#269 自分のことを決める
こんばんは フミオです。
5月もあと、10日ぐらいでしょうか?複数の事業所で勤務している感想をを今日はnoteしてみたいと思います。
ある日、突然、「○○に困ったので、相談に乗って欲しい」「お金を貸してほしい」と来談されることからスタートする仕事
■自分のことを決めることについて
高齢者の医療・介護では、会話が成り立ち今後の生活をどうしたいか?から始まり、体調を崩され医療的なケアを受ける場合に、どこまで医療的なケアを継続(延命治療)をするかを確認します。
そんなケアの内容を決めるには、本人も含め家族の方にも確認をしていきます。また、「決める」ということは、1回きりのできごとでなく、その都度、その瞬間に「(身体状況により)決めらて行く」。当然、高齢な当事者ができないこともあり、家族と医師の確認のもと決めていくことが多い印象があります。
しかし、「決める」ということは、医療・介護の場面だけでなく、日頃の生活場面でもあります。生活に行き詰まり、「今後、どうしたらいいか相談に乗って欲しい」から「お金に困ってしまって貸して欲しい」など。
現在の仕事は、この後者の「今後、どうしたいか?お金や仕事」について高齢者から高齢者になる前の方のそんな相談に向き合っています。
■自分のことはこうしたい!と考えるけれど・・・できていない
何らかの原因で仕事ができず年金をもらいながら生活をしている方もいます。また、家族と住みながら、この年金の使い方がなかなかうまくできない方もいます。
問題は、自分にとって都合のいい物を購入して、自分にいくらお金がのこり、生活が赤字にならないように生活していくやりくりできない(我慢できない)方です。生活が困窮したり、家族のお金や家族に使わてしまうことも。
今、私が向き合ている方々は、いい意味でも悪い意味でも、素直にお金を使い、困ると相談に来ている方たちです。
■お金を一時的な管理から・・・管理されてしまう
「自分の好きなことは決め」、困ったら相談にくる人。一般的には、本人も自己責任と口では思って、いろいろなことを決めているんだけれど・・・何かに負け理由をつけて、後先考えずお金を使ってしまい。自分で決めてはいるんけれど、誰かに「迷惑」をかけたり、自分でもお金が無くなるなどしないと「困ったこと」が分からない。悪いことと根っから意識できない。
そんな生活の中、ある日突然家族や自分が病気になり、命やそのケアを受ける生活のために、緊急的に行政や関係者が介入してお金の問題や自分で自分のことを決めること、ケアに必要なことを一時的にでも決めら、お金の管理を誰かにさせらてしまいます。
■自分で決めて自分でやっていくことを創る過程(ルールがない支援)
自分は合理的に生きていると思っているけれど、そんなことは無い人間という私たちであり、高齢や障害により判断をゆがめてしまう弱い私たち。
自分が「こうしたい」という意思がうまく決定ができない、お金や約束が守れない人たちに聴き取りをして、困っていること生活の様子を丹念に聴き取ることの難しさ。どこか何とかなると考えているんではないか?と見えてしまう相談者の姿・・・。
そんな切羽つまったこともふにおちているのか、いないのか?からカタチにならない(できない)支援を創っていく過程に関わること。これまでの医療・介護とルールがあった中での支援より、実に気持ち悪く、難しいことに気づく毎日です。
■今日のnote
困って相談に来る方のロジックが全く分からない。背景も見えにくいこと。これが、相談支援のど真ん中なのかもしれないと感じています。ここに本当の「生きづらさ」があるんだ!と感じています。
そして、自分で失敗を何度もしないと行動を変える理解に至らないんだよな。とも感じます。失敗することも権利で意思決定かもしれない。