32.言葉を綴ることと、他者の視点
リフレクションジャーナルを始めてから、言葉を綴る機会が増えてきた。
リフレクションジャーナルは、公開することを前提として最初からプラットフォームに綴るのではなく、一旦PCのメモ機能で綴るようにしている。
そのことによって、「まずは何を書いても大丈夫」という安心感が増している。
他者の目に触れるのか、触れないことも選択できるのかが、確かに私が綴る内容に影響を与えていることに気づく。
今日は、言葉を綴ることと他者の視点との関係性について書いてみたいと思う。
私は日常生活の中のさまざまなシチュエーションで言葉を綴っている。
大きく分けると、次のようになるだろうか。
①会社でのテキストコミュニケーション
②家族や友人とのメッセージのやりとり
③SNSでの発信
④リフレクションジャーナル
①②は、他者に何かを伝えることを目的として言葉を綴っているので、「伝わりやすいか、受け取った時に心がほぐれるような温かみのある言葉づかいか」ということを重視して言葉を選んでいるように思う。
③は、公開することを前提としているものの、特定の誰かに向けたメッセージではないため、①②の位置付けとは少し異なる。
日常の中で心が動いた瞬間を記録したり、「この学びや気づきは遠くの誰かにとっても役立つものかもしれない」と思ってシェアしたり。
実際にSNSでの発信を通じて始まった友人関係もあり、私にとっては大切な習慣の一部だ。
ただ、公開することを前提としているため、「これは書かない」と決めていることもある。
例えば、モヤモヤしたことや疑問に思ったこと、色で表現するとグレーな感情。
そんなつもりはなくても誰かを傷つけてしまったり、誤解されてしまうかもしれないなと感じたことは書かないようにしている。
③はあくまでも、どこか遠くから聞こえてくる美しい音色であったり、季節の風の香りであったり、触れることで心が軽くなるような言葉を綴りたいと思っている。
一方で、モヤモヤや疑問は、その奥に大切な気持ちが隠れている可能性がある。ちゃんとその奥の気持ちにも触れたい。
そんなとき、④のリフレクションジャーナルの習慣に助けられている。
自分の感情を、ポジティブもネガティブもジャッジすることなく、そのまま綴ることのできる場所。
公開してもしなくても良いし、時には抜粋して公開することもある。
そのような習慣を続けていると、どんな気持ちも自分にとっては宝物のように思えてくるのだ。
言葉を綴ることと、他者の視点は密接な関係性があることがわかる。
ここまで書いてみて、私の場合、他者にオープンにするのならばポジティブであるべき、という考え方が根付いているようにも感じた。
おそらく、これまでの人生で何か大変なことがあった時、物事の明るい面を見てその局面を何とか乗り切ってきた、ということがあるからだと思う。
ただ、最近、グレー色の感情の大切さもひしひしと感じている。
はっきりと結論づけられない期間、揺れながら色々なことを感じている時間から学んでいることも多い。それをオープンにすることで起こる変化にも興味が湧いてきている。
このリフレクションジャーナルでは、光だけではなく影の部分も、無理のない範囲で少しずつ公開してみたいと感じている。
自分の影を大切にすることは、他者の影の部分も含めて慈しむこととつながっているような気がするから。2022.1.11 Tue 8:29
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