
エレファント
少年は残酷な弓を射る、アメリカン・ビューティー、その流れでどうしても観返したい映画が、ガス・ヴァン・サントの「エレファント」だった。閉鎖的なアメリカの郊外の一つの象徴としての、学生による無差別銃殺テロ。
主観を置くのではなく、淡々と、複数の生徒の視点を追っていった、ほんの数十分間におけるその本当に何でもない接点の違いを克明に描いた、シンプルに短くまとめあげた、これまで類を余り見ない傑作だと思う。
同じような学園の閉鎖性や群集劇というのを、1番純粋に取り入れたのが、昨年の「桐島、部活やめるってよ」という映画が日本にも現れた。
直接的要因としてのスクールカースト、銃社会などはわかりいいのかもしれない。けれども、もっと根幹としてある、国の縮図としての「郊外」、社会の縮図としての「学校」、閉じられたその中での歪み、それが具現化してしまったのがコロンバイン高校銃乱射事件だったと思う。
個人的には、Keyの舞台設定として閉じられた地方の学校が挙げられる要因に、そこと繋がっていると思っているで、少しその辺りを整理して考えたい。