ぐらつき

ここまでことが進展するとは夢にも思わず、日記をつけることなく余裕をかましていたここ数週間。でも不思議なことというのは実際にあるもので、自分でも全く想像しなかった境遇に僕はいる。

ほんの2週間ほど前のことだった。とあるメキシコ人の友人Bが僕を自分のアパートに呼んだ。彼と仲良くなったのは、僕の感覚ではここ数ヶ月間のことなのだが、この孤独な海外生活の中で、唯一ちゃんと友達と呼べるような存在であり、この日もサシでタバコを吸いながら相変わらず女の子の話をしていた。

ここ最近の僕は恋愛に対して非常に悲観的だった。というのも、気に入った相手は例外なく僕に目もくれることがなく、大抵の場合、すでにお付き合いしている相手がいた。「そりゃそうだ」と僕は思った。僕が好きになるくらいなのだから、何かしらの魅力があり、人生20-30年生きていれば、その魅力に気が付く人は他にもいる。そんなこんなで、時が来れば結婚できる、というやんわりとした希望が段々と破壊されていき、いつの間にか、「僕は死ぬまで恋愛ができない」と、ある種の被害妄想にも近いような思想が強固な地位を確立し始めていた。

楽観的なBは、そのじめじめとした悲観を理由もなくかき消した。そりゃ、あなたみたいなイケメンには分からんでしょ、とひがみのようなことを言いそうになって、口元にチャックをした。しかし、Bが僕の明るい未来を期待しているのは事実であり、その日の終盤に、2枚のコンドームを僕に手渡した。セックスの相手がいない状態でゴムを買うのはダサい、という哲学でずっと生きてきた僕が、人生で初めて手にしたコンドームだった。使うこともないだろ、とショルダーバッグにそれを押し込み、でもちゃんとありがとうも言って、Bのアパートをあとにした。

時を同じくして、1ヶ月ほど毎日連絡を取っている中国人の友人Cがいた。Cはいわゆるネット友達で、色々話せば長いのだが、かいつまんで言うと、出会った当初に片思いをされ、僕も内心彼のことが好きだったが正式な両思いには至らなかったという関係だ。思い返せば、僕がそれなりに人を好きになったのはCが最後かもしれない。当時、ことが上手くいかなくなってからも、こうして2年弱友達関係を続けているのは、ひとえに彼に対する好意がなくなり切っていないからなのかもしれなかった。

クリスマスを目前にして、ひょんなことからCが数ヶ月ぶりに連絡をよこしたのをきっかけに、僕は毎日連絡を取ろうと決めた。それは決して恋愛的な動機ではなく、むしろ例の悲観モードの真っ只中だったから、一生顔を合わすこともないであろう彼と純粋な友達関係を築けたらという想いからだった。毎日連絡を取ると言っても、彼は気さくなタイプとは言い難く、非常にドライな会話をするだけの日々が続いて、正直友達にすらなれる気がしなかったというのがつい最近までの僕の本音だ。

事態が進展したのは数日前のことだ(なにも期待していなかったから、「進展」という言葉が文脈にそぐわないとはいえ)。動機は定かではなかったが、いつの間にか結婚観の話がセックスの話に移り変わって、最終的にCが僕のセクシュアリティを知りたがっていることが判明した。僕自身も、よく分かっていない部分があるし、「分かりたくない」という気持ちもあった上に、性自認、性的指向、性的嗜好の3つが混同しやすい話題だったこともあって、Cも僕の話を聞きながら終始混乱していた。自分なりに調べて分かったことなのだが、先ほどの3項目は、いわゆる「普通」の人なら全てが一致するのだが、どうやら僕の場合はそうではないようだ。

説明が曖昧に終わって、一晩挟んで、混乱させてしまって申し訳ないという気持ちがあったことをCに伝えた。結婚とかセクシュアリティとか、そういう重い話題から入ったのがそもそもの過ちで、思い返せば、Cはただ、僕の性的嗜好(どの性に性的魅力を感じるか)がゲイなのかどうかを知りたいだけのようだった。僕は、その世界の当事者でありながら、同時にその世界の人々を少し軽蔑してしまうような傾向がある。別の記事で話題にしたAもそうなのだが、彼らは、なんのデリカシーもなしにセックスの話をするし、他人の性的経験を知った気になって「ゲイだ」とか「バイだ」とかレッテルを張りたがるし、僕みたいにアイデンティティがぐらついているようなタイプの人には理解がなかったりする(みんながみんなそうだとはもちろん言わないが)。そういうある種の偏見から生じる軽蔑みたいな感情を、もちろんCにも向けていたし、だからこそ、彼に、自分の性生活について色々と質問されたとき、「また好奇心で聞いてくるだけのアホか」と割り切っていた。

ただし、話はそこで終わらなかった。Cはまだ僕に対して感情があると言った。彼は、僕のことが好きだったし、今も好きだし、これからも好きであり続けると言った。それでいて、お付き合いはまだ現実的ではないから、僕からのフィードバックは要らないと言った。まるで火にあぶられながら、何も感じるなと指図されているような気分になった。でも、僕の悲観的恋愛観が一気にぐらついたのも事実だった。自分に好意を向けてくれる人がいるという感覚がこんなものだったか、と久々に思い出して、頭の中がかき乱された。色々投げかけられた質問も、ただの好奇心ではなかったんだと腑に落ちる感覚があった。いわゆる告白文化が根付いている日本で生まれ育った身からすると、そこに曖昧さがあることは否定できないのだが、現実的に遠距離が避けられない都合上、曖昧さを維持するか、完全に拒否するかの2択だった。

U2のEvery Breaking Waveの曲調が好きで、登下校のタイミングでずっとリピートしながら、僕は微笑むのをやめられなかった。この感情を言葉にしようものなら、Cが、「マジで恋愛しようとしてる、ダサい」とか言いかねないので、あくまでクールな態度を装った。でもその冷静なマスクの下で、なにかぬくぬくとした感情が渦巻いて、僕を放ってくれはしない。

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