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26年の嘘
この物語はフィクションである。というか、この世の大抵はフィクションである。捏造して、誇張して、都合の悪い部分はきれいに隠す。
齋藤飛鳥という人も、これまでずっとそうしてきた。自分と、自分以外の誰かを大切にするために。それが彼女の見つけた「いい生き方」だから。「齋藤飛鳥」としてこの世界を生きる、唯一の方法だったから。
彼女を深く愛し、彼女が「表」に発信する言葉はすべて受け取ってきた1人のファンとして、彼女の口からはまだ語られたことのない「齋藤飛鳥」の本当の姿について、自分なりの答えを描きたい。
Ⅰ. 嘘は、とびきりの愛なんだよ
「齋藤飛鳥は嘘をつく」という嘘
彼女はこう宣言する。「アイと同じように、齋藤飛鳥も嘘をつく」と[non-no、東京カレンダー、BARFOUT!]。以前からも似たようなことは言っていたが、それが「嘘」だと明確に宣言しているのはあまり記憶にない。【推しの子】の取材の中で彼女は繰り返す。「アイは逃げることなく嘘をつき通したけど、私は"嘘をついている"と言って逃げてしまう」と[東京カレンダー]。
しかし、本当にそれは「嘘」なのだろうか。昔から、ストレートな回答を避け、本当の気持ちをあらわにせず「ミステリアス」だと言われてきた彼女だが、本当にそうだろうか。彼女をずっと見ていると、どうにもそうは見えないのだ。
完成された「嘘」というよりは、もっと純粋に本心に近いところで「言葉を取り繕っている」ように感じる。だから、その言葉は嘘のようで実は常に本心と表裏一体のように思える。
彼女は【推しの子】の斉藤壱護の「愛してるーって歌って踊ってるうちに、その嘘はいつか本当になるかもしれない」に共感した[映画パンフレットインタビュー]と言う。思うに彼女は往々にして、自分の発した言葉に自分自身が操られがちである。というか、自分で言った思考がそのまま本心になっていくのだ。そのうえ、気持ちを上手く伝えられないというか、常に分かりやすくはない感性をしているから、複雑で言葉として整理できなくて、本当に思っていることと少し違った形で世に出てしまう。それをごまかして、彼女は「嘘」と呼んでいる。そんな風に思える。
つまり彼女の発する言葉には、確かにそのままの本心ではないものがたくさんあるが、それは意図して作られたものではないことが多い。だから、言葉どおりは嘘だとしても、我々がその言葉を受け取って感じたことは、おそらく嘘なんかではなく、まぎれもない本心なんだと思う。
「齋藤飛鳥」というペルソナの奥に見えるもの
アイとの比較において、ペルソナとしての「齋藤飛鳥」の話を多く持ちだしている[SWITCH、Quick Japan、アナザースカイ]。「素の自分」とは違う「表に出るほうの齋藤飛鳥」[Quick Japan]を想定して発信していると。
しかし露悪的に言えば、彼女はその「齋藤飛鳥」のプロデュースを完璧に出来ているわけではない。彼女は器用なようで不器用というか、細かいところには神経質な割に、面倒くさがりでマメではないし、何より飽きっぽい。インタビューだって、ところどころに短絡的でその場しのぎの答えがあるし、あるいは記事によって考えにばらつきもあれば、同じ質問に正反対の答えを返しているものもある。そういう彼女の揺らぎに、ペルソナの後ろにある本当の齋藤飛鳥が見え隠れしている。彼女自身が「私はアイほど嘘がうまくない」[BuzzFeed、BARFOUT!]と語っているのは、おそらくそういうところだろう。
そしてさらに、その「齋藤飛鳥」像は乃木坂卒業後、日を追うごとに「素の齋藤飛鳥」に近づいていっているように思う。というか、乃木坂時代に気にしていたグループへのイメージを気にしなくていい[Quick Japan]ので、もうあまり取り繕うことはやめたように見える。今回の【推しの子】関連のインタビュー記事でのさらけ出しっぷりは、今までの「齋藤飛鳥」とは明らかに違うものがあるのは、誰の目にも明らかだ。
だが、彼女も自覚している通り[Quick Japan]、本物の自分を出すことには危険が伴う。これまでは我々だけが気づいていたペルソナの後ろにいる彼女の姿は、もはや白日の下となっている。これはまさに「齋藤飛鳥 Season2」である。2025年、我々は今まで以上に積極的に、彼女の作る「齋藤飛鳥」像を守らなければならないのかもしれない。
