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”英語ができる”の再定義

皆様こんばんは。

気づけば前の記事から1週間以上たってました、こむです(あれま)。

この1週間は転職活動で北海道と東京を行き来していてめちゃくちゃ忙しかったです。。。どうにかして距離縮まんないかな(無理)。


さて、今日のテーマですが、人に留学経験があると言うと、必ずと言っていいほど返ってくるこのセリフ↓↓

「えーじゃあ英語できるんだ!すごいね!!」


、、、私としては、なんと返していいのか毎回わかりません。

そもそも、”英語ができる”ってどういうこと?どういう状態を指すんでしょうか。

人によって定義は様々あるかとは思いますが、実際のところ世間一般でいう”英語ができる”とは一体何を指すんですかね?

英語で流暢にスラスラと日常会話ができるということ?

洋画を字幕なしで理解できるということ?


留学経験て一言でいっても色々な形がありますよね。

正規で4年学部生として留学する人もいれば、

私みたいに日本の大学の提携校に派遣留学したり、

大学院留学したり、

もしくは2週間くらいの短期留学だってあります。


私個人の見解でいうと、大体上記の「英語できるんだ~」は「英語ペラペラなんだ~」と互換性を持って使われるケースが多いので、ようはペラペラ=ネイティブスピーカーのように英語を使うことができる。というように解釈する場合が多いです。

結論からいうと

「んなわけあるか。」と叫びたい。

自分の英語力が自分の日本語力と同等のレベルであるか、という質問とほぼ同義だと思ってるので、返答としてはこうなりますね。

私の海外経験はたかが2年。もちろん2年だけでも素晴らしく努力してネイティブに近い英語能力を身につけられる方もいるのかもしれません。

しかし私の見解でいうと少なくとも私には無理。そもそも私バイリンガル(二つの言語を第一言語として同時習得した人)じゃないし。英語勉強したのとか中学からだし。

留学=英語ペラペラレベル(要はネイティブレベル)というのはさすがに無理があるのでは、と毎回思います。(留学年数によって開きはあると思いますが)

私は私の英語力がそのレベルに達しているとは到底思えません。これは自信を持って言えます。

英語圏で生活していると本当にしみじみと思います。「私の英語力、ショボッ」って。

英語が第一言語ではないなんていうのは言い訳にもならず、第二言語として英語を話す留学生にも私なんかより遥かに高度なレベルで英語を使いこなす人は山のようにいました。

もちろん、それぞれの出身国でどれだけ英語が日常に浸透しているかが大きく関わってくるかとは思いますが、それでも毎日のように思いますよ、どんだけ勉強しても、自分の英語力はたかが知れているって。

しかし、私はこの事実を全くネガティブには捉えていません。私が留学に行った目的も、そもそも英語を勉強する目的も、何もネイティブスピーカーのレベルに達したいというものではないからです。

英語だって、ただの言語にすぎないし、相手とコミュニケーションをとる際の道具でしかない。日本語話者の人口は世界において英語話者と比べ極めて少ないので、英語を話すことができれば取り込める情報量が増え、そして私の発信する情報を読み取る人が増える。これが最大のメリットかなって。

そもそも留学も英語を勉強しに行ったわけではない(語学留学ではない)ので、修士号取得のためのツールぐらいにしか思っていませんでした。

でも、英語で論文を書いたり、ディスカッションしたり、日常生活においてコミュニケーションをとったり、プレゼンしたりと留学において必要なスキルはあります。これも自信を持って言えます。私は留学や海外で生きていく英語力はあります。

上記した留学=英語ペラペラ論て、結構な危険思想だと思うんですよね。

留学いくのに、英語がペラペラ、というかネイティブレベル、もしくは同等のレベルである必要ないですもん。

ある程度の英語力はもちろん必要ですよ。講義も英語、提出物もすべて英語ですし(当たり前)。

でも、私には世間一般の留学に必要とされる英語力の値が高すぎると感じるんです。

洋画を字幕なしで見れなくたって、コミュニケーションを取ることはできるし、文法的に正しくなくたって相手は大体理解してくれます。

伝えようとすれば

何語で伝える云々より、伝える意思があるかないかが大きいように私には思えますね。

大学学部生時代のフランス語の教授が言ってた言葉で、今でも鮮明に覚えているものがあります。

何語で話すかではなく、何を話すかによって相手があなたの話すことを聞こうとするかどうかが決まる。あなたが何か国語話せようと、あなたがつまらない話しかしないじゃ誰も聞いてくれないのよ。」

納得。その一言でした。

この教授、5か国語くらい確か話せるんですよね。

そんな人間が言う言葉だから、重みが違いました。

留学に行くことで英語をネイティブみたいに話せるようになるぞ!とか、そういう目標はもちろんあって良いと思うんですけど、

留学に行ったことでそれを期待されるのは、留学に行くことの敷居がまだ世間一般では高い証拠なのかなあ、と毎回感じさせられます。


もちろん他の記事でも書いた通り、大学で学ぶんですから、英語力を磨いてしっかりと準備していくのと、何も準備せずに合格ラインぎりぎりで入学してそのまま講義に入るのとでは全くスタートラインが違うことは確実ですよ。

ただ、私が言いたいのは、大抵の場合、世間一般でいう「英語ができる」のレベルの英語力がなくとも問題なく留学ができるということです。

英語が使えるというのは、自分の意見を伝えたり、他者の意見を理解したりといった交流をその場に応じて英語を用いてできるかであって、

決してネイティブのような発音で流ちょうに且つ正確に、というのは必要不可欠ではないと、私は思います。

まあ上記の流暢さとかをクリアするに越したことはないんでしょうけど、少なくとも私は自分にはそこまでの英語力は必要ない、と考えています。

私英会話しても基本3語しか使わないし、もちろん継ぎ足してくこともありますけど。ほぼほぼ3語が基本。

世の中にはもっと胸を張って「私は英語が使えます!」って宣言していい人がいっぱいいると思うんですよね。ようは実務的に、というか(実務レベルにももちろんよりますけど)。

この考え方を基に、教員の時は生徒に英語を教えていました。綺麗に話すことよりも、伝えることを意識しようね、てな具合に。どんな形であれ、伝わった時点で、相手に英語を用いて自分の意思を伝えることができたという成功体験に値するので、それをもっと噛みしめさせるべきなのでは、と私は思います。

もっと綺麗な発音で、もっと流暢にスラスラと~というのは必要に応じてでいいのかなって。相手との意思疎通がよりスムースになるのは間違いないですから。

日本に住んでる人口の大体9割が日本人なんで、私たちは日本語さえ話せれば問題なく生きていけるんです。でもその中で英語を話すということに価値を感じて、私を含めたくさんの人が留学だのなんだのって挑戦していくんだと思います。

”英語ができる”=英語が綺麗な発音で流暢に話せる、ネイティブスピーカーのように運用できる

じゃなくてまず できる→使える にして

”英語が使える”=時と場合に応じて必要な時に、英語を用いて相手と意思疎通ができる

これでいいんじゃないかなあ、と。

結局留学後も必要となるのはこのスキルだろうし、読む力や書く力も必要な分だけ伸ばしていくんで、いんじゃないですか。

そもそもなんで自分にとって英語力って必要なんだっけ、て原点回帰して考える必要があるんじゃないでしょうかね。


今回も毎度のごとくまとまりのない文章ですみませんが、率直に思ったことを書いてみました。

それでは、お読みいただきありがとうございました!

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