いろんな人がいるのが良いよね、という場所を

ここのところ本格的に、3人きょうだい末っ子の娘が学校へ行くことにビクビクしているみたい。5年生です。

誰かと誰かが話しているのを見ると、自分の悪口を言っているんじゃないかと思ってしまうし、

思いもよらないことで人から嫌われるんじゃないかとか、

他の子が怒られているのを見ると自分が悪かったんじゃないかとか、

自分がどうにかしてあげられたんじゃないかと思って、自分が怒られてる気持ちになるとか、

とか、

とか。

それで娘は担任の先生に自分なりの言葉で、自分の感じることを手紙で伝えたところ、その日のうちに学校カウンセラーの先生との時間を設けてくださり、5時間目の授業は席を外して二人でいろいろ対話したそうです。

そして少しでも気持ちが楽になる手助けになるといいなと言って、お母さんと一緒に読んで取り組んでみてごらん、と心配ごとを取り除くためのワークブックというのを娘に持たせてくださいました。

ことの外、そのことは娘を励ましていて、私と肩をくっつけてソファでその本を読むことをウキウキと喜んでいるように見えます、そんな暖かいサポートには感謝ですが、そうなのですが、、、

私にはもっと大事なことがあるんじゃないかな?って感じがして違和感があるのです。。

それは、本人の感じ取り方、ものの見方を変えることで解決しようとしているところなのです。この年頃特有の感覚ともおっしゃっていましたが、本人の認知が誤っていることで事実ではない苦しみを感じてしまう。

だからその認知を変えればいい、という考え方なのだと思います。

それも必要だけど、そうじゃなくてやっぱり学校とか集団的なところでは、「そういう風に感じる子もいる。」と受け入れあうことを目指してほしいです。

娘自身も、いろんなタイプの子がいて、いろんな表現方法があるということを知って、一人ひとりに対してこの子の気持ちは今どんなだろう?って想像する力をつけていく途中にあります。

周りの子ども達も同じでしょう。

そうやっていろんなふるまいや感じ方があることを知って、ともに気持ちよく生活してくにはどうすればいいのだろう、

みんなで考えあってそれができる環境を作っていきます、

という大人の責任の話が私はしたいです。

私自身、みんなと同じようには思えなくて、自分が変なのかな?なんて思うこともあります、そんなとき「そういう風に思わなければいいじゃん」とか「違う側面から見てみればいいじゃん。」とか言われることもいっぱいあります。それはそうかもしれないけど、自分の柔らかい部分で感じていることを素直に話し合える場所があったら、もっともっと優しい世の中になるのにな。なりたいな。って思うのです。

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