Ⅱ. 齋藤飛鳥は、欲張りなんだ
「穏やかで平和な日々」という贅沢
今はただ「穏やかで平和な日々」を送りたいと彼女は繰り返し言う。卒コン後、早いうちからそう宣言してから、彼女はずっとその言葉を使い続けてきた。彼女は昔から、自分を表現する言葉を見つけては、マイブームが去るとどこかに置いてくるところがあるが、今回はあまりにも頑なに言い続けているので、この言葉には相当しっくり来ているようである。まあもっとも、確固たる覚悟があって言っているわけではないと思う。ただシンプルに、今の自分の感覚にマッチする言葉を見つけただけだろう。
そこでどうしても気になるのは「穏やかで平和な日々」は、客観的に見ればそれはあくまで乃木坂46で大きな活躍を成し遂げた今の彼女だから言えることであって、逆に言えば彼女が対比する「明確な目標がある人」にとっては、「穏やかで平和な日々」は目標よりもっと上の、その先にあるものなのではないかということだ。「卒業して1人になって、人生について考える時間が増えて、考え方も変わった」と彼女は言う[Quick Japan、BARFOUT!]。でも、彼女自身が思っている以上に、彼女の思考とか、プライドとか、いまの視野は、乃木坂での12年間、その活躍の延長線上にあると思うし、彼女はそこに割と無自覚なのではないかと思う。
どうしても、そこに危うさを感じてしまう。大阪の下町に「人間になりに来る」と言っていた[アナザースカイ]。でも、下町の暮らしは、下町の人たちにとっては「穏やかで平和な日々」ではない可能性も、考えておかなければならない。彼女は現実主義的であるが、若干右派的でもある。昔からの話を聞くにおそらく、育ちは比較的裕福か、少なくともお金に不自由することはあまりなかったのではないかと思われる。ゆえに、彼女のブルジョワ的思考が、その高いプライドと相まって良くない結果を引き起こす可能性を考えてしまう。
もちろん、なにかを気にして抑圧的になれというわけではない。というか、その右寄りの現実主義的なところも俺が彼女を好きである理由の1つであるから、ぜひとも大切にしてほしい。でも、そういうどちらかというと政治的な意味での視野についても、これから広がっていくことを期待したい。「普通の26歳として出来なきゃいけないこと」は意識すると彼女は言う[Quick Japan]ので、楽しみにしている。真のスターになるために。
「肩書きはいらない」というプライド
齋藤飛鳥はプライドが高い。直接的にあまり言及されることこそないが、日々の仕事への向き合い方とか、ファンへのスタンスからしてこれは間違いないだろう。まあ、アイドル・タレントという職業なのだから当たり前かもしれないが。
今回すべてのインタビューを通じても、彼女が「現在の」プライドについて触れることはなかった(少し期待していたのだが)。しかし、アイドルを12年やってきて、そこに対するプライドがあることは、複数のインタビューで語っている[SWITCH、GQ HYPE、モデルプレス]し、彼女自身は明確に認めさえしないものの、外から見る限りでは別に彼女のプライドは「アイドル」に限ったものではないと思う。
もっとも、彼女のプライドの高さは元来その「自信」から生まれたものというより、若いころから子ども扱いされ、馬鹿にされがちだった状況に対抗するために最初は生まれたものだったと思われるが、それでも、乃木坂での12年に対するプライドは(その功績を見れば当然ながら)相当なものがある。そして、いまだに「芝居のことはまだ何もわからない」[SWITCH]とは言うものの、やはり自分のアウトプットするものに対しては、それがアイドルとしてだろうがモデルとしてだろうが俳優としてだろうが、相当のプライドを持っていると私は考えている。
彼女は、得意なことは好きで、要領よくものすごい速さで吸収が出来る人だが、苦手なことはとことん苦手であるし、常に避けてきている。また彼女が現実主義者なのも相まって、出来ないと思ったことに対しては意外にも、妥協するラインはかなり低かったりする。自分の中で「出来ること」と「出来ないこと」の明確な区別があり、「出来ること」に対しては高いプライドを持って仕事に臨んでいるように見える。
