スーパーカブでお茶会を 第五話
第五話 【結構毛だらけ猫灰だらけ】
「チャンクロおつかれ~」
「……帰れっ!」
クロサキが事務所に戻るとソファに我が物顔で座っている男がいる。長身と有り余る手足を折りたたむようにしている癖のある座り方を見て、蜘蛛やタカアシガニだかの種族を思い出しながらクロサキがデスクに座ると、ソファの目の前のテーブルには食べかけのスコーンと紅茶が置かれていて、アカネとシロナがきちんとこの男にも接客をしたことがわかる。優秀なメイドを持つとこうやって余計なところにまで気が回るところが多くある。
「帰れとは失礼な、まだ僕も来たばかりだよ?」
このチーズ味のスコーン美味しいね、ワインが欲しくなっちゃうなと満足げにグレー色の丸いサングラスを中指一本で位置を直した男を苦々しく見ながら、クロサキは話を切り出す。
「で、今日は何の目的だハイヂ」
「チャンクロに会いに来た」
「しばくよ?」
「真面目だなあ……」
ハイヂ、と呼ばれた男は髪の色も着ている服もグレー色をしていて、どこか無機質な印象がある男だ。ビルや道路に紛れてしまいそうで、それは『アキハバラの便利屋』という彼の仕事では十分すぎるぐらい適切な服装だった。
「にしても君のところのメイドさん達は優しいねえ、僕が甘いの苦手だからおやつはいらないよって言ったらしょっぱいのもありますよって言ってチーズ味だしてくれるんだもん。チェダーチーズと黒コショウがぴったりすぎるね。ホスピタリティ~」
「……そらどうも」
「紅茶も美味しいよ。なんだっけなあ薬みたいな匂いがしてなんともおいしいだんけど僕カタカナ覚えるの苦手だからさあ」
「……ラプサンスーチョン」
「さすが店長さん! 覚えてるんじゃん」
「正露丸の匂いがこっちもするんだよ」
松の薪の煙で燻して作ったというその紅茶はなかなかの玄人好みだとアカネが言っていた。薬にもにた独特な匂いの関係もあって好き嫌いが分かれやすいが好きな人はとことんハマるといっていたのを聞いていたのとその名称の独特な響きも覚えていただけの話だが何故かハイヂは機嫌が良いのでそのままにしておく。
「チャンクロにこのお店教えて良かったなあ」
「そら感謝しているよ……」
小さな中華料理屋が売却先を探しているという話を聞きつけてきたのはハイヂで、新たな出店先を探しているクロサキに提案してきたがそんな店でメイド喫茶が出来るかと却下したところでハイヂが残念そうに言ったのだ。
「あーあ、そこのおっちゃん出前のカブまで譲ってくれるって言ってたのに」
「キミねえメイド喫茶だぞ? 出前って……出前?」
ふとビジネスが思いついたのか真剣な顔立ちになったクロサキを見て満足したハイヂは気になったら俺にまた連絡してねとニヤニヤと笑いながら背を向けたのだが結局出前メイド喫茶という発想に着地したのはハイヂのおかげでもあったのだった。
「で? 本題はなんだい」
「あー……一概にいいお話とは言えないんだけどね、ちょっとチャンクロの店について小耳に挟んじゃいまして」
「何をだ?」
「モモセちゃんに接触したんでしょ? アカネちゃん随分大暴れしたみたいだけど」
「……本当か」
アカネがモモセに呼び出されていたことを知っていたがこれがそんなに重大なことになっているとはとクロサキはため息をつく。
「界隈ではちょっとした話題になってるね。モモセちゃんがどんな手を出してくるか、楽しみだね~」
「キミ、他人事だからって……」
「他人事だよ? でもこのお店は僕にとってもそれなりに思い入れはあるからねえ」
そこで反逆でも出来ないかと思いまして情報をかき集めてきたのさ、と胸ポケットから女性が写っている一枚の写真を差し出す。
「……身に覚えある?」
「キミねえ、そういう言い方すると語弊があるよ? 職業柄女の子は沢山見てきてるからそれなりに……」
「チャンクロは覚えてないとダメだよ」
これ、君のところのキャストだよ? と言われて画質の悪いチェキに目を凝らしてみてみると改めて目の奥のあたりでぴたりと焦点が合う。
「……アサギ?」
「おっ、ピンポン大正解」
