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ここでは猫も知っている。仕事と暮らし、明日の私|京都

暮らしが仕事 仕事が暮らし

陶工・河井寛次郎の言葉です。

仕事を通じて自分を見つめ続けた河井寛次郎の言葉にはいつも、生きる上で大切なことを教えられます。

そんな河井寛次郎の仕事と暮らしに触れることができる場所が京都にあります。

河井寛次郎(1890年ー1966年)
島根県安来市生まれ。東京工業学校窯業科卒業後は、京都市立陶磁器試験場で技師として勤務。1920年に五条坂に窯を構え、1925年に柳宗悦、濱田庄司らと「日本民藝美術館設立趣意書」の起草に参加して後、京都を拠点に民藝運動を牽引する作家として活躍。彫刻、書、詩などの作品も手がける。


心穏やかになる場所

東山区五条坂を少し南に入ったところ。
河井寛次郎の住居兼工房が記念館として公開されています。

河井寛次郎記念館の入り口

外観は、伝統的な京町家の風情ですが、中に入ると雰囲気は一変。
ドンと存在感のある梁や柱。
山里の古民家のような雰囲気で、ここが都会の真ん中であることを忘れます。

吹き抜けから1階の居間を見下ろす

そして、祈りのような静寂に包まれ、
振り子時計の音だけがこだまする。

ありし日の温もり灯る囲炉裏ばた
庭先には、土と火が香り立つ

これほどに心穏やかになる空間は、他にあまり無いでしょう。

1階の居間

自然の美に魅せられて

私は大学でも研究テーマに選んだほど陶器に惹かれます。
土と火から生み出された素朴な手仕事に、心地よい温かみを感じるのです。

その中でも、無名の職人が生み出す品々に「用の美」を見出した『民藝』の作品に触れると、春の木漏れ日に抱かれたような安らかな気持ちになります。

「文化」は暮らしに寄り添うもの。
美は身の回りに溢れていると、いつも気付かされます。

2階の床の間にある掛け軸

とりわけ、私にとって河井寛次郎の作品は特別な存在。
戦後、独自の造形美を追求した、寛次郎さんの自由でのびやかな作品の数々は、時を忘れて眺めていられます。

かなり個性的な造形もありますが、なぜか作為を感じない。
成るべくして成ったもの。そう思えてなりません。

河井寛次郎の作品

寛次郎さんに会いに

記念館は2階建て。
急な階段箪笥を上がり、真ん中の吹き抜けを囲むようにある部屋を巡っていきます。所々に土の器から芽生えたようにお花が置かれ、彩りが際立ちます。

この花瓶の色が好き

各部屋には陶芸や木工、書など河井寛次郎の作品の数々があります。
作為的でなく、そこに自然に。

うさぎさんもいる

廊下をわたり、登り窯へ。
かつて、ここから名作の数々が生み出されたかと想像すると、心が弾みます。

登り窯の焚き口

五条坂は昔、清水焼の産地でした。
多くの登り窯があり、煙突から煙が立ち上っていた光景は、今では想像がつきません。
やがて都市化に伴って煤煙が問題となり窯元は移転。
往時を物語る貴重な遺構でもあります。

登り窯の焼成室

猫に教わる。仕事と暮らし

ここには“看板猫”の「えき」ちゃんがいます。
近づいても凛として、全く動じる様子もありません。
あるがままに受け入れる。そんな余裕すら感じます。

そんなジロジロ見んといて

この「えき」ちゃん。実はこちらの飼い猫ではないそうです。
開館時間にやっていて閉館になると、どこか寝ぐらに帰っていく。

ここでは静かに、作品や建物を傷つけたことは無いのだそう。

「暮らしが仕事 仕事が暮らし」

農家の暮らしを尊んだ河井寛次郎ならではの言葉です。
美しい暮らしから、美しい仕事が生まれる。

仕事と暮らしは、切り分けては成り立たないのです。

農家の暮らしを彷彿とさせる蓑

「えき」ちゃんは、毎日ここにやってきて、暮らすように仕事をしていく。
居場所を見つけて、役割を果たす。
あくまでも自然体で。
自分にできることを淡々と。

そんな姿を見ていると、欲にまみれてさまよう自分がバカらしくなってきます。

人と比べて落ち込んだり、
できないことを悩んだり、
まだ見ぬ未来を恐れたり…

そんなこと、どうでも良くなります。

はいはい、どうぞ。撮りよし

新しい自分が見たいのだー仕事する

日々の繰り返しの中でも、自らの変化や喜びを見出そうとする。
それは家事や趣味も同じことでしょう。
私はこの寛次郎さんの言葉に、生きることの意味や希望を感じます。

仕事とは、自分を見つけるためにする。

お金のためと割り切ると、
急に仕事が苦役になる。

名誉のためと欲張ると、
急に仕事が嘘臭くなる。

なりたい自分を探すより、
小さな「好き」を集めよう。

職場、家庭、地域など、
今いる場所で、今できることを、丁寧に。

そうすれば、結果は後からついてくる。
なりたい自分になっていく。

そう思えたら、何か重しが解けていく気がします。

渡り廊下の先の小部屋。庭が見渡せる

個性はにじみ出るもの

母屋に廊下に、登り窯に。
寛次郎さんがそこにいる気配をヒシと感じます。

2階。照明もすてき

海外からのお客様も何組かおられましたが、一様に声をひそめ、静かに鑑賞されているのが印象的でした。
「場」の持つ力でしょうか。
それほどにここは、静謐な場所。

私が一番“気配”を感じた場所

河井寛次郎は作品に刻印を残さず、文化勲章や人間国宝なども辞退。
生涯「無名」の陶工を貫いたそうです。
「用の美」を生み出す無数の職人の一人であるかのように。

そんな求道人のような寛次郎さんの言葉には、
「本質」を突く厳しさを感じながらも、寄り添うような優しさがあります。

私の座右の書のひとつ

個性は追い求めるものでなく、
にじみ出てくるもの。

未来は今の積み重ね
どうなるかより今を生きよう。

そう心に留めながら、
明日からも歩んでいきたいな。

えきちゃん、またね

河井寛次郎記念館
京都市東山区五条坂鐘鋳町569
京阪本線「清水五条」駅下車、東に徒歩約10分
(開館時間)10:00-17:00
(休館日)月曜日、ただし祝日は開館、翌日休館
 *夏期休館・冬期休館あり
(入館料)大人900円、高・大学生500円、小・中学生300円


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