ちた。(なんてあっけないんだ)
自分の気持ちを認めたり、「自分を一番必要としているのは自分」とか
「私が一番可愛いのは私」と唱えたりすることで
何ができるのか
器が作れるらしい。
私は、自分の心は 底が網になった、穴だらけの鍋のようなものだと
思っていたけれども…
『自分を認める』(※自己肯定感を養う)ことで、
薄い金属の膜のようなものができて…
それが 何枚も重なっていって、層になって 器になるらしい。
金属の丈夫な器が作れれば、注がれた水も流れていかないし
ためておけるようになるかも。。
最後に、タロットカードを見ながら話をした。
見せられたのは
手前に、いくつかのカップが積み上げられていて
家? 建物の中で、開いた戸口から
猫が出ていこうとしている絵が描かれたカードだった。
戸口の先には、ギザギザ曲がった道が続いている。
外は夜らしい。
「台所っぽい…(※よく見たら台所らしい要素なかったんだけど)
勝手口? 家の裏口から、ちょっと散歩に…みたいな感じで
この猫ちゃんが出ていくように見える。
なんか別に 気負って出るわけではないんだけど
予想してなかったことが起こったり
まあでも、何にもなくて帰ってきたり とか。
ここからシレっと出ていって、で、その先で何かあったりなかったり…
みたいな想像しちゃう」
『ふらっと出てった猫ちゃんが…その後 魔王を倒す、みたいな?』
「そう。気軽な感じで出ていって、とんでもないことになるとか
まあ、そうじゃない可能性もあるんだけど…それで、冒険するなり
ふつーに散歩するなりして、たぶん、ふつうに帰ってくる感じ」
『そういうことって○○さん自身の生活の中で、ある?』
「んー…」
『軽い気持ちで出たら大冒険だったー、みたいな』
「………あ、る。ある」
ある…っていうか、いつもそうだ。
後先考えてないわけじゃない、つもりなんだけど
つい「面白そう」って思ったら決めちゃうし
そのあと良くないことが起こるかも…って想像できても
「あとでネタになればいい」とか
「どうせ自分だし」とか
(※今まで自分のこと可愛がってなかったからね!)
そんな感じで、
どっちが面白いか? で物事を判断して、
行動選択してた・・・。
その結果 面白い経験をたくさんしてきたんだけど
今まで「自分が傷つく」ことにも お構いなしだったなぁ…
(無意識に 自分が傷つくような選択をしていたこともあるのでは?)
って気づいた。やっと
人生「おもしろい方」に3000点☆ …っていう考え方自体は
否定しなくていいんじゃないかと、今も思うけど。
その 賭けてる3000点って、自分自身なのね。
可愛い自分なんだから、よく考えて、大事に使わないとだめね。
…と、思うようにもなりましたまる
以上