あの火事が起こったときにいた新人メイドの一人だったから記憶には残っている。薄水色のリボンでまとめたツインテールが特徴的なメイドだった。
「彼女、今はモモセちゃんのお店一軒任されて店長さんやってるってよ」
「……それがどうした」
「当時新人のメイドがいきなり店長になれるわけないじゃん? 何かしらの理由があるって思わない?」
「それはー……」
疑わしさを覚えなくはない。そこにピンとくるか来ないかが自分とハイヂの違う点なのだろう。
「アサギは当日キッチンとホールどちらも担当して行き来をしていたらしいね」
「ああ、彼女はキッチンメイドも目指していたから……」
「……警察の捜査が終わったとは言えもう一度事実関係をはっきりさせた方が良いと思うな、僕は」
「どういうことだ?」
「新人だけでバタバタしている店内で放火なんて、容易いことだってことさ。無事成功したら二階級特進で店長扱い、なんてあり得るよねえ。もしかしたら最初っから新人メイドなんかじゃなかったりして」
「――っ、」
自分の雇ったメイドがそんなことをするはずがないという自負で思わず罵倒しそうになった瞬間、すでにその頃には『Cafe Cherish』を辞めていたモモセの顔がちらつく。確かに、彼女の息がかかっているのであればそのようなことは容易いはずだった。
「なんでそんな真似を……」
「さあ? モモセちゃんのことはモモセちゃんにしかわからないからね。僕は知らないけど」
こっから先は僕とチャンクロの交渉次第、とソファに座っていたハイヂがぐっと身を乗り出してくる。
「どうする? この際徹底的に洗い出してみる?」
「……今更それをしてどうなる」
「相手はどんな手を使ってくるか分からないよ? 同じような例が出てくるかもしれない」
例えば新人のメイドを装った誰かをこっちに送り込むかもしれないしと言われてぞっとする。同じ手口と言えば単純だがあり得ない話では無いことだけはわかっていた。
「……じゃあなんでそこまでしてモモセはうちの店を潰そうとしてるんだ?」
「そんなの知らないよ。そこはモモセちゃんとチャンクロのお話し合いでしょ」
「話し合いねえ……」
ボクが直接着火されそうで怖いけど、と付け足すとハイヂは愉快そうに人体発火だと笑う。
「何か私怨でもかますようなことあった?」
「そんなことないとは思うんだが……」
「女の子は何処に地雷があるかわからないからねえ」
それかまあ、シンプルにのし上がりたかったのかもしれないけれど、とハイヂは長い指を顎に当てて思案をするように深く頷く。
「乗っ取るのが一番てっとり早いって思うんだったら、そりゃメイド引き抜いたりするよね?」
「……他人の褌で相撲を取って何が楽しいんだか」
「さあ? 彼女は自分が成功するなら何をしても厭わない子なのかもしれないよ?」
たとえチャンクロの褌を履くことになったとしても自分のプライドが勝つような子だよと、にぃっと笑ったあとでハイヂは手を伸ばして残りのスコーンと少し冷めた紅茶を口に運ぶ。
「だとしたらアカネちゃんとシロナちゃんは彼女にとっては目の上のたんこぶだ。数少ない実力派の残党ってことでね」
やっぱこのスコーンおいしいな、と言って残りを平らげたハイヂが指先の粉を軽く払う。
「だとしたらこの店は狙われ続けるってことか」
「まあ多分、そういうことだろうね」
「……馬鹿馬鹿しい」
「それで言うならチャンクロがきちんと話し合いの場を設けないのが一番馬鹿馬鹿しいし大人らしくないとはおもうけどね僕は。チャンクロはいい人だけど人は信じるばかりのものじゃないよ」
席を立ったハイヂは出口に繋がる階段の方へと歩みながら、デスク前に座るクロサキの肩に手を掛ける。
「場所と機会なら僕がいくらでも用意するよ?」
「……同じ交渉を向こうにもしてないか?」
「僕はアキバの治安が良くなる方の味方だよお」
にいっと笑ったあとでごちそうさまと言い残して階段を降りていったハイヂの足音を聞いてクロサキは頭を抱える。
「あれ、ハイヂさんもう帰るんですか?」
「うん、二人ともごちそうさま。相変わらず美味しかったよー」
「ありがとうございます!」