あえて悪い言い方をすれば、彼女のこの2年間の、ある種の俯瞰的スタンスが、彼女がそのプライドにしがみついて生きていることの証左だともいえる。あえて彼女が「卒業後は俳優になります」と言わない[SWITCH、東京カレンダー]のも、「すごい極端に言ったら、この人に見られる仕事は、あと10年たった時やってますかって言われたら、それは違うって思ってる。」[アナザースカイ]などと軽口を叩くのも、自分が次のステージで、あの12年間のような結果を出せる確信が得られないからだ。今向き合っている仕事が自分の中で「出来ないこと」になってしまうことは、プライドが許さないのである。だからこそ執拗に「豊かに、穏やかに平凡に生きていくこと」[GQ HYPE]にこだわり続けるのである。
「アイドルは呪い」だと言う。そして彼女はこう続ける。「かけてる風だけど実はめっちゃかけられてると思ってる。本当はかかってるのはこっちなんだろうなって思う。」と[アナザースカイ]。しかし本当のところ、彼女は自分自身に「齋藤飛鳥」としてのプライドという名の呪いをかけているのではないか。
今はまだ、何にも熱中できないという[Quick Japan]が、そう思うのは、「俳優」を名乗るうえで自分に求めるハードルの高さと、肩書きを名乗らない(「いいです、ただの齋藤飛鳥で」[SWITCH])ことで許してもらおうという甘えである。その2つが、彼女の役者へのスタンスを「ただ求められたものを返したい」[SWITCH、QuickJapan]という位置のままブレーキをかけさせることに繋がっている。
しかし心配はいらない。彼女の芝居は意識的にしろ無意識的にしろ、卒業後に撮ったこの【推しの子】という作品から、あきらかに変わっている。そしてその変化は、経験や、日々の充実、周りの期待だけによるものではなく、彼女の自我の変化によってもたらされたものだと、そう確信させられる目をしていると、アイを見て感じた。熱意に満ちた最高の【推しの子】制作陣の期待[sweet]は、見事に達成されているように見えた。
【推しの子】のスミス監督が言うように、彼女の演技は極めてフラットで、空っぽのコップのようにすべてを受け入れる[SWITCH]ところがある。それは確かに、彼女の乃木坂46時代から変わらないスタンスである。が一方で、卒業して人生を考えてみて、誰かに何かを伝えたい[GQ HYPE]という気持ちも、少しずつでも芽生えているのではないかと、そう思いたい。彼女がプライドをぶつけて成し遂げる仕事のそのレベルの高さを、我々は知っているから。
Ⅲ. 「愛してる」この言葉は絶対、嘘じゃない
ずっと変わらない「愛」
変化していく中で、ずっと変わらないものがある。「嘘」よりも「"齋藤飛鳥"」よりも「穏やかで平和な日々」よりも、ずっと前から彼女の言葉の中に常に出てくる言葉。それは「愛」だ。[BuzzFeed、Yahoo!ニュース特集、MAQUIA]
彼女の人の愛し方は極めて特殊である。乃木坂時代から、わかりやすくみんなに優しくしたり、愛を叫ぶことはない。けれど彼女は決して、人に対して優位に立とうとはしない。マウントをとることをしないのだ。幼少期含め、悔しい思いをした経験がある[Yahoo!ニュース特集]こともあるだろうが、それ以上に、彼女は常に「自分だけでなく、周りの人たちも含めてしあわせになること」を考えている[anan、ar]からだと思う。
ファンのことも大切にしているけど、それ以上に、家族や、周囲の人間を大切にしている。ファンとしては「みんな、愛してるよ」と言ってほしいところかもしれないが、彼女はそれを言わない[BuzzFeed]。もちろんファンを大切にしてくれていることは知っているし、自分を応援する人たちに対する愛情も特別ではある。今回アイ役を引き受けるにあたり、あの日東京ドームで「アイドル・齋藤飛鳥」を涙ながらに見納めたファンに対し、どんな姿のアイを見せればよいのかは、相当重く考えてくれていた[ガラスガール、sweet]。
けれど、「引退も考えたけど、続けることにしたのは母の言葉」[アナザースカイ]と語ったように、ファンが一番だと言わないところに、彼女の真実の愛を感じるのである。
齋藤飛鳥の進む先にあるもの
彼女は、東京ドームでの卒業コンサートに、相当な達成感と、相当な自信にじませている。「東京ドームでの卒業コンサートが出来てよかった」話は、複数のインタビューで繰り返し語られている[SWICH、東京カレンダー、アナザースカイ]。
