「奈良と京都の色」
奈良で生まれた私は、薬師寺や東大寺の境内を遊び場にして育ちました。
そして、高校時代に和辻哲郎氏の「古寺巡礼」を読んだのがきっかけとなり、京都の神社・仏閣も巡るようになりました。
奈良と京都はどちらも私の大好きな街ですが、いつのころからか、両者の色彩の違いについて関心を持つようになりました。
その違いをひと口で説明すると、奈良は中国の影響を直接受けた色づかい、京都はそれを日本流にアレンジした色づかいになるのではないかと思っています。
たとえば、奈良の明日香村で発掘された高松塚古墳の壁画には、4人の女子群像が描かれています。
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この衣装を古代の染色方法で染織家・山崎青樹さんが再現されましたが、それぞれ赤系・緑系・黄系・紫系の衣装をまとっていて、この時代の女性が鮮やかな色彩を楽しんでいたことがわかりました。
原色に近い色をそのまま使うというのは、そのころの中国の影響だと言われています。
奈良には少し渋めのカラーイメージがあるようですが、実際には案外カラフルで、極彩色がふんだんに使われていたのではなかったかと想像しています。
一方の京都の色づかいは、十二単(じゅうにひとえ)に代表される襲(かさね)の色目、すなわち、グラデーションの美しさにあったように感じています。
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京都に都が置かれるようになると、日本独自の美意識が育まれて、鮮やかな原色だけではあきたらず、何色も色を重ねるようになったのでしょう。
一例をあげると、紅梅という春にぴったりの襲があります。
表は紅花で染めた紅梅をあしらい、裏は蘇芳(すおう=東南アジアで産出するマメ科の植物)で染めた赤を重ねることでピンクから濃いピンクに赤の3色のグラデーションが完成します。
こうした襲の妙で個性を競い、季節ごとに楽しんでいました。
当時、カラーコーディネートというような言葉はありませんでしたが、色を重ねることによって、日本人の色彩感覚に磨きがかかり、平安絵巻と形容される華麗な貴族文化の発展にも拍車をかけたようです。
(参考文献)「日本の色辞典」
吉岡幸雄著 紫紅社発行