二人の平穏な様子と店をこれ以上壊したくないのは事実だった。だとしてもモモセという相手にどう挑めばいいのかを考えると頭が痛くなる。
「……やるしかないのか」
そう呟いた言葉はすぐに消えて、小さくなっていく。それはまるで自分の自信のなさを表しているようでクロサキはひどく情けなく、明るい声でハイヂを見送る階下にいる二人にはとてもじゃないけど見せられたものではないぐらい、弱り切った男の姿をしていると自虐気味に笑って、改めて椅子に腰掛け直した。
*
「おつかれさまでした」
本日最後の出前に行ってきたアカネを迎えたシロナが店の前の看板を仕舞う。『Cafe Cherish』の今日はなかなか盛況だった。
「シロナ、キハラ夫人がまた大絶賛だったよ。前のウィークエンドシトロンも褒められたけど今回のケークサレも最高だったって」
「最近セイボリー系人気だなあ……参考になる! ありがと」
「しょっぱいやつだっけ、セイボリーって」
「そう。ハイヂさんが来たときにすごい褒めて貰えたからさ、ちょっとそっちも力入れてみようかなって」
何でも出来るねえと感心したようにアカネが茶化したところでおかもちから取り出した食器を片付けているシロナがふと顔を上げる。
「明日の休みだけどさ」
「うん」
「何か予定あるの?」
「いや……特にこれと言って何も?」
「そう」
それならよかったと洗い物をしながらシロナがじっとアカネを見つめた。
「よかったら一緒に出かけない?」
「……は?」
長年の付き合いだがさすがに休日まで一緒に過ごしたことは滅多にない話だった。今更何をするというのか、例えば服を見に行くとかそういうことかとアカネが思案を巡らせたところでシロナは淡々と続ける。
「ずっと気になってたのよ、モモセさんの店」
「あー……」
淡々と、だが確実にシロナの何かに火を点けたであろうあの日から、何となく予感はしていた。
「別に良いけど、どうせ寝て過ごしてただろうし」
「なら話は早いわね。混み始める前にオープン直で行こうかしら」
「……本気じゃん随分」
「本気よ? とっくに」
意外と敵に回すのが厄介のはこういうタイプの奴だよな、とアカネが辟易したところでシロナは洗い物を終わらせる。
「あの人今複数お店出してるんでしょ? この前配達行ったところ……あそこ店あるの?」
「もうビルだよビル。全部メイドカフェのビル」
「うっわ」
嫌な顔をしたシロナは雑居ビルに並ぶメイドカフェのタワーを想像したのだろう。確かにセンスがないのはわかるけどねとアカネが視線をそらせたところでワンピースのポケットに入れておいた携帯電話を取り出す。
「住所履歴……あ、あったこれだ。ここだね。店は……ええと、魔法学園に、ねこねこカフェ……ああネコキャラ系ね……」
「わっかりやすいやつねえ」
「一階は本格派ロング丈メイドが給仕する英国喫茶……」
「なん……ですってぇ?」
明らかにライバル心を抱いたであろうシロナがカウンター越しから威嚇のようににらみ付けてくる。
「あーこの店があるからうちら引き寄せようとしたのかな? かもね?」
「そういう単純な問題かしら」
あとロング丈にしておけば本格派ってわけでもないわよとブツブツ文句を言っているシロナはそれなりに自分の衣装についてはこだわりを持っている方だった。値段が跳ね上がってもいいからとふんわりと裾が広がるように全円スカートにして更に布量を追加したことをアカネはよく知っている。
「じゃあここの店にしましょうか。一階ってことはモモセさん本人としても売り出したい店だろうし。じゃあ十時五十分に店の前に集合ね」
「開店前から並ぶのぉ?」
「それぐらいしないと割に合わないって話よ」
実際開店前からどれだけ並んでいるかも気になるし、と呟いたシロナがようやく落ち着いてカウンターの椅子に座り直したところでアカネもその隣に座る。
「……ま、どれだけモモセさんががんばっていようとうちの店よりいいはずがないけどね」
「そりゃあシロナのお菓子がないから力不足になりますよねえ」
「アカネのお茶もね」
お互いに褒め合う形になって照れくさそうにへへへ、と笑い合った二人は自然と久しぶりに出かけることになったことを話題にして前に一緒に出かけたときには何をしたかという思い出話を口にしていた。
