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知らない世界に触れる
こんばんは、colors+のAkimiです:) 今日は「禅の世界」についてほんの少しだけ触れてみようと思います('u`)私自身は何かの宗教に属しているわけではないのですが、神様や仏様、またあの世などそういう存在を信じているタイプの人間です。昨日は旦那さんのおばあちゃんの法事だったのですが、住職さんが若くて科学に精通してるIQが高い方なので、私は法要の時のお話しが結構好きで楽しみにしています笑 そこでお聞きした面白いお話をご紹介しようと思います♪
お経の中で出てくるあのワード
皆さんの宗派は何ですか?と言っても、興味のない方にはちんぷんかんぷんですよね!私もそうでした笑 どうやら、ここのお寺は「臨済宗妙心寺派」に属されている(この言い方で良いのかは謎ですが)そうです。「禅の世界」があるお寺です。修行に「坐禅」を組むお寺のようです。そして、お経によく出てくるワードがありまして、それが「無」や「空」なのですが、このお経で使われている意味を私は全く知りませんでした。
「無」や「空」の意味
この漢字には「全てのものは永遠に存在し得ない」ということから来ているようです。この世に存在する全てものは、「無や空である」=「存在していないのと同じである」 今、目の前にあるリンゴもそのまま永遠に姿を留めていることはない。それは、この世にある全てのものが姿形を常に変えていくからであり、人間の思想も日々変化し続けるからである。・・なんて極端な考えなんでしょう笑 住職もおっしゃっていましたが笑 でも、確かにそうですよね。ずっと同じなんてあり得ないです。人間は日々老いていくし、考えもコロコロ変わってしまいます。全ては存在していないのかも、しれません。
現代でも使われる禅語
禅語というのを聞いたことはありますか? 「退屈」という言葉は現代でも使われていますよね。この言葉実は「禅語」なのです。意味は「退」と「屈」で出来ていて、仏教の用語として「仏道修行を続ける気力がなくなり、精進しなくなること」を言うのだそうです。
修行を邁進する気力がなくなると次第に尻込みするようになり、
尻込みするようになると修行をしない時間が生まれる
修行をしない時間が生まれるとぼんやりとする時間が生まれる
ぼんやりする時間が生まれると「あー暇だ」という思いが生まれる
結果、「退屈」という言葉は現代において、これらの流れの最終段階で「あー暇だ」のみを指す言葉として定着してしまった、ということになるようです。人生は修行です。もし、「退屈だ」なんて言っていたら人生の修行を放棄したのと同じ。。このワードは口が裂けても言ってはイケナイですね;
「私はこれからも精進していきます」とご先祖様に誓った日でした。