おもしろい会話があった。「どこに行ってもチヤホヤされるでしょう?」という質問に対し「基本はそうですね」と答えていた[アナザースカイ]。当たり前に答えていて自覚している風を装っていたが、現実はそれ以上に、彼女の存在は、彼女に対する承認によって成立している。本人の承認欲求とは関係なしに。
卒業で「齋藤飛鳥」のイメージをガラッと変えたつもりはないと彼女は言う。女優などよりも距離感が近い "アイドル" としてやってきて、それが卒業して『じゃあ私はひとりでがんばりますのでさよなら』はちょっと違う、などと彼女は言う[Quick Japan]。
実際に、彼女の卒業後のファンとの関係性は、おそらく明確に「相互依存の共犯関係」である。家族や周りの人たちのしあわせを第一に考える彼女ではあるが、我々が彼女の存在を当然のものとするのと同じように、彼女もまた我々の存在を当然としている今がある。彼女を満たすその高いプライドは、我々が常に彼女を評価し、忠誠を誓い、愛し続けることで成立している部分がかなりある。私はそう思っている。
東京ドームで味わった景色から得られるしあわせの「記憶」だけで、彼女にとって穏やかで平和な日々が続くことはあるのか。「かっこよくなくても、ダサくてもいいから、自分が信じられることや人を大事に出来る人」[MAQUIA]になるには、今からでも「自分は俳優である」と認めて、ここからまた走り出すしかないのではないか。もう一度、一番星を取りに行くことでしか、彼女が追い求めるそのしあわせは、得られないのでは無いのではないか。
俺たちが、もう「齋藤飛鳥」無しでは生きられないのと同じように。
あとがき 齋藤飛鳥さんへ
まず謝らなければならない。ずいぶんと勝手なことを書いた。でももう、止められなかった。この冬、きみが発する "生々しい" 言葉をたくさん受け取って、受け流すことなんて出来ない。答えを出さねばならなかった。
この1年間、いや正確にはもう何年も前から、きみが言うことには本心じゃない部分がかなりあるのは分かっていて、インタビューで語る言葉も決して額面通りには受け取らなかったし、その裏にある本当の飛鳥ちゃんを、常に理解してきたつもりだ。その日送られてくるであろう「齋藤飛鳥メッセージ」を先読みすることも、インタビューで答えた内容を俺が先に感じてツイートしていたことも、幾度となくあった。
その大半は勝手な勘違いなのかもしれないが、少なくとも俺はいつも、きみの本心を理解しようとしていた。「齋藤飛鳥」を理解しようとすることでしか、生きている実感を得られなかったから。
だが、このnoteを書いた今も、まだ分からないことがある。なぜこのタイミングで「本当の齋藤飛鳥」を明かすことにしたのか。【推しの子】公開の少し前のことだ、いろんなインタビューで「嘘のない」言葉を語り始めたのは。どうしてそうしようとしたのか。きみはいま何を見据えているのか。まだ100%理解出来ていないんだ、最近のきみの変化が。
アイを演じて感化されたのか、「齋藤飛鳥」を演じることをやめたのか、あるいは卒業して1人になってしばらく経って、ここで何かひと区切りを打つつもりだったのか。俺が知っている飛鳥ちゃんの行動原理なんてそれくらいしかないが、本当のところ、2024年のきみに何があったんだろう。
あるいは、新しい恋をしたのかも。だったとしたら、きみはもう俺には予想が出来ない場所にいるのかもしれないね。
この1年間もまた、飛鳥ちゃんと「いつも」一緒に過ごせたこと、本当に幸せだった。2024年、とっても楽しかったよ。そして、これからもよろしく。大丈夫、世界はこれからも、きみが望んだように動くように出来ている。そういう世界であるために、俺はこれからも、なんだってする。どんな形であれ、俺が、きみを幸せにするから。
なんにせよさ、来年も元気に過ごして下さい。
俺の願いとしては、それだけだよ。
別冊付録(参考文献)
付録1. 齋藤飛鳥「言葉の記録」(2024年冬・インタビュー全集 要約版)
https://note.com/colorful_pencil/n/n54e4fc9691f1
付録2. アナザースカイ(2024/11/2放送)齋藤飛鳥全発言文字起こし
https://note.com/colorful_pencil/n/n27dee2bcaec7
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