翌日、時間通りに待ち合わせ場所に着いたアカネはそれよりも先に来ていたらしいシロナを見つけて驚き、その次に行列が出来ていることに驚いた。
「ちょっとどういうことだよこれ」
大きめのネルシャツを羽織って中にメタルバンドのTシャツを着ているアカネは、普段の膝丈のスカートよりも短いショートパンツ姿だったが、一方のシロナは白地に紺色で大柄な花模様が描かれたロングワンピースを着ていた。
「どうもこうも開店待ちよ」
「すっごお」
列を待っているラインナップとしては男性陣が多かったが、シロナとアカネは場慣れしているのかあまり浮いてはいなかった。
「それにしても……」
「この盛況がうちにもあれば……」
ほんとにねえ、昔はうちだってこれぐらいはねえと頷きながら数分の間を過ごす。シロナは何か気合いを入れ直すのか鏡を覗いていて、アカネは別に気にせずにスマホで簡単なゲームをしていた。
「……あんたいっつもそのゲームね」
「パズルゲー好きなんだよ」
「見たことない奴なんだけど」
「パチモン感がいいんだって」
そう言って指をするすると動かしているアカネを見て、ちょっとは脚隠しなさいよとシロナが文句をつけたところで扉が開く。
「お待たせしましたご主人様、間もなくお迎えいたします」
看板を出した水色の髪留めが特徴的なメイドが笑顔で迎え入れようとしたところでぴたりと空気が止まる。彼女はアカネとシロナの存在に気付いたらしい。
「……お帰りなさいませお嬢様方」
「……久しぶり、アサギ」
「お久しぶりです」
ごゆっくりお過ごしください、とぺこりと礼をしたところで帰って行こうとした後ろ姿を見て、シロナが小さく呟く。
「……あの子、火事の時にいた子よね」
「そーだっけ……新人だから覚えてないな」
「いたよ。キッチン兼ねてたから私覚えてる」
「おお、流石の記憶力」
「……こっちに来てたんだ」
なるほどね、という言葉の舌なめずりをするような様子に改めてこの女は怖い、と怯えたアカネは携帯をしまい込んで列に改めて並ぶ。
「……どうよシロナ」
「そうね、スカートのボリュームが足りない」
「そっちかい」
「あら、大事よ。本格的な英国メイドだの云々言うんならそこまでこだわって欲しいわね」
かと言ってショート丈が好きなアカネにはあえてロングメイドを薦めることもないというシロナの割り切りは明瞭だった。
十一時ちょうど、店の扉が開いて続々と人が入っていく。店内からは菓子の焼けるバターの香りがして、すん、とアカネは鼻を鳴らす。キッチンメイド出身のモモセならまずは食を充実させるだろうと言うことは想定できた。
ただ、どこか物足りなさを感じる。オープンしたばかりだからかと思いながらもいつも『Cafe Cherish』に漂っている食欲をそそるような香りが少ない。
視線をあちこちに配らせているシロナは調度品の質があまりよくないことに目をこらしていた。雰囲気は出ていたがしつらえとしてはあまりよくないところもあるなと考える。金を掛けるところを間違えているのかなと思いながら壁紙が一部こすれているところに目をやってしまう。
案内されたキッチン近くの二人がけのテーブル。椅子に座るとお互い目配せをしたアカネとシロナが『期待外れ』感を顔に表す。
「お久しぶりです、アカネ先輩。シロナ先輩」
メニューを持って現れたのはアサギで、ニコニコと笑っているがどこか違和感があるような唇の動きをしていた。
それ以外のメイドもかつての『Cafe Cherish』で見慣れていた顔ぶれもいる。当然彼女たちもアカネとシロナの存在には気付いていてどこかぎこちなく給仕をしている。
「改めて久しぶり」
「どうしたんですかいきなりうちに来て……」
「たまには他のお店も見ていかないとねってなってさ」
「あ、そううちまだ店やってるんだよよかったら電話して?」
「電話……」
「出前メイド喫茶やってんの」
