見た目なんて気にしない
今回は、私のピアノとの向き合い方をお話しします。
いかに、動作的に何の苦労もなく演奏しているように見せるか。つい最近まで、そればかり考えていました。
私は『脳性麻痺』と言っても軽度で、見た目でははとんどわからず、説明してもなかなか伝わらない。もちろん、障害があるも無いも関係なく、人前で演奏する時は、みんなそれなりに練習するものです。ただ、私の場合は練習に加えてかなりの工夫が必要です。その工夫というのが、どうしたら麻痺のない人と変わらないように見えるかということです。
そもそも、どうしてそんな工夫をする必要があったのかと言うと、演奏会やコンクールなどの本番の舞台で、私はそれほど緊張していないのに、障害特有の「筋肉が強張って突っ張る」「自分の意思に反してガクガクと震えるように動く」という症状が出て、それを抑えるためです。周りから見るとド緊張しているかのように見えて、お辞儀をしてから演奏を始めるまで何やらヒソヒソと話し声が聞こえたり、クスクスと笑う声が聞こえるのです。私は、この症状のことで笑っている、心配そうに何か話しているとすぐにわかりました。でも、コンクールや演奏会を聴きにきている人たちにそんな理由は関係ないし、コンクールでは通用しません。けれど実際は、それが理由で本来の自分の実力を発揮できないことや、表現したい音楽が伝わらなくて悔しい思いを何度もしました。だったら、初めから見えないようにしてしまおう。それは、物理的に障害を隠して生きてくことでした。
障害を伏せて生きる。そう決めてからは、それまで以上のスケールなどの基礎練習。少しでも震えを抑えるための筋トレ。ストレッチ。やれることは何でもしました。けれど、その努力とは裏腹に、年齢を重ねるにつれ体力は落ちていき、次第に日常生活にも少し影響がでるようになりました。症状を抑えるどころか、どんどん強くなっていきました。
落ちるところまで落ちて、足首の関節が硬くなりペダルを押すことができなくなったある日、同年齢くらいの女性が、怪我をして以降ペダルが押せなくなり、子供が使うアシストペダルを使って演奏しているのをテレビで見ました。私は一目見て、これだ!と思いました。でも、その女性と私が決定的に違ったのは、身長と足首関節の硬さでした。私は、女性の中では身長が低くて、普段の服も大人サイズでは大きいものが多く、キッズコーナーであまり子供っぽくないデザインを選んで買うことが多いです。つまり、身長のみなら床下まで足はつくけど、麻痺で硬くなった足首の動きをカバーするには、ペダルの高さと踵の高さを同じにする必要がありました。
そうするためには、アシストペダルだけではなく、足台も必要です。私は、小学5年生まで足台を使っていて、当時の同じ年の子どもよりぺダルを使った曲を演奏・選曲できるようになったのが遅かったので、せっかくここまで頑張ってリハビリして、体の成長も追いついて使えるようになったのに。「また子どもに戻るの嫌だ!格好悪い!」という気持ちが強くて決断できませんでした。
最近は、SNSに自分の演奏をアップしている子どもが多くて、よく足台やアシストペダルを使った演奏を聴く機会があります。それを聴いているうちに、安定した姿勢で演奏すると体が小さくてもこんなにダイナミックに表現できるのか!すごい!「大人だから」「カッコ悪いから」「リハビリしたらまた元の状態に戻るかも」そんな理由で自分のやりたい曲、伝えたい想いを届けずにいるよりもずっといいじゃないか。小さな音楽家が私に教えてくれて、私の中にあったモヤっとしたものが吹っ切れました。3つ目の「リハビリしたら~」の気持ちは捨てずに持っておくのは大切だけれど、同時に、その時の状態に合わせた最大限の工夫や努力をする方がよほど大切だと気づくことができました。
私は、自分のプライドが邪魔して、自分から自身の演奏を下手にしていました。なんて愚かな。数週間前の私に言ってやりたいです。
見た目なんてどうでもいい!
足台やアシストペダルを使っている大人がいてもいいじゃん!
結果的に体にも負担が少ないから、最初から気にしていた麻痺の震えや筋肉の強張りだって出にくくなる。音の強弱や表現の幅も広がる。良いことばかりではないか。麻痺があるから何だ。それがどうしたというのか。仮にそれを聴いている人が知ったところで、拍手を送るのは麻痺がある私にではなく、演奏に対してだよね。
さて、今日もマイペースで練習頑張るとしますか。