
戦国時代の始まりと終わりを見届けた城・鉢形城
日本の戦国時代は、多くの歴史ファンを魅了していますね。
今回は、そんな戦国時代を、ちょっと違った目線から綴っていきたいと思います。
さて、戦国時代を表す言葉に「下剋上」が挙げられます。身分の低い者が力をつけ、上の立場の者を倒してのし上がる――そんなドラマチックな出来事があちこちで起こっていました。
その歴史の転換点となる舞台の一つが、僕が活動している寄居町にある鉢形城です。
鉢形城を築いた長尾景春
鉢形城を最初に築いたのは、15世紀後半の武将・長尾景春(ながお かげはる)でした。彼は関東管領・上杉家に仕える家臣でしたが、主君の政策に不満を持ち、反旗を翻します。これを「長尾景春の乱」といいます。
景春は、関東管領・上杉家の家督争いに絡んで独自の動きを見せ、武蔵・上野(現在の埼玉県や群馬県)を中心に勢力を拡大しました。鉢形城は、その戦略拠点としての役割を担うことになります。
戦国時代の始まりと鉢形城
最終的に長尾景春の乱は鎮圧されます。しかし、この出来事は戦国時代へ突入する流れを加速させました。家臣が主君を裏切り、実力で地位を築こうとする動きが全国に広がります。「下剋上」の時代が本格化するきっかけとなったといえます。
また、鉢形城の築城技術も戦国時代の城づくりに影響を与えたとされます。天然の地形を活かした防御力の高い城が次々と作られるようになり、戦国時代の戦い方にも変化が生まれました。
戦国時代の終焉と鉢形城
鉢形城はその後、北条氏の支配下に入ります。
戦国時代の終盤には豊臣秀吉の軍勢と戦う舞台ともなりました。1590年の「鉢形城の戦い」は、豊臣軍による関東制圧戦の一環であり、戦国時代の終焉を象徴する戦いの一つです。
こうしてみると、鉢形城は戦国時代の始まりに関わるだけでなく、その終わりにも深く関わった城なのです。

まとめ
鉢形城は、戦国時代の幕開けに大きな影響をもたらした場所であり、その終焉をも見届けた城でした。長尾景春の乱をきっかけに築かれ、やがて北条氏の要衝となり、豊臣秀吉の関東制圧戦の舞台となる――まさに、戦国の歴史を象徴する存在です。
現代において鉢形城の跡地は国の史跡に指定され、公園のような場所になっています。曲輪(くるわ)と呼ばれる設備など、当時の築城技術が垣間見える要素もありつつ、往時とは比べ物にならないくらい穏やかな雰囲気の場所になっています。
寄居町にお越しの際は、一度は訪れてみる価値のある場所の一つです。
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