よろしくね、と差し出したショップカードをありがとうございますとうやうやしく受け取ったアサギの名札の飾りには他の店員にはないカメオがつけられていた。それは、かつて店舗として営業としていた『Cafe Cherish』でのトップのメイド、店長がつけるものとよく似ているものでアカネとシロナはそれに気付いていた。
*
焼きたてではあるがプレーンしかないスコーンはしっかり焼けた証しであるオオカミの口が足りていない。香料がしつこいアールグレイは茶葉の風味が少ない。
査定のつもりで失敗しやすい特徴が出るメニューを頼んでみたら箸にも棒にも引っかからないことにがっかりとした気分でティータイムを終えたアカネとシロナは、とりあえず反省会は別のところで実施することにして早めに店を出ることにした。
早めにレジで会計を終わらせようとしたところで店の出口で二人を待っている人影を見つける。
「……この前ぶりっすねモモちゃん先輩」
「私はー、久しぶりですね、モモセさん」
「んもう二人とも冷たいやないの、来てくれるんやったら声かけてくれんと」
アサギがわざわざ声かけてくれたから来ること出来たわあと嬉しそうに笑っているモモセは、今になっては得体の知れないモンスターのようにも思える。
「たまにはアキバで遊ぼうって話になっただけですよ」
「へえ、敵情視察やなくて?」
「あ、そう伝わってるんだったらそっちの方がてっとり早いんでいいです」
「シロナ」
上品なワンピースに似つかわしくない怒りを込めた表情をさせてみせたシロナは明らかに店の出来に怒りを抱いているようだった。
「まさかモモセさんがこんな店で満足してるとは思いませんでした」
「おおコワ、それやったらシロナが来てうちのキッチンメイドしごいてやってや。もっとお茶菓子強化したいねん」
「……私の憧れていたモモセさんならこんな出来映えで満足なんてしなかったですけどね。それに自分で動いてたはずです」
「あ、えーっと二人とも出入り口のジャマになるから他のところでとりあえず……」
アカネが気を遣う形になって自然と店先からじゃまにならない位置に連れて行こうとしたところでモモセが足を止める。
「二人とも来たんならちょうどええわ、ほんまにうちを立て直すつもり、ない?」
黙って目配せをした二人は静かに首を横に振る。
「自分の店だけでも精一杯です」
「うちは一つ一つこだわってるんで」
ね、と声を合わせた二人を見てモモセは吹き出すように鼻で笑う。
「あらやだうちが何もこだわりがないみたいやないの」
「だからそう言ってるんですよ」
「……」
「中華料理屋でやってろうが、カブで出前してようが本物を用意していれば絶対に信頼してくれる人が出てくるんですよ。アタシ達はそう信じてます」
「むしろ、モモセさんは何を信じて今のお店をやってるのか、聞きたいですけどね、『Cafe Cherish』のメイドだった人がどうしてこんな店で満足できるのか知りたい」
徐々にヒートアップしていく二人を、変わらない口角を上げたままで見つめているモモセの不気味さに飲み込まれまいと牙を剥こうとしている二人を留めるようにゆらっとした影が差す。
「はい皆さんストップー」
「……ハイヂさん」
「なんやのハイヂ」
「ここは道路ですよ、言い合いなんてナンセンスナンセンス! せめて室内かちゃんとしたところでお話し合いしましょう?」
ひょろりとしたハイヂの姿が三人の間に入る。なあなあで沈静化した話し合いの場が有耶無耶になって解消された。
「アカネちゃんとシロナちゃん、チャンクロが心配しちゃうから二人で突入なんてしないこと。モモセちゃんは無理矢理な引き抜きなんてしないこと。みんなそんなにめくじらたてないで! 可愛いのが台無しだよ?」
「うるっさいのお!」
「きゃ、怖い!」
アカネの背後に隠れるようにしたハイヂはわざとらしくきゃーと叫んで道化になってみせる。
「とにかく! 君たちが直接交渉するのは危なっかしくて見てられない! 僕がいくらでも橋渡しするから交渉は僕に任せて!」
「……せやって、どないする?」
「……今日のところは出直します」
でも、と言い残したシロナは最後もう一言付け加える。
「あんなキッチンじゃ私働きたくありません。イギリス留学が遠のきそう」
「あーあーあーシロナちゃんだからそういうことは言わないの!」
