#323 「身寄りがない人」という響き
こんばんは フミオです。
身寄りのない方のサポートについて、お話をする機会を頂けるかもしれないので、ちょこっと、そんな日の為にnoteで壁打ちしたいと思います。
■身寄りがない人のイメージ
50代の私が「身寄りのない」という言葉から連想するのは、昭和のドラマもあるけれど・・・「家なき子」というお話ですね。旅芸人の一座に売られた少年レミの話・・・。不幸な人!
天涯孤独な身の上の人=身寄りのない人
私の仕事上では、社会サービスや医療・介護サービスにつなげる際に「生きづらくなり本人も困り、周りに関係する地域の人やサービス提供者もその本人に上手くつながりができない」こんな人を身寄りのない人と考えています。
■身寄りのない人の状況
・高齢の親とその子、親が何とか社会生活を送っていたけれど病気になり世帯の切り盛りがとうとうできなくなる。こどもには、何らかの原因で自分では社会との折り合いがつかなく親が代弁・代替していた。
・親がひたけれども、急に他界してしまったので、自分のことができない。
・夫婦で2人暮らしをしていたが、高齢になり2人で何とか支え合っていたけれど、配偶者が倒れてしまったので何もできなくなった。
・そもそも若い時から、独身を通して今に至り頼るひとがいない。
それでも、現時点では、遠方のこどもから折り合いの悪いこども。兄弟姉妹やその子(甥・姪)が何とかいるとその方たちにつなぐことで何とか対処ができている現状。
■そんな私も一人っ子です。
結婚しなければ、あるいは、親に兄弟がいたので親に何かあった時には、身近に相談して考えることと行動して、また相談するということができました。
もし、そのような状況がなければ全て一人でやっていたと思います。しかし、最後、自分自身のことになったら?と考えると・・・正直、途方にくれたと思います。
これからは、長生きしていくので子どもが自分より先にとか、長生きして自分が一人になってしまうとか?家なき子のような天涯孤独とは違く「身寄りが自然淘汰され天涯孤独になる」状況が目の前にきています。
■身寄りのない人は、自分が問題になると自覚がない?
ゆでガエル理論をしていますか?
常温の水にカエルを入れて徐々に水温を上げていくと逃げ出すタイミングを失い、最後には死んでしまうこと。
身寄りのない人になりそうな家族や本人も、このゆでガエルのように徐々に困っていくので、「まだなんとかなる?」とか「自分はまだ大丈夫!」と思っているのではないか?
または、相談する誰かが居れば相談できたかもしれなかったが、身の回りのいなく、そのままに暮らしていた・・・。こんな状況だと思いたいです。
そして、現時点の地域に住むみなさんも「どこかに、相談すればなんとかなる・・・とか、身の回りで噂話をしていたりとか、救急車を呼んで病院にいけば・・・」なんとかなる・・・かも!
と地域も私自身もどこか他人事でいられる、地域まるごと「ゆでガエル理論」の意識になっているような気がします。
■これからの身寄りのない人の問題は、ゆでガエルにも気づかないまま・・・。
これからの身の回りは、住んでいるけれども目に触れる頻度がすくなくきづかれない人という「身寄りがいるけど、誰かにつなげられない人」から「本当に身寄りがない人でも、何か起きて調べたら、身寄りのない人と確認できた」というパターンもあるかも。
誰かの生活の中で気に掛けられることが起きない人が「身寄りのない人」になっていくと思います。
■今日のnote
この「ゆでガエル」理論にならないようにするには?!
カエルもいきなり熱湯の中にいれるとお湯から飛び出します。となると強い刺激を与えればゆでガエルにはならない!ということでいいのしょうか?
となると、身寄りのない人になる要素がある人に刺激を与え、地域に住んでいる方にも刺激を与えると自然には茹で上がらない!となることでしょうか?
次に、noteする時には、この当事者と地域に「刺激を入れる」ことを考えればいいのかな?これを考えてみたいと思います。
正直、既存の社会システムもゆでガエル理論に侵されているので、「地域包括支援せんたーに相談」は、効果ないと思っています。私の印象