「今のキッチンメイドたちによお言うとくわ」
「モモセちゃんもー!」
混乱している中、アカネは興味なさげに携帯を取りだしてまたすぐにゲームを始める。
「アカネ、あんたちょっと今の状況わかってんの?」
「ん? 話し合いするまでもないかなって思って」
アタシ、シロナがいるところでしか働かないしさとどこか得意げな表情になってみせたアカネと、その突然の話に思わず固まるシロナの隙を見て慌てて三人の間を裂いたハイヂはアカネとシロナを連れて店から離れさせる。
「モモセちゃん! これからチャンクロとも話し合って今後のことはまた進展があれば話に来るから!」
「ちょっとハイヂさんまだ言ってやらないと気が済まないんだけど!」
「ハイヂさん、ちょっとシロナ落ち着かせるために美味しい店連れてってあげて、こいつ不味いもん食うと一気に不機嫌になるの」
「え、そうなの? じゃあカレーでも食べに行く?」
「行く!」
荒々しく引きずられていくシロナを見て苦笑いをしたアカネは多分シロナはカレーを食べたらけろっとして店に帰って早速スコーンを焼くだろうと想定をしていた。焼きたてのオオカミの口がかぱりと開いたシロナのスコーンはきっとさっきの中途半端な代物よりもずっと美味しいはずだ。
「シロナちゃんどういうカレー好き? ドロドロ? さらさら?」
「さらさら系がいいです! あとチキンカレー食べたいっす私! あとチーズナン!」
「……チャイもつけといてやりましょう」
「そうしてあげよう」
ハイヂと一緒に納得したところでアカネはアキハバラの街を歩く。雑然として人が行き交うこの街はかつての生活圏だったがどこかごみごみとしていて原付で駆け抜けていく今のきもちよさは捨てられないなといつの間にか出前メイド喫茶が染みついている自分に気がつく。
自分が思っているよりも、今の居場所に間違いの無い愛着が湧いてきているのだと気付いたアカネは半ば担がれているような状態のシロナを見て笑う。
「……シロナ、なんであんなに必死になってたんだよ。ああいうのアタシの役割じゃん」
「だって絶対あんなところで働きたくなかったんだもん! それに!」
モモセさんとモモセさんの店があの程度なんて知りたくなかった! とシロナの叫びに思わずアカネも立ち止まる。シロナにとっても、モモセは大事な先輩の一人で憧れの形をしていたはずだったのだ。
「……そうだね。アタシもそう思うよ」
「だから絶対うちは何があっても手を抜かないって決めた! 付き合いなさいよアカネ!」
「当たり前じゃん。やるに決まってるでしょ」
「やーんなんだか熱いけど僕のこと挟んでるの忘れないで~」
もう少しで僕オススメのお店だよとハイヂが指さす。路地へ入ったところにある店だったが、行列が出来ていて距離があるうちでも十分にスパイスの良い香りが漂ってくる。
「はぁ……っ最高! 絶対ここ美味しいじゃないですか!」
「あ、これカレー特集の雑誌で見たことある」
「本当に美味しいんだよこれが」
今日は奢ってあげるからアカネちゃんもシロナちゃんもしっかり食べてねと仕方がなさそうに眉を下げて笑って見せたハイヂに、アカネとシロナは顔を合わせて笑い出す。
「ゴチです!」
「ごちそうさまです!」
「チャンクロには聞いてたけど食事のことになると現金だねえ君らは……」
苦々しい表情をしながらも二人が普段の様子を取り戻したことに安堵したハイヂは、これからクロサキにどう引導を渡すべきかを検討していた。思ったよりもモモセの執着は深く、アカネとシロナの結束は強い。次の仕掛けをしてくるのだとしたらモモセだと考えた時に、いくらかのパターンをシミュレーションしていたが、そんなことに気付かないアカネとシロナは店頭のメニューを見て嬉しそうにサイドメニューまで見比べて楽しもうとしていた。
本当に、明るくて楽しい子達なのだけれどねとハイヂは思う。二人とも様子が異なっているのに引き剥がそうとすると急に牙を剥くところだけはどこか不思議だが、一心同体のように振る舞うのはまるで絶対に離ればなれにさせることが出来ないように作られた精神上の双子のようだと感じていた